琥珀色の戯言

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【読書感想】アウトサイダー・アート入門 ☆☆☆☆



Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
アウトサイダー・アートとは、障害者や犯罪者、幻視者など正規の美術教育を受けない作り手が、自己流に表現した作品群。40年間、小さなアパートで空想の戦争物語を挿し絵とともに描き続けたヘンリー・ダーガー。手押しの一輪車を心の支えに33年間、石を運び、自分の庭に理想宮を作り上げたフェルディナン・シュヴァル。12歳で入った養護施設で貼り絵と出会った山下清。彼らに通底するのは社会からの断絶によって培われた非常識な表現手法。逸脱者だからこそ真の意味で芸術家たりえた者たちの根源に迫る。


 「アウトサイダー・アート」って?
 僕は自分なりに「アート」というものに興味を持っているつもりなのです。
 でも、「アウトサイダー・アート」って、「要するに、犯罪者とかヘンリー・ダーガーみたいに人との関わりを極力避けているような人の芸術」なのだと思っていました。
 この新書のなかで、著者は「アウトサイダー・アート」の定義について、かなり詳しく書いています。

 それにしても、「じゃあいったいアウトサイダー・アートってなに?」と聞かれると、これがけっこうむずかしい。ざっくばらんにいってしまえば、「公認」の美術教育を受けていない「素人」による美術、せんじつめれば独学による美術、ということになるだろう。しかし、こう書いておいてすぐさま、では公認された美術とはなんなのか、独学がなぜアウトサイダーなのか、という疑問が頭をもたげてくる。


(中略)


 美術におけるアウトサイダーとは、転じて公的に認められた(多くの場合は国による)正規の美術教育からは無用でしかない、道を外れた者(多くの場合は我流)による、勝手で野放しな創作ということになる。公認された美術は、その担い手にも、それにお墨付きを与える権威にも「正当」「真っ当」の足場を与えるから、それに準じない者の行く「わが道」は、おのずと「外道」ということになる。このように、美術における自己流には、おのずとアウトサイダー=外道の意味が含み込まれているのである。


(中略)


 今、世間で一般に浸透しつつあるアウトサイダー・アートというと、精神病者たちが超人的な持久力で延々と厭きず作られ続ける「トンデモ」美術というニュアンスで捉えられるということも少なくない。しかしこれは判断が逆転してしまっている。先立つのはあくまで我流のほうであって、障害を持つことや苦難を経ることが、誰もが驚きを隠せないほど常軌を逸した美術を成し遂げるきっかけとなったのは、本来であれば事後的な問題にすぎないのである。そんなことをいえば、美術の担い手はなにがしかの障害や心に傷ある者とすべしという判断がおおやけに下されれば、今ある健常者の表現のほうがアウトサイダー・アートになる可能性だってなくはない。これこそ本末転倒だろう。このように、身体の障害や精神の病といった属性は、あくまで相対的なものであって、アウトサイダー・アートが成り立つための絶対条件にはなりえないのである。


 「アウトサイダー・アート」とは、社会の「アウトサイダー」によるアート、ではなくて、「美術の権威から外れている」アートなのだ、ということのようなのです。
 ここで、著者は「身体や精神の障害は、あくまで相対的なもの」だと書いていて、それはたしかに正しいのだと思います。
 その一方で、ひとりの鑑賞者としては、「アウトサイダー・アート」の代表格である『ヴィヴィアンの少女たちの物語』に、「独居老人によって、誰に見せるわけでもなく長年描かれつづけ、彼が引っ越したあとアパートに遺されたゴミの山から発見された」というドラマがなかったら、これほどまでに広く知られることになっただろうか?とも思うのです。
 「アウトサイダー」であることもまた、その作品を見る人の価値観をゆさぶる。
 ヘンリー・ダーガーは、自らの「作品」を発見し、世に広めたネイサン・ラーナーが彼を訪ね、作品について尋ねたとき、「処分してくれ!」と一言だけ返した、とされています。
 

