琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】世界遺産ビジネス ☆☆☆


世界遺産ビジネス (小学館新書)

世界遺産ビジネス (小学館新書)


Kindle版もあります。

世界遺産ビジネス(小学館新書)

世界遺産ビジネス(小学館新書)

内容(「BOOK」データベースより)
世界遺産はその大きな観光効果から、今や世界規模の巨大ビジネスになっている。各国は限られた枠の中で自国の候補を登録させるべく、本来の理念とはかけ離れた駆け引きを繰り広げている。本書は、元ユネスコ日本政府代表部特命全権大使の著者が、登録競争の実態や、ユネスコと諮問機関のイコモスが抱える問題点を明らかにする。また、『明治日本の産業革命遺産』登録過程での韓国の反対行動の経緯にも触れ、世界遺産に介入する政治問題に警鐘を鳴らす。


 それでもなりたい「世界遺産」。
 この新書には、元ユネスコ大使の著者によって「世界遺産決定の舞台裏」が書かれています。
 

 ちなみに、世界遺産は「有形の不動産」を対象としており、「文化遺産」と「自然遺産」に大別されます。

 文化遺産とは、パキスタンの『モヘンジョダロの遺跡群』やドイツの『ケルン大聖堂』といった遺跡や建造物、文化的景観などをさします。
 一方、自然遺産とは地形・地質や生態系などのことで、アメリカ合衆国の『イエローストーン国立公園』やエクアドルの『ガラパゴス諸島』が代表例として挙げられます。
 また、ペルーの『マチュ・ピチュの歴史保護区』のように、文化遺産と自然遺産の両方の価値を兼ね備えた「複合遺産」として登録されるものもあります。
 世界遺産の登録は1978年から始まり、2014年時点でその総数は1007件にのぼっています。内訳を見てみると、文化遺産が779件と圧倒的に多く、自然遺産197件、複合遺産31件となっています。
 自然遺産が少ないのは自然本来の姿・手つかずの自然が残っている場所がもはやこの地球上には少ないからで、自然遺産の新規登録数が減少する傾向はますます顕著になっています。2014年に登録された26件のうち、自然遺産はわずか4件でした。現在、「登録競争」といってもよいぐらい世界遺産の登録は過熱化していますが、実際に審査の順番待ちの列にならんているのは文化遺産ばかりだというのが現状です。

 
 現在、世界遺産は申請数に審査が追いつかず、「1つの国あたり、1年に1件」という制限がかけられているそうです。
 ちなみに、日本の「暫定リスト」には文化遺産のみ10件が掲載されており、10件が申請の順番待ちをしています。
 現時点では、新たな「暫定リスト」への募集もストップしている状態なのです。
 10件なら、ものすごくスムースに登録が進んでいったとしても、最後の1件が「世界遺産」になれるのは、10年後ですからね……
 「自然遺産」の順番待ちの列は空いているけれど、現実的に「それに値するような自然」が、突然あらわれるということはなかなかありません。
 それに比べて、「文化遺産」のほうは、切り口やプレゼンテーションのやり方によって、その「価値」をアピールすることができますし、「世界遺産」となることによって、観光の活性化にもつながります。
 1995年に『白川郷・五箇山の合掌造り集落』が登録された岐阜県白川村の来訪者数は、世界遺産登録前は年間70万人弱だったのが、登録後は100万人を超え、2000年以降は平均で約150万人。
 2014年6月に世界遺産に登録された『富岡製糸場と絹産業遺産群』では、登録後の2014年の来場者数が133万人で、前年の31万人から4倍以上となりました。
 世界遺産の宣伝効果というのは、ものすごい。
 石見銀山とか富岡製糸場とかは、世界遺産になる前は、「観光」の選択肢になかなか入らなかったはずです。
 社会見学ならともかく。


 この新書の特徴は、実際に世界遺産の審査の現場にいた著者が、その登録をめぐる駆け引き(=ロビイング)について、かなり生々しい話を紹介していることです。

 会議が始まった時には、実はすべてが終わっている――政治やビジネスでの根回しと同じように、世界遺産でも今述べたようなロビイングが行われています。
 ロビイングは、世界遺産が登録されるまでのさまざまな局面で行われます。たとえば、21か国からなる世界遺産委員会、24か国からなる無形文化遺産の委員会における委員国を決める選挙では、非常に熾烈なロビイングが展開されます。
 イコモスやIUCNなどの審査機関が出した低い評価を覆し、委員会で登録が決議されることがありますが、これもロビイングの結果です。この”逆転”のためのロビイングは、特に議論の分かれる難しい問題です。
 まず考えなければならないのは、そもそも専門家による評価をひっくり返してよいのかという点です。


 世界遺産の登録の可否について、専門家(多くの場合はひとり)が、事前に現地調査をほとんど手弁当で行っているのだそうです。
 そうやって、専門家が(たぶん)良心的に評価したものを、ロビイングで覆しても良いのか?
 先進国では、「世界遺産登録コンサルタント」たちが、登録されやすいようにお膳立てもしています。
 さらに、ODAなどで日本に恩があるということで、協力的な発展途上国も多いのだとか。
 まあ、自分たちに有利なら、ロビイングも大歓迎、というのも、いかがなものかとは思いますが、地元の人々の期待やかかるコストを考えると、綺麗事ばかり言ってはいられないのも事実でしょう。
(ちなみに、ロビイングといっても、大金が賄賂として飛び交う、みたいなものではなくて、「そちらのこれに賛成するから、うちのも頼むよ」みたいな感じのようです)
 また、世界遺産を全く持っていない国や、ごく少数しか持たない国に対しては、そのアンバランスを解消するという政治的配慮もあるのだそうです。
 それはそれで、「公正」なのか、という問題もあるのですけど。

