琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】メタクソ編集王 少年ジャンプと名づけた男 ☆☆☆


メタクソ編集王 少年ジャンプと名づけた男

メタクソ編集王 少年ジャンプと名づけた男

内容紹介
こんな編集者、もう二度と出てこない!!」漫画家 永井豪
「これぞ、ヒット漫画の極意書だっチ!!」漫画家 とりいかずよし
漫画を50億冊以上売った伝説の編集バカがいた!


合言葉はマタンキ!
「少年ジャンプ」の編集、そして「ヤングジャンプ」と編集長として君臨した、元集英社の伝説の編集者・角南攻氏の編集バカ一代記。
名作『トイレット博士』ではスナミ先生として登場。『ハレンチ学園』『侍ジャイアンツ』『リングにかけろ』など大ヒット作品を連発。
その名物編集長が赤裸々に語る「少年ジャンプ」「ヤングジャンプ」のここだけでしか聞けない裏話や作家とのエピソードが満載!
ヤングジャンプ」を40万部から256万部までに押し上げる原動力となった編集術や失敗談、編集者としての心意気などを余すことなく激白。
様々な漫画家との出会いやエピソードを交えて語った珠玉のノンフィクション!
漫画家や編集者を目指してる方、そして漫画ファンは必見の1冊!


トイレット博士』のスナミ先生のモデルにもなった、伝説の編集者の一代記。
僕はこういう「編集者が週刊少年マンガ雑誌やマンガ家の裏話を語ったもの」が大好きなので、書店でみかけて即座に購入しました。
この角南さん、あの『ジャンプ』の名付け親なのだそうです。

――1968年の春、集英社に入社したボクが、少年誌編集部に配属されて半月たったある日、小柄だが異様な元気さで、社内じゃ「チビッ子ギャング」と異名をとる長野規編集長が、ツカツカとボクの机に歩み寄ってきた。ヤバッ。
「スナミィ、新雑誌のタイトルを3つ書いてみろ。15分以内に提出だ!」
 と、3枚の紙を手渡された。
(テストですかァ? すでに決定してる新雑誌のタイトルを当ててみろってかァ)


 この9年前の第一次週刊誌ブームに創刊された「少年マガジン」「少年サンデー」と「少年キング」(1963年)の3誌は、毎週60〜88万部発行と堂々の部数。子どもから大学生まで幅広い読者に大人気で、のちに「右手に(朝日)ジャーナル、左手にマガジン」という流行語まで誕生した。余談だが「左手に平凡パンチ」って言い方もありました(笑)。
 予定していた創刊誌は当初、隔週木曜発売の想定だったので、う〜む!「少年サースディ」じゃあ、子供騙しみたいでイカンわなァと焦り、冷や汗タラリ。そこへ、チョコマカと編集長が再接近!
「残り5分!」
 と耳元で呟く。
 見習い社員のボクは連日、漫画のアオリ柱やキャッチを「30分で10本作れ!」と言われた。自分の語彙の貧しさを痛感し、我ながら呆れるしかなかった日々。
「ハイ、どこまでよォ〜♪」
 とりあえず書いた3枚の紙を気弱に差し出す。編集長は3枚をためつすがめつ眺めながら、「少年ダッシュ、少年エースねぇ。どれも悪くねェなァ」
 と呟き、
「だが、コレに決まりだ! 少年ジャンプ!! これでいく」
 と断言。
「ハァ!? 決まりって、新雑誌のタイトルまだ決めてなかったんですか?」

 これが『ジャンプ』誕生の瞬間だったのです。
 あらためて考えてみれば、『マガジン』とか『サンデー』『ビッグコミック』というような雑誌名は、由来がわかりやすいですよね。
 漫画雑誌と『ジャンプ』って、これらの名前と比べれば、唐突ではあります。
 でも、確かにこれ、勢いがあって、良い雑誌名ですよね、こんなに成功したから、なおさらそう思うのかもしれないけれども。
 こういうのって、思いつきそうで、なかなか思いつかない雑誌名で、それを一瞬で採用した長野編集長もまた、見る目があったということなのでしょう。

アクセスカウンター