琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】あのとき売った本、売れた本 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

本を売ることがこんなにも劇的でスリリングだなんて、知らなかった! 
米澤穂信

手から手へ。小出さんに売ってもらった本は、いまも最高に幸せな旅を続けてると思う。
桜木紫乃

日本最大級の書店、紀伊國屋書店新宿本店。
25年間文芸書売り場に立ち続けた名物書店員の、ベストセラー回顧録
書いた人と売った人、そして読んだあなたの物語。


 僕は長年書店に通っているのですが、大きな書店で平積みにされ、POPでおすすめのコメントが書かれている本を見かけるたびに、思うのです。
 ああ、これ面白そうだな、このコメントを書いた人が、この店のどこかにいるのかな、って。
 でも、それをレジに持っていくのは、ちょっとためらいもするんですよね。

「あっ、この人、あのPOPを見て、買ってくれたのかな」と、思われるかもしれない。
 僕は「通りすがりの客のひとり」として放っておいてほしいのに、「個人」として認識されるのは、なんだかとても恥ずかしい気がして。


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 実際のところ、POPを見て買う、というようなわかりやすい例ではなくても、本好き、書店好きであれば、「この書店に入ると、読みたい本が目に入ってきて、つい、買いすぎてしまう」という店はあるはずです。

 綺麗でお客さんも多いし、本の在庫も多いのだけれど、なかなか読みたくなる本が見つからない、ピンとこない、という書店も存在するのです。

 直接言葉を交わすことはなくても、本の並べかたで、間接的に書店員さんと対話している、とも感じます。
 これは、僕と好みが合うか、というのが大きいのでしょうけど、そんなに大きくないし、置いてある本の数はそんなに多くないはずなのに、お客さんが多い店というのはあるのです。もちろん、その逆も。

 この本の著者の小出和代さんは「紀伊國屋書店新宿本店」で、25年間も文芸書を担当されていた書店員さんです。
 僕は桜庭一樹さんの読書日記をずっと読んでいたのですが、その日記に書かれていた、東日本大震災の日(2011年3月11日)に自宅に戻れなくなり桜庭さんの家に泊まったという書店員さんが小出さんだったことをこの本を読んで知りました。

 大書店の書店員さんって、そんなに作家さんと距離が近いのか、とも思いましたし、それも小出さんが書店員として多くの良い本を売るために活躍してこられたからこそ、でもあったのでしょう。


 小出さんは、「はじめに」で、こう書いておられます。

「本屋の思い出話、書きませんか」
 光文社の編集者鈴木さんから誘いを受けたのは、2019年秋、私が退職の挨拶メールを送ったときのことだった。
「あの本を売ったときの裏話、みたいなものが読みたいんです。皆が知っているベストセラーも、個人的な思い入れがある本でもいいです。むしろ個人的な話に偏った方が面白くなると思います。
 なるほど、それなら書けるかも。と気軽に引き受けて書き始めたのが、『あのとき売った本、売れた本』だ。
 ところがどっこい。いざ連載を始めてみたら、早々と脂汗まみれで呻くはめになった。
 だって、本を売るときって、毎回変わったことをするだけではないのだ。基本的には目立つ場所に積んで、POPを付けたり看板を掛けたり、SNSで紹介したりする。そういう定番のやり方があって、流れの中で売れていく本の方が断然多い。人に話して面白がってもらえるようなベストセラー裏話なんて、そうそうないのである。


 言われてみれば当たり前の話なのですが、「こうすれば必ずベストセラーになる方法」なんていうのがあれば、こんなにリアル書店が潰れまくることはなかったはずです。
 この本を読むまでは、「カリスマ書店員の功績語り」みたいなものを想像していたのですが、日本を代表する大型書店の旗艦店であっても、「書店員さんの仕事」の基本は、「本を並べて、買いにきた人に売ること」なんですよね。

 「売れた本、売った本」というタイトルどおり、僕も「あっ、この本読んだなあ」と思い出せるものがたくさん出てくるので、その本を読んだときの自分の状況や、読んだときの感想も頭に浮かんできたのです。
 
 米澤穂信さんの『さよなら妖精』は、「古典部」シリーズの(「氷菓』『愚者のエンドロール』に続く)3作目として書き上げられたものの、これまでの2作が出ていたレーベルが休止されることになり、宙に浮いていたそうです。
 その作品を、東京創元社の編集者が小出さんに「読んでみてほしい」と紹介したのです。

「事件が起きて、それを探偵が解決するタイプのミステリではありません。これはミステリではない、と言う人もいると思う。この作品は、世に出さなくてはいけないのです」
 世に出したい、ではなく、出さなくてはいけない、と彼は言った。担当編集者にそう言わせる作品って、一体どんな話だろう?
 出版前の作品を書店員が先読みするのは、今でこそよくあることだけれど、当時はまだ珍しい話だった。少なくとも私は、書店員歴11年目にして初めて受けた話だったように思う。作品に対する興味と同じくらい、出版まえの作品を読ませてもらうという行為自体が嬉しくて、二つ返事で引き受けた。
 そうして届けられた小説が、『さよなら妖精』だったのだ。

