琥珀色の戯言

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【読書感想】中東から世界が崩れる イランの復活、サウジアラビアの変貌 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容紹介
イランとサウジの国交断絶はまだ予兆に過ぎない

かつて「悪の枢軸」と名指しされるも、急速にアメリカとの距離を縮めるイラン。それに強い焦りを覚え、新しいリーダーの下で強権的にふるまうサウジアラビア。両国はなぜ国交を断絶したのか? 新たな戦争は起きるのか? ISやシリア内戦への影響は? 情勢に通じる第一人者が、国際政治を揺るがす震源地の深層を鮮やかに読みとく!


 「中東」というと、IS(いわゆる「イスラム国」)とか、石油で大金持ちになった王族たち、というイメージばかりが先に立ってしまって、個々の国の違いとか、そこに住んでいる「ふつうの人」のことって、想像しにくいのです。
 大部分の人は、「イスラム国」の戦闘員でも、王族でもないはずなのに。
 ずっとそんなイメージで中東を見続けるのは「フジヤマ、サムライ、ゲイシャ」で日本を語るようなものでもあるのです。
 自分の国がそんなふうにみられたら嫌な感じがするのに、他国に対しては、そうしてしまいがちなんですよね。

 2016年1月、サウジアラビアとイランの国交断絶が報じられた。このニュースは、まったくの寝耳に水というわけではなかった。本書で後に述べるように、両国の間には対立的な感情がずっと存在しているからである。
 しかし、シーア派の雄であるイランとスンニー派の中心であるサウジアラビアの国交断絶により、地域一帯のさらなる不安定化が危惧されている。一部の専門家からは、戦争勃発の可能性まで指摘されたほどである。中東を震源とする諸問題は、これからも国際社会に多くの課題を突きつけることだろう。中東が混乱して崩れ、ブラック・ホールのように世界全体を吸い込んでしまう。そうしたシナリオを恐れている。
 中東では、かねてより秩序が崩壊している。


 この本は、中東情勢の専門家である著者が「いまの中東、とくにイランとサウジアラビアという『二つの大国』を軸に語ったもの」です。
 いまの中東の問題は、「イスラム国」だけではなくて、「世界のパワーバランス」を揺り動かす不安定要素がたくさん存在しています。

 本書が焦点を当てるのは、サウジアラビアとイランだ。この両国は、シリアやイラクをはじめとする中東各地で対立している.サウジアラビアとイランの両国を丁寧に見ていくことが、今後の中東情勢を大胆に見通す近道になるだろう。
 両国を語る上で真っ先に論じられるのが、シーア派国家のイランとワッハーブ派スンニー派)国家のサウジアラビアという、宗派感対立の図式だ。しかし、それだけでは十分ではない。アメリカの両国への政策変化を押さえる必要があるだろう。
 たとえば、イランがアメリカなどと交わした歴史的な核合意は、核問題の平和的解決の枠組みを構築したばかりか、イランの国際社会への復帰の道を開いた。そして、それはとりもなおさず、中東におけるイランの大国としての立場を承認するものでもあった。つまりはイランの「復活」の始まりを意味している。長年アメリカと蜜月関係にあったサウジアラビアからすれば、これが面白くないのは当然だろう。
 日本での中東理解は、どういうわけか宗教過多に陥りがちだ。宗教が難しい、だからわからなくても当然だ——。説明する方も、される方も、そうした宗教的な達観の境地にある。
 本書の発想は、そうではない。たいていの事象は、宗教抜きでも理解できる。宗教的な「解説」は「わかったつもり」を生み出すだけで、理解にはつながらない。もちろん宗教の重要性を否定するわけではないが、宗教の話をしてわかったような幻想にとりつかれるのは、そろそろやめにしたい。本書では、宗教のみならず政治や経済にも着目し、問題の深層に光を当てたい。


 「宗教、スンニー派シーア派のちがい」で思考停止してしまいがちな僕にとっては、この新書で紹介されている「中東の政治や経済の話」は、すごく新鮮に感じられました。
 当たり前なんですが、敬虔なイスラム教徒だって、霞を食べて生きているわけではない。
 そして、アメリカは、長年の盟友だったはずのサウジアラビアとの間に隙間風が吹いてきており(そこには、シェールガス革命などによる、産油国の重要性の低下、という背景もあります)、「悪の枢軸」とまで言い放ったイランとの間には「再接近」がみられています。
 もともと、イランは「親米の国」だったんですよね。
 国と国との関係というのは、永遠のものではありません。

 結局、大きな国同士が覇権をめぐって争う呼応図は変わらない。イデオロギー対立も宗教対立も、地政学的な利害という根本的な対立軸を装飾しているに過ぎないのである。
 たとえばイラン・イラク戦争(1980〜1988年)は、表面的にはスンニー派が支配するイラクと、シーア派国家イランとの間で起きた戦争だ。ただし、この二分法では本質を見誤る。イラク人兵士の多くはシーア派であり、戦場ではシーア派イラク人兵士と、同じくシーア派のイラン人兵士とが殺し合ったことになる。もしイラン・イラク戦争が宗教対立だったならば、シーア派の人間同士が殺し合うことにはならかなかっただろう。この戦争には、明らかに宗派を超えた国家の利害関係があった。
 具体的に言えば、、対立の背景にあったのは、イランとイラクの国境地帯を流れるシャトル・アラブ川の領有権問題だ。また、イラクからすれば、イラン革命の伝染を防ぐための防衛戦争でもあった。逆にイランからすれば、イラン革命のどさくさに紛れて領土獲得のために侵攻してきたイラクを撃退するための防衛戦争だった。
 中東問題を理解するには、他の地域と同様に、地政学や国家の利害を第一に押さえておかねばならない。日本での中東「理解」と「解説」は宗教過多なので、わかったようで実はかえってわからなくなる。宗教は大切だが、中東は宗教だけではない。


