- 作者: 土田美登世
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2014/12/11
- メディア: 新書
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Kindle版もあります。
- 作者: 土田美登世
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2015/01/23
- メディア: Kindle版
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内容(「BOOK」データベースより)
本書は、やきとりに関する初めての総合的な研究書かつガイドである。「歴史学」「文化学」「老舗学」「社会学」「名店学」「ご当地学」「こだわり学」「調理科学」「肉用鶏学」など、さまざまな切り口でやきとりの謎に迫るとともに、屋台からミシュラン星付きまで、全70軒の店を紹介する。
言われてみれば、ラーメンやカレー、鮨といった料理に比べると、「やきとり」というのは、人気のわりに、メディアで採り上げられる機会が少ないような気がします。
ミシュランの星付きの店とかもあるのか……
やきとりにはアルコールがつきもので、中年以上の男性客の割合が多いため、テレビ番組や雑誌などを観る層と合わない、というような理由もあるのでしょう。
本当にやきとり好きな人は、ゴールデンタイムにテレビを観ていないだろうし。
僕がいま住んでいる九州北部地域は、やきとりが盛ん(という言い方はヘンですが)なので、食べる機会も多いのです。
昔は「やきとりの味は、タレやタネの大きさに違いがあるくらいで、どこで食べてもそんなに大きな違いはない」と思っていたのですが、最近は、格安店から地鶏を売りにした高級店まで、かなり幅広くなってきている印象です。
この新書は、そんなやきとりの「歴史」から、「現在の名店紹介」までがまとめられており、「とりあえず新書一冊で、やきとりのことがちょっとわかったような気分になれる」のですよね。
読んでいると、やきとりを食べに行きたくなって困るのが難点ですが。
著者は、やきとりの歴史について調べるのは、けっこう大変だったと述べています。
第一〜四章では、やきとり誕生の歴史をたどっている。実はこれが難関だった。やきとりにはガイドブックや技術本はあるが、その歴史をまとめた資料はほとんどなかったからだ。いや、歴史というにはもっと近い、ここ50年くらいの動きについての資料もあまり見当たらない。そこで、やきとり屋や鶏卸業者の証言をひろい、畜産史や食に関する随筆などで裏付けながらつなげていった。はるか昔の歴史に関しては、やきとり、つまり、「焼いたとり」という視点から日本人と鶏、食鳥についてまとめた。
お上が作る歴史の史料に、庶民の食文化であるやきとりの記述がほとんどないのは当然である。だから、当時の庶民だったらどうしただろう、という想像力を働かせながら整理した。
また、歴史をたどると、やきとりとはかならずしも鶏肉を串にさして焼いた料理ではないことがわかる。そもそも広辞苑にも「鳥肉に、たれ・塩などをつけてあぶり焼いたもの。牛・豚などの臓物を串焼にしたものにもいう」と記されている。実際、多くの資料や証言から、やきとりとは野鳥を焼いたものであったり、時代によっては牛もつや豚もつを焼いたものであることがわかっている。
歴史上は、西暦675年に「肉食禁止令」が出され、表向き、肉食は長い間禁じられていたのです。
ただし、地方の庶民は法令に対してさほどこだわりなく肉を食べていたようですし、「肉食禁止」とはいっても、キジやツル、ガンといった野鳥は天皇の食膳に並ぶこともあったそうです。
いまの僕の感覚でいうと、「鳥は鳥だろ」なのですが、昔は、「野鳥」と卵を産むために飼われている「鶏」は、ちょっと違った扱いをされていたようなのです。
1643(寛永20)年に刊行された『料理物語』は、日本最古の料理本とされている。ここで、ようやく鶏肉を食べたであろう記録が出てくる。そこには17種類の野鳥の料理法とともに、鶏肉の料理法が示されている。これが日本の文献に登場した最初の鶏の料理法だといわれている。さらに「やきとり」という文字が初めて登場した料理本は、この『料理物語』だとされている。
鶏肉料理の記録が残っているのは、江戸時代の初期くらいから。
