琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】『ガロ』に人生を捧げた男 ― 全身編集者の告白 ☆☆☆☆☆


Kindle版もあります。

◎業界が震撼! 感動の超名作と話題の本。
「これは業深き「編集者」同士、魂の真剣勝負が生んだ奇跡の書物
―文字通り「命を懸けた一冊」だ! 」 ライムスター宇多丸
サブカルチャーの総本山・青林堂ネット右翼化する分岐点となった『ガロ』分裂劇について当事者が激白……したかと思えば、まさかの展開に」?吉田豪

(大反響の声! ! ! )
「これ程楽しくて、これ程泣いた本は初めてかも! 」
「あとがき含めて凄まじい読書体験! 」
「出版史や漫画史には残して欲しい本! 」

漫画雑誌『ガロ』休刊の内幕。
漫画家である妻、やまだ紫との愛と別れ、そしてガン闘病。

80年、90年代の出版業界とネット黎明期を生きた編集者の感動の告白。

「死ぬまえに肉声を残しておかないと…」

伝説の雑誌「ガロ」元副編集長が語り下ろした半生記。
『ガロ』創刊編集長・師・長井勝一との出会い、「ガロ」編集としての青春、長井氏の死、「ガロ」休刊の裏側。 青林堂の内紛・編集者一斉退社、青林堂青林工藝舎への分裂 自身の慢性白血病、最愛の妻、やまだ紫を襲う悲劇、悪性皮膚癌発症、繰り返す転移と度重なる手術という苦難の中、それでも生涯一編集者として生きた理由、死の直前まで「残したかったもの」とは……。


 1970年代のはじめに生まれ、ずっと地方都市で暮らしていた僕にとって『ガロ』という雑誌は「なんだかよくわからないけれど、『ジャンプ』や『マガジン』には載っていないような前衛的なマンガが載っている『サブカルメジャー』という存在だったのです。「サブカルメジャー」というのも矛盾した表現ではありますが。
 今では同人誌での販売やインターネットでの作品の公開が当たり前になり、誰かが自分の机やパソコンで描いたものを、すぐに世界に向けて発信することができるのですが(実際に見てもらえるかどうかは別として)、インターネット以前は、売れないもの、商業的に成り立たないものが雑誌や本として全国に発信されるというのは、かなり難しいことだったのです。
 
 著者の白取千夏雄さんは、『ガロ』の元副編集長。
 もともとは漫画家志望だったのですが、青林堂の創業者・漫画雑誌 『月刊漫画ガロ』の初代編集長だった長井勝一さんの元で編集者となり、『ガロ』の屋台骨を支え続けたのです。そして、「『ガロ』分裂騒動」にも当事者のひとりとして関わっておられました。
 
 この本には、白取さん自身の編集者としてのキャリアのはじまりから、『ガロ』での編集者生活、長井勝一さんのこと、そして、雑誌をめぐる時代の変化と長井さんの死、『ガロ』分裂騒動、最愛の妻のこと、白取さん自身の闘病が書かれています。