 私もユネスコの大使をしていた時に、この問題の難しさを感じました。
 在任最後の年のある日、ロシアのユネスコ大使から、イコモスに「不登録」と評価されたものを、委員会で「登録」にしたいので協力してほしいという依頼がありました。一番悪い評価を一番良い決定にしたいというのです。
 いくら委員会でひっくり返せるといっても、これはやりすぎでしょう。しかし、ロシア大使もそれは承知の上です。本国から訓令が来ている以上、事の是非や自分の考えには関係なく、やらなければいけないのです。
 ロシア大使との間にもさまざまな貸し借りがあり、いろいろと助けてもらっているので、個人的に助けてあげたいという感情はあったのですが、さすがにこれはできません。文化庁の専門家も、こんなひどいのを日本が応援したら非常にみっともないことになるから絶対にサポートしないでほしい、という意見でした。結局そのロシアのロビイングはうまくいかず、委員会で逆転できませんでした。

 実際は「ロビイングでゴリ押しすれば、なんでもあり」でもなさそうです。
 しかしこの「応援したらみっともない」という申請って、どんなものだったのでしょうか。
 ここまでひどい言われようだと、それはそれで、ちょっと気になります。


 また、著者は文化遺産の決定プロセスにおいて、大きな役割をはたしているイコモスの”ユーロセントリズム”(ヨーロッパ中心主義)にも疑問を呈しています。
 彼らがとくに差別主義者、というわけではないのだろうけれど、大部分は欧米で教育を受け、その価値観に染まっているので、どうしても「西洋的な価値観に引っ張られてしまう」ところはあるようです。
 

 この本のなかで、著者は、2015年に登録された『明治日本の産業革命遺産』について、韓国が抗議し、問題となった件についても経緯を説明しています。

 日本は世界遺産委員会の委員国でしたが、その任期は2015年までです。一方、韓国は2017年まで委員国です。第3章で書いた通り、登録決定プロセスにおいて委員国は非常に有利な立場にいます。ですから、韓国の反対を考慮すると、『明治日本の産業革命遺産』の推薦を翌年にまわすのは、日本が委員国から外れてしまうので、リスクがあったのです。


 日本側は、韓国が反対するであろうことも想定して、2015年に『明治日本の産業革命遺産』を推薦していたのですね。
 著者たちは、それに政治的に対抗しようとするのではなく、まずは「イコモスから良い評価を得ること」に注力しました。
 いくら政治的な横槍が入っても、もともとの評価が高ければ、覆すのは難しい、という判断で。
 この「正攻法」で、勝負は決したといえるでしょう。
 

「韓国はおそらく反対するけれども、産業革命遺産は明治期にできた資産で、日本が人類共通の遺産と考えているのは、その時期に短い期間で成し遂げた産業革命の証が残っているからである。韓国が問題にしているのは第二次世界大戦中のことで、まったく別の時期の別の問題だから切り離して考えてほしい」
 このように説明し、理解を求めたのです。
 さらに、イコモスの勧告後、韓国が委員国へのロビイングを強力に始めると、われわれも再度委員国をまわって、丁寧に説明しました。


・「第二次世界大戦中、今回の構成資産のいくつかにおいて、韓国人は強制労働により非人道的な扱いを受けた」と韓国は主張しているが、それは誇張表現である。韓国側の出している数字を見ても、5万7900人の韓国人労働者のうち、亡くなったのは94人である。死亡率は0.16パーセントであり、当時の医療水準や、軍需産業など危険な職場であることを考えれば、普通の数字である(ナチス・ドイツの強制労働における死亡率は約25パーセント)。実際、徴用された韓国人労働者は日本人労働者と基本的に同一条件で働いている。また、死亡原因は病気が一番多く、他にも5人は原爆に被爆したものであり、組織的に虐待など非人道的扱いがあった事実はない。
・5万7900人のうち、正式の徴用工は実は1000人に満たず、ほとんどは募集に応じた出稼ぎ労働者である。また、法的には当時韓国人は日本国民であり、徴用は日本の法律に基づき、日本人にも同様に課せられた国民の義務だった(戦時下において、同様の制度はアメリカをはじめ世界各国にあった)。


 等々、事実のみを説明し、この問題は日本政府と韓国政府との間で、1965年の日韓基本条約によってすべて解決済みであることも伝えました。


 この新書を読んでいると、韓国の横槍に対する各国の反応は「困惑」に近いもので、著者たちは冷静に対応しました。
 日本で報道を追っていた僕などは「もっと大きな声で世界にアピールすればいいのに」と思っていたくらいなのですが、現場の日本人担当者たちは、目的を達成するために、感情に流されず、粛々と動いていたのです。
 こうして、『明治日本の産業革命遺産』は、世界遺産に登録されることになりました。
 著者は、最終的に「徴用の事実を掲示する」ことによって韓国側が折れる「政治的決着」となったことについては、「世界遺産の政治利用は望ましくない」と苦言を呈しています。


 世界遺産をめぐるさまざまな問題、そして、国際政治での国と国との駆け引きの一端がうかがえる、なかなか興味深い新書でした。
 しかし、世界遺産、ちょっと多すぎるような気はしますね。
 世界遺産のなかの世界遺産、として「スーパー世界遺産」的なものをつくろうと主張している人もいるそうなのですが、それはそれで、また競争になりそうだよなあ。


行ってはいけない世界遺産

行ってはいけない世界遺産

行ってはいけない世界遺産

行ってはいけない世界遺産

アクセスカウンター