江戸時代の後期には、卵を得るための養鶏が広まったこともあって、「とり鍋」も食べられるようになっていきました。
ちなみに、僕が住んでいる地域では「やきとり」に行くと、「豚バラ」がメニューに載せられていて、みんながまず最初に注文するくらいの人気があるのですが、僕は内心「なぜ、『やきとり』なのに豚肉なのだろう?」と疑問に感じていました。
どこかの店が取り入れて、評判が良かったから一般化したのかもしれないけれど、それにしても、あまりに一般化しているよなあ、と。
著者も同じような疑問を抱いていたようで、「なぜ、鶏肉以外にものも『やきとり』なのか?」についても考察されています。
「やきとり」が広まっていったのは、明治時代の終わりくらいからだそうなのですが、当時は鶏肉は高級で、庶民には縁遠いものでした。
そこで、牛や豚のモツが、鶏肉の代わりに使われるようになったのです。
味が似ているからということで、「やきとり」という名前はそのままで。
関東より東でやきとりというとき、「やきとん」「もつ焼き」のことを当たり前のように含む。「肉ゆうたら牛肉」という主張と同様、「やきとりゆうたら鶏肉」を主張する関西の人たちにとっては抵抗があるようだが、関東での「やきとり」はそうなのだからしょうがない。かくいう私も、出身は西なので「やきとりといったらやきとんも含む」という考え方に、なかなかなじめないでいた。
とはいえ、牛や豚の内臓を切って串にさして焼けば、当時は高級だった鶏肉、鶏もつのたれ焼きにそっくりだということに気づいた人たちは、いいセンスをしていると思う。よって、そのセンスに敬意を表し、やきとん、もつ焼きをやきとりと言ってもいいじゃないか、と思うようになった。
これを読んで、「鶏肉じゃない『やきとり』の歴史」が、案外古いものであることに僕はちょっと驚きました。
明治の終わりということは、100年くらいの歴史があるのです。
関西では、「やきとり屋」には、「豚バラ」って、現在でも無いのでしょうか。
著者も書いておられますが、これ、今の世の中だったら、「食品偽装」で怒られそうな話ではありますね。
戦後、やきとりともつ焼きが混沌としている時代のなかで、「やきとりといえば鶏」と決定づけた出来事がある。1960年頃に始まったブロイラーの契約生産だ。
ブロイラーとは肉専用鶏のことである。わざわざ「肉専用」と断り書きをするということは、鶏といえば相変わらず採卵のための鶏か、鍋に使われるしゃもが多かったのだろう。
戦後のアメリカは日本に飼料を輸出することを命題にしていたし、日本の商社もそれに応えようとしていた。そんな事情もブロイラーを後押しした。
有名グルメマンガなどでは、目の敵にされがちな「ブロイラー」なのですが、歴史的にみれば、日本人がこんなに鶏肉を食べられるようになったのは、ブロイラーのおかげでもあるのです。
この新書のなかで、著者はさまざまな有名やきとり店を紹介しているのですが、店主のなかには、「値段や肉のやわらかさを考えて、ブロイラーを使っている」という人もいました。
実際、食べてみると、ブロイラーのほうが食べやすいし、おいしく感じる、という人も少なくないと思われます。なんといっても、安いし。
ちなみに、ブロイラーは日齢40〜50日で出荷されるのが一般的で、地鶏は法的には80日齢以上の飼育が必要とされています。
地鶏の肉が良く言えばしっかりしている、悪くいえば硬い場合があるのは、もともとの肉質だけでなく、この飼育期間の違いもあるのです。
この新書のなかで紹介されている「やきとり店」は東京近辺が中心で、「店のガイド」としては僕にはあまり役立たないのが残念ではありますが、実際に東京の店に行ける人にとっては、さらに楽しめるのではないかと思われます。
「やきとり」って、ものすごく一般的な食べ物なんだけれど、その「背景」みたいなものって、僕もあまり考えたことがなくて、ずっと「肉のかたまりを串に刺して焼くだけなんだから、そんなに難しくないんじゃないか」と思い込んでいたのです。
家族でキャンプに行って、バーベキューをやった際に、「串に刺されているいくつものタネを、全部ちょうどよく焼く」というのがいかに難しいかを思い知らされるまでは。
僕も、この本で紹介されているやきとり屋に、そのうち行ってみたいなあ。
でも、やきとり屋って、美味しい不味いとは別に、「ものすごく美味しいわけじゃないんだけど、なんだかリラックスできて、知人と楽しくおしゃべりできる」そんな「名店じゃないけど感じの良い、行きつけの店」の魅力もまた、あるんですよね。