 白取さんは、「序文」で、こう仰っているのです。

 まず最初に言っておかなきゃならないのは、日本の漫画界、サブカルチャー史上極めて大きな役割を果たした雑誌「ガロ」のこと。これは編集者としての俺の始まりでもあり、ある意味、青春を捧げたような大きな存在だった。
 1997年、その「ガロ」の社員が原画・原稿を持ち出して一斉退職するという騒動が起きて休刊。そこらへんの顛末を、今の漫画界で誰も正確に語ることができていない。それがいわゆるアンタッチャブル的な、腫れもの扱いのようにされているのは、すなわち自分の原点がないがしろにされているような思いがある。
 ウィキペディアだってソースのない推測で記事を書いていることが多い。すると、それを今度は孫引きして適当なことを書く奴が現れる。
「編集方針で対立」とか、「デジタルガロの失敗」がきっかけとか、長井さん(長井勝一青林堂の創業者、『月刊漫画ガロ』の初代編集長)の死によって「お家騒動」が起きて……みたいな「よくある話」にされているのが概ね多いみたいだけど。
 自分で取材して歩かなくても、ネットを見たり、それこそググればなんでも出てきてしまうから、それが「ソース」だと言っちゃう。ネット社会にはそういう危険性があるとはよく言われることだけど、逆にそれで出てこない情報には永久に触れられない。
 一斉退職組の方々は事件直後に、自分たちの起こした騒動を自分たちで検証するという『マンガの鬼』って雑誌を出したけども、片方だけの言い分だけ聞いて検証もせずに総論を書いても、客観的な事実の把握はできない。
 あの『ガロ』分裂騒動と呼ばれている顛末を正確に近い形で語ろうとすれば、一番いいのは当事者が集まってそれぞれの立ち位置からで良いので、ちゃんと事実関係を確認し合って、総括することだと思う。当時の青林堂の取締役、つまり役員でもあった一斉退職組の代表の手塚理恵子さん(現:青林工藝舎代表/「アックス」編集長)と、青林堂代表取締役であった山中潤さん。「当事者」っていうのはこのお二人だからね。
 当時、よく「手塚対白取」みたいな構図を吹聴する輩が多くて本当に辟易したんだけど、俺は当事者じゃないから。もちろん、否応なしに当事者的に巻き込まれたのは認めるけどね。


hagex.hatenadiary.jp


 「サブカルの砦」だった『ガロ』を出していた青林堂が、分裂後とはいえ、こんな本を出版するようになったというのをネットでみて、僕も驚きました。
 著者は、長井勝一さんから直接薫陶を受け、分裂騒動から、「その後」までをみてきた唯一の人間として、自分の経験を遺しておきたかった、と述べています。

 白取さんは、白血病での闘病の末に、2017年3月18日に亡くなられています。


 『ガロ』で編集者として働いていた白取さんは、さまざまな思い出を語っておられます。

 当時の「ガロ」は作家さんに原稿料を出せていなかった。「ガロは原稿料を払わない」って言われると長井さんはよく怒っていたんだけどさ。「払わない、じゃねえんだよ。出したくても出せねえんだよ」って。
 だから俺たちも払わないということじゃなくて、「作家さんに原稿料を借りている」という意識だった。きれいごとで言うんじゃなくて本当に、描いていただいているけど原稿料に関しては申し訳ないっていう認識だった。俺たち編集者は少ないとはいえ給料をもらっていたわけだからね。でも作家さんには原稿料を払えなかった。そんな商業誌はあり得ないし、ギャランティが無い雑誌なんて「同人誌」になってしまう。
 それでも、「ガロ」に発表したい、「ガロ」でデビューしたい、「デビューは『ガロ』です」って言いたい……当時はそれくらいのステータスを感じてくれる作家さんや新人さんがたくさんいてくれたんだよね。
 あと、だいぶ後になってから漫画家のとり・みき先生と飲んだときに直接聞いたんだけど、メジャー誌だと当然ながら原稿料をもらえるけど、編集さんによってはネームチェックがあって「こうした方が面白い」「こうした方が売れる」「アンケートがこうだった」とか言われることがあると。でも、「ガロ」はそういうことを一切言わない。「描きたい」と思ったものを、ほぼ自由にそのまま発表できる商業誌は「ガロ」だけだったって。
 原稿料がもらえるから……ではなく、純粋に描きたいものを受け入れてくれるから描くんだ、というプロの人がいたのも事実なんだよね。連れ合いのやまだ紫も同じことを言っていた。
 他にも、後でいろいろな作家さんから「『ガロ』に描いた理由」を聞いたけど、新人さんで多かったのは「他に発表する媒体が見つからない」という理由だった。当時は「マス」的な作品以外でデビューするのは難しかったからね。今では商業誌も「マス」で売れなくなってきてニッチを狙うのが増えたから、むしろ個性を出していかなきゃ、他と違うことをやらなきゃ……という時代になったけど。それに描く側も、「ごちゃごちゃ言われるならネットでええやん」「同人誌でいいよ」という人が多くなってきたしね。
 取次さんを通して全国流通させているのに原稿料が出ない雑誌がなぜ存在できたのか。それはつまり、長井さんがいたから、あの白戸三平先生や水木しげる先生、つげ義春先生が描いていた「ガロ」だから許してもらえていたわけ。当然、その他の雑誌が同じことできるかといったらできないし、そもそも原稿を描いてもらってお金を払わないって、それは「プロ」の仕事じゃなくなっちゃう。もちろん現場の俺たちは常に作家さんに申し訳ないと思っていてね。でも本当に会社が貧乏だったから厳しくてさ。