 著者は、中東の大国だと認識されているサウジアラビアの内実をこのように紹介しています。

 中東イスラム世界の“国もどき”の代表格は、サウジアラビアだ。数々の“国もどき”の中でも、サウジアラビアは資金力や軍事費が突出し、存在感を示してきた。軍事費は約872億ドル(2015年、ストックホルム国際平和研究所調べ)であり、驚くべきことに世界第三位の規模となっている。
 しかし、いくら多くのお金を持ち、高額な兵器を買いそろえていたとしても、“国もどき”は“国もどき”でしかない。先ほど述べた、近代国家としての条件を思い返してほしい。工業化の水準、教育水準、労働力の構成、国民のアイデンティティーの強さなどを考えると、サウジアラビアはとうてい国家とは言えない存在だ。
 とりわけ、労働力の構成について見ると、イランのような国との違いがはっきりとわかる。
 イランでは、最高指導者から一般市民まで、ほぼ全員がイラン人だ。イラン人が国を統治し、同じイラン人が汗を流し、イランという国の制度やインフラを支えている。それに対して、サウジアラビアに住んでいる肉体労働者の多くは外国人だ。基本的に自国民は働かなくてもよい。肉体労働は外国人に任せるものなのだ。
 どうしてサウジアラビア人が労働をしなくて済んでいるのか。ご想像のとおり、それは石油の富があるからだ。支配者層である王族は、石油の富を使って国民の生活を保障する。そのかわり、国民は政治に口を出さない。サウジアラビアをはじめ君主制産油国は、こうした「暗黙の契約」によって成り立っている。
 言うまでもなく、石油の富は莫大だ。基本的に国民は住宅も医療も学校も無料である。もちろん、「お国に税金を払う」という感覚はなく、それどころか「政府は福祉の無料発券機」と見なされている。
 外国人を雇って制度やインフラを支えさせている国が、はたして本当の国だと言えるだろうか。サウジアラビアの国家としての基盤は、非常に心もとないのである。
 しかし、それでもサウジアラビアは、他の産油国クウェートアラブ首長国連邦カタールなどに比べれば、まだ国らしい。石油収入が多く、そもそもの人口規模が非常に小さな地域では、流入する外国人が多数派になっている。そこでは肉体労働に従事する自国民は、皆無である。アラブの国にアラビア語の通じない空間さえ広がっている。


 ヨーロッパにも、移民や外国からの出稼ぎ労働者が多い国はたくさんあるのですが、サウジアラビアクウェートの場合は、それがあまりにも極端なのです。
 世界第三位の軍事費を使っていても、「国を守ろう」という国民の意識が低ければ、実際に軍を運用するのはかなり難しいはず。
 アメリカは、そのあたりの内情をよくわかっていて、サウジアラビアに対して、「調子に乗って他国に介入して、馬脚をあらわさないように」戒めているようなのですが、武器や軍隊というのは、持っていれば使ってみたくなる、という人もいるのです。
 そもそも、「民主的」という意味では、王制のサウジアラビアより、イランのほうが、よほど「アメリカに近い」わけですし。


 著者は、中国の対中東外国についても紹介しています。

 中国の対中東外交で興味深いのは、そのメディア戦略だ。中国では2009年から、アラビア語の24時間テレビ放送を行なっている。これが衛星放送によってアラブ世界全体に向けて放送されている。
 率直に評価すると、現時点ではたいした内容ではないが、いずれ充実したものになっていくと思われる。こうした事業の意味は大きい。24時間アラビア語で放送しようとすると、アナウンサーからディレクター、エディターまで、膨大な数の人がアラビア語で食べていくことになる。それだけ多くの中東専門家が育ち、それによって生活していけるようになるのだから、着実にコンテンツも育っていくだろう。
 中国政府は、24時間アラビア語放送により、最低でも何百というポストを中東専門家に用意した。それだけ、中国の対中東外交は本気なのである。
 もちろん、日本にはそのような放送態勢はない。短波とネットでアラビア語ラジオ放送が、日に何時間かだけ、細々と続けられているだけである。


 石油を輸入に頼らざるをえない日本にとっては、エネルギー政策上、対中東外交はきわめて重要なはずなのです。
 現在でも中東各国の対日感情はけっして悪くはないようなのですが、あまりに油断していると、将来、「オイルショック」の再来もありうるかもしれません。
 アフリカにしてもそうなのですが、いまの中国の「対外政策の貪欲さ」には驚かされます。
 人口が多いと、外向きの力も強くならざるをえないのだろうか。


 「スンニー派シーア派の対立」だけで語られる中東情勢から、一歩踏み込んでみたい人は、ぜひ読んでみていただきたい新書です。
 「宗教だけで人は生きられない」というのは、言われてみれば、「あたりまえの話」なんですけどね。

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