琥珀色の戯言

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【読書感想】母の教え: 10年後の『悩む力』 ☆☆☆


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
これまでの生活をリセットして東京近郊の高原へと移住した著者は、それをきっかけに、今までとは違った眼差しで世界や同時代を眺めるようになった。慣れない土いじりや野菜づくりに精を出していると、悲喜こもごもの思い出が、やさしい風や、やわらかな雨のように心を撫でていく。今は亡き、母、父、息子、叔父、先生、友だち。今なら言える。すべての愛すべき人たちの思い出こそが私の故郷であり、私の先生だったのだと―。「田舎暮らしエッセイ」という器に載せて、これまでになく素直な気持ちで来し方行く末を存分に綴った、姜尚中流の“林住記”。


 『悩む力』が大ベストセラーとなった著者が、「軽井沢から追分に通じる高原のひと隅」に移住して、自然のなかでこれまでの人生や出会った人々についての思いを綴ったエッセイ集です。
 正直言うと、いま40代半ばの僕は、東京のような大都会で暮らすのはきついと思うけれど、田舎で土いじりをして生きる、みたいな心境には、あまり実感がわかないんですよね。
 毎回、姜尚中さんの本を読んでいると、僕もあと20年くらいしたら、こういう心境になるのかな、という気持ちになるのです。実際は「わかるようになったところもあるし、やっぱりわからないところもある」のですけど。

 還暦を過ぎ、古希も近い歳になってから、私は、自分の心身の土台を母が形づくってくれたことを、深く体感するようになった。時にそれは、母が、私に憑依しているとしか思えないほどの生々しい感覚をともなっている。人間を「歩く食道」に見立てていた母は、ある意味、立派な唯物論者だった。
「人は食べんとダメばい。食べんと死ぬとだけんね。偉か人も、そうでなか人も、金持ちも、貧乏人も、みんな口から入れて尻から出すと。そがんせんと生きていけんとだけん。だけん、三度三度、しっかり食べんと」
 こうした哲学の効用か、私はこれまで大病らしきものを患ったことがない。今でも時おり、無理を重ねても、私の身体には復元力のようなものが働き、いたって元気だ。
 人は喰らうところのものである。
 常々そう豪語していた母には、明らかに、大地の「気」とでも言いたくなるような生命力が宿っていた。母の料理を通じて、私は生命力を与えられ、また、生きた肥しにしてきたとも言える。
「人は歩く食道」であるという、身も蓋もない人間観には、人はみな平等であるという確固とした信念が息づいていた。母があれほど、人の情にこだわったのも、彼女のなかに差別に対する強い憤りが渦巻いていたからに違いない。母は常に、人間を二つの種族に分けたがった。すなわち「情のある人」と「情のない人」である。


 姜尚中さんは在日二世として日本で生まれているのですが、この本を読んでいると、日本という少し離れた場所から、北朝鮮と韓国という「故国」を見つづけることの苦悩が伝わってくるのです。


 韓国の元大統領・金大中氏との対話を振り返って。

 分断を乗り越える。
 そのためには、力による克服への道もあったはずだ。「反共」から「克共」へと突き進むために、国力の充実を図る選択肢である。
 国力増強による安保体制が、民主化より優先されねばならない。それが、金大中氏に敵対していた、朴正熙元大統領のやり方でもあった。
 これに対して、金大中氏は、民主化こそが分断を乗り越え、国の安保に繋がる最良の道であることを、倦まず弛まず説き続けた。韓国の国民は、自らの手で、民主化を勝ちとることのできる力量をそなえていると、固く信じていたからである。
「姜さん、民主主義は水道の蛇口をひねれば、すぐに水が出てくるような、そんなもんじゃないんですよ。民主主義はタダではないんです。我々はそれを血で贖い、勝ちとったんです。そのために、私はどれほどの犠牲を払わざるをえなかったか」
 半ば涙ぐみながら、普段の冷静さを忘れるように、私の前で、熱く語ってくれた老政治家。そこには、家族をも迫害に巻きこまれ、その後遺症に悩まざるをえなかった、人生の影が現れていた。