 本当に持ち込み投稿はいろんな人が来たよ。長井さんが「……これ、茶色のインクで描いたの?」って聞いたら、作品を持ち込んできた男の子がドヤ顔で「ぼくの血で描きました!」って。さすがの長井さんも口あんぐりだった。もちろんド下手だったから「今度は黒インクで描いてきてね」って返されていたけど(笑)。
 長井さんは宮城県塩竈市の出身だけど、兄弟と早くに上京していたから、本当に落語みたいな「べらんめえ口調」だった。だからそういう何気ない普通のやりとりが実に軽妙でおかしみがあって、香田さんとのやりとりも夫婦漫才みたいだったんだよね。
 後年、俺も持ち込み作品を見るのを許されるようになって、投稿者さんが「見ていただいていいですか」と背負っていたナップザック外して、よっこらせとカンバスを出したのね。ちゃんと水張りしてあって結構大きめの。で、何か下手な絵が描いてある。
 俺が「?」って顔を上げたら、その男性は「じゃあ2コマ目です」と言って、またカンバスを出す。要するにカンバス1枚に1コマで、4コマ漫画を描いてきたわけ。そのアイディアは面白いし、別にカンバスに描いてあっても面白ければいいと思ったんだけど、それがまた見事に面白くなくて。まあ長井さんよろしく、「次はできれば原稿用紙に描いてみたらどうですか、かさばらないし、軽いし」と優しくお伝えして帰っていただいた。


 現在、2022年であれば、「同人誌やネットで十分に稼げる」という漫画家も少なくありません。
 誰かが、「タダでいいから、作品を載せてほしい」なんて言うと「クリエイターは正当な報酬を受け取るべきだ。そうしないと他の人も安く買いたたかれてしまう」とネットで反発される時代でもあります。
 僕がこれまで読んできた、『週刊少年ジャンプ』の編集者の著書では、マンガをヒットさせるために、担当編集者が多大な協力(介入、でもあります)をしてきたことが述べられているのです。

 波乱万丈ながらも編集者として多くの才能と関わってきたことや、年齢差があった配偶者のやまだ紫さんとの生涯変わらなかった信頼関係や暮らしぶりについての話を読むと、ずっと編集者としての矜持を保ったまま逝ってしまった白取さんは、幸せな人だったのではないか、と思うのです。

 その一方で、この本を最後まで読むと、その「どんでん返し」に考え込まずにはいられなくなるんですよね。
 その人を悲しませる、絶望させるような「真実」があったとして、それを知らないまま幸せな気分で命が尽きることと、それでも「真実」を知ること、どちらが良いのだろうか。
 「知らぬが仏」とは言いますし、前者のほうが良さそうに感じるけれど、それはずっと「騙され続けている、あるいは隠され続けている」ことでもあるのです。

 この本に書かれていることは、白取さんという「いち編集者」からみた「事実」でしかありません。
 だからこそ、貴重だし、「ひとりの人間が知ることができる限界」について、考えずにはいられなくなるのです。


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