 絵の教育をいっさい受けていなかったダーガーが物語の場面を描くために使ったのは、第一にコラージュの手法だった。むろん、そんなことばを知っていたわけではあるまい。身についた技が手のうちにないため、結果的にそうなったにすぎない。ダーガーは施設の清掃作業を終えた仕事帰り、道すがら屑入れを見つけるとガサゴソと中身をさぐり、使えそうな印刷物があると拾い集めては家へと持ち帰った。ぬり絵、絵本、写真、新聞、雑誌、広告、カレンダー、スタイルブック――その大半は幼い少女のイメージが印刷されたものばかりであったが、なかには地図やレコード、災害や事故の写真、蓄音機、鞄、梱包用の紐なども含まれていた。そうしていったんダーガーの部屋に入ったものは、もう二度と外に出ることはなかった。こんなことを数十年にわたって続けた結果、ダーガーによる少女イメージのコレクションもまた、いつのまにか数千の単位に及んでいた。彼は分厚い電話帳を拾ってくると、その頁にイメージを貼ってスクラップブックを作り、自分の創造した壮大な物語を華かに彩るための挿し絵を描く構想を来る日も来る日も練り続けた。今のことばでいえばさしずめ二次創作といったところだろう。


 「アウトサイダー」だったダーガーがやっていたことは、「新しいアートの手法」のひとつである「コラージュ」だったのです。
 正規の教育を受けた「アーティスト」がアートの文脈をたどり、試行錯誤のすえたどり着いたところと、
「やむにやまれぬ欲求」みたいなものにとらわれたダーガーが行き着いた場所が同じだったというのは、「アートを学ぶこと」「アートを生み出すこと」について、考えさせられます。


 この新書では、「アウトサイダー・アート」として知られているさまざまな作品が紹介されています。
 建築あり、絵画あり、現代アートあり。
 昭和新山ができるまでの経過を詳細な絵に遺した、三松正夫さんも「アウトサイダー・アーティスト」として採りあげられています。 
 個人的には、これはちょっと拡大解釈なのでは……と思うのですけど。


 ロサンジェルスにワッツ・タワーという「横幅40メートルほどの敷地境界に沿って壁を立て、その内部に主要なものだけで大小14ほどに及ぶ、すべて手作りの構造体からなる特異な庭園」があるそうです。
 写真をみると、「これを独力で、手作りでつくったのか? 何のために?」と言いたくなるような建築物です。
 その「何のために?」がわからないというのもまた、魅力ではあるのですが。

 もっとも、こういう話を聞いてにわかに関心を持ち、本棚に仕舞い込んだロサンジェルスのガイドブックを開いても、たぶんワッツ・タワーは出ていない。かりに出ていても、きっと小さく申し訳程度しか紹介されていないにちがいない。それには理由がある。タワーが所在し、名前の由来にもなっているワッツ地区は、ただでさえ治安がよいとはいいかねるロサンジェルスのなかでも、ことのほか悪名高いことで知られる場所なのである。
 実際、ロサンジェルスの市民で、特別な理由もなく進んでワッツに行きたがる者は誰もいない。なまじガイドブックなどに載せて、訪れた観光客が被害など受けることがあれば、紹介者の責任を問われかねない。ワッツ・タワーがいくら珍しいからといって、わざわざ「ロスに行くならここは押さえたい」とかいってスポットを当てる編集者などはいはしないのである。

 
 こういう「紹介する側の事情」みたいなものあって、アウトサイダー・アートは、世の中に広まりにくいのかもしれません。
 見てみたい、とは思うのだけれど、「危ない」と言われると二の足を踏んでしまうのも事実です。


 僕のような「アウトサイダー・アート初心者」には、かなり興味深い内容の新書でした。
 著者の言い回しが、ちょっとまわりくどいというか、堅苦しいな、と思うところもあったのですが、「定義」が理解の鍵になる「アート」なので、言葉を慎重に重ねていったのでしょうね。


 ヘンリー・ダーガーのエピソードを読んでいると、たぶん世の中には、本当に「ゴミ箱行き」になってしまった「アウトサイダー・アート」も、たくさんあるのだろうな。

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