 「民主主義は、タダでも、当たり前のことでもない」
 理屈としてはわかっているつもりでも、「平和な民主主義の国」である日本で生きてきて、民族的な抑圧や差別を経験したこともない(アメリカに行ったときには、ちょっと差別的なニュアンスを感じたことはありましたが、その国で生活するというのは、観光とは全く別物でしょうし)僕には、実感しづらいところはあるのです。
 そして、「当たり前」だとなんとなく思っているからこそ、それが失われることを想像しづらいのだよなあ。

 五十路を迎え、「天命を知る」知命の年齢になったにもかかわらず、私は迷路のなかで立ち竦んでいたのである。そして(2000年6月の)南北首脳会談は、地べたにうずくまる罪多き凡夫に「歴史の天使」が舞い降りてきたような一瞬だった。
 さらにそれから、かれこれ20年近くの月日が流れた。私は古希に近づき、家族も、社会も、そして世界も変わった。
 何よりも、溺愛した一人息子は、今はいない。子に先立たれた親の悲哀は、言葉には尽くせない。死児の齢を数えることも苦しく、ただ忘却にすがろうとするだけだった。でもそうすればするほど、愛する者の記憶の輪郭は際立ってくる。
 東日本大震災がもたらしたおびただしい数の死者と残された者の喪失感に我が身を重ね合わせ、私は高度成長に彩られた「戦後の申し子」のような時代が確実に終わったと実感せざるをえなかった。
 社会の空気は大きく変わり、閉塞感が漂うとともに、分断と敵対の感情が抜き身で露出するようなシーンが稀ではなくなり、少数者に向けられる「ヘイト」も、日常りふれた光景になっていた。そこには拉致問題というおぞましい国家犯罪の衝撃と、過去の歴史を巡る日韓の確執が暗い影を投じていたのである。
 新しい世紀の楽観的な空気は消え失せ、冷笑的な無力感の漂う、不安と隣り合わせの平穏が、見えない皮膜のように社会を覆うようになっていた。
 そして私も変わっていた。見たいもの、知りたいもの、感じたいものだけでなく、その反対に見たくないもの、知りたくないもの、感じたくもないものをたくさん見、知り、感じたせいか、どこか「すれっからし」になっていたのである。 ギリシア神話の「シーシュポスの岩」にあるように、岩を山頂に必死の思いで押しあげても、あと少しで山頂に届くというところで岩はその重みで底まで転げ落ち、ふたたび、一からやり直して、山頂まで押しあげたと思ったら、またしても岩は底へ転がり落ち、また元に戻って岩を押しあげていく……。この繰り返し、この永遠に終わることのない苦行が、人の一生であり、人間の歴史ではないか。
 そうした思いが、今の私の心境である。楽天的に理想や幸福を寿ぐことはできなくなっていたのである。
 しかし、他方で、徒労とわかっていても、それでも一歩でも岩を上へ押しあげていく作業を続けていくしか、他に道はない。そんな開き直りとも、決意ともとれる覚悟のようなものが、私のなかに揺らめいていた。


 高名な大学教授、かつ、ベストセラー作家であるのと同時に、息子に先立たれ、故国の分断を見つめ続けた姜尚中さんの人生は、60代も終わりになって、土いじりをしながら、庭の花を見つめることに充実を感じ、これまで「犬派」を貫いてきたのに、奥様の強い勧めもあって、「猫派」に鞍替えすることになったのです。
 人は、こうして自分の人生を整理していくのかな、と思うのと同時に、それでもまだ悟りきれない煩悩みたいなものも、やっぱりありそうなんですよね。それは誰かや何かに対する愛情というよりは、世の中が少しでも良くなってほしい、そのために、自分ができることをやっておきたい、という使命感のようなものなのだろうか。

 淡々としていて、目新しいことは書かれていないエッセイ集なんですよ。僕も読んでいて、けっこう眠くなりました。
 ただ、そういう静謐さこそ、この作者、この新書の魅力のような気もします。


悩む力 (集英社新書)

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続・悩む力 (集英社新書)

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心 (集英社文庫)

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