 読み終えて、私は真っ先に「えっ、これミステリ?」と思った。ミステリに非ず、という意味ではない。手掛かりは作品の中にすべて示されて、堅実に回収されていく。間違いなく上質な本格推理小説だった。でもそれ以上に、繊細かつ鮮やかなボーイ・ミーツ・ガール小説でもあって、私はその部分に強烈に惹かれたのだ。


 僕も『さよなら妖精』を読み終えて、「なんなんだこれは、こんなの認めたくないよ……」と、大変モヤモヤしたのを覚えています。いわゆる「イヤミス」みたいな「読者を不快に導くための物語展開」ではなくて、古典部シリーズのつもりで、ふんふん、「日常系」か、と読んでいたら、いきなり、「世界の生々しさ」を突きつけられた、そんな感じでした。

 この『さよなら妖精』を売ったときの話は、とても印象的でした。
 書店員として小出さんが「挑戦」していこうとするタイミングとちょうど合致していたこともあったのでしょう。
 米沢さんも、この作品が売れなかったら、作家としての方向性が大きく変わっていたのではなかろうか。
 

 応援したい本を、自分の責任で発注して確実に売るためには、ある程度の経験と、前のめりな熱意が必要だと思う。もし私が、もっと若い頃に『さよなら妖精』と出会っていたら、経験が足りずに地味な販売しかできなかったかもしれない。逆にもう少し経験を重ねた後だったら、理屈の方が勝って、初回からあんなにサイン本を頼まなかったかもしれない。担当編集の桂島さんと知り合ったのも、今思えば計ったようなタイミングだった。


 縁、というか、タイミングって大事なんだよなあ、と思いながら読みました。
 もちろん、運だけではなくて、チャンスをつかむ準備をしておくことも大事ではあるのですが。

 私が働いていた頃、店では、「入ってくる本はすべて等しく店で売る」という基本姿勢で営業していた。「本屋が勝手に思想を押し付けてはいけない。必要か必要でないか、判断するのはお客さん自身であるべきだ」と、新人の頃、繰り返し教えられたものだ。
 もちろん、何が何でも売り続けていたわけではなく、社会状況を鑑みて棚から本を下げたこともある。例えば思い出すのは、1993年に発売された鶴見済さんの『完全自殺マニュアル』だ。自殺するための方法を集め、ひとつひとつ掘り下げて紹介したこの本は、発売時にサブカルチャー本として人気を集めた。「いざというときはこうすれば良いのだ」という究極の選択肢を手元に置くことで、逆に今を生きのびる支えになったという声は、当時からよく聞いた。実際、著者もそういう意図でこの本を執筆したとあとがきに記している。人によっては、お守りになる本だったのだ。
 ところが、内容を表面的に捉えた人々が、ワイドショーなどで危険な本として取り上げてしまう。青少年の健全な育成上好ましくない本だと言って、やがて複数の都道府県がこの本を条例で有害図書指定し始めた。回収しろ絶版だと主張する声と、言論の自由の侵害だと闘う声が、あちこちでぶつかり合った。
 早々に返品する書店もある中、私が働いていた店は結構粘って置き続けていたと思うけれど、条例に関する検討が始まったときはさすがに店頭から一旦下げざるを得なかった。一方で、回収命令が出るまでは返品しなくていい、欲しいという人には売れという反骨の上司からの指示があり、しばらくの間、「問い合わせがあったときにバックヤードから出してきて手渡す」という地下取引みたいな売り方をしたのだった。
 その後、この本は版元側が「18歳未満の購入はご遠慮下さい」と書かれた帯を掛け、ビニールパックした状態で出荷するようになった。


 小出さんは、1999年に発売された『バトル・ロワイヤル』という、中学生42人が生き残りをかけて殺し合いをする小説(フィクションです念のため)が問題になったときのことも振り返っておられます。
 『バトル・ロワイヤル』の原作本は100万部以上も売れ、2000年に映画化もされました。
 映画版は15歳が主人公なのに「15歳未満は鑑賞不可」として公開されたそうです。

 僕は『完全自殺マニュアル』が発売されたとき、大学生で、早速買ってきて読んだのですが、「この本が親に見つかったら、心配されそうだな」というのと、「クマ牧場で自殺するのだけはやめよう」と思ったことを記憶しています。

 しかし、2024年、今となっては、『バトル・ロワイヤル』的なサバイバルゲームものは、「定番化」されていますし、『完全自殺マニュアル』も、「わざわざ本を買わなくても、ネットで検索すれば、そういう方法はすぐに見つかる」時代になりました。
 酒鬼薔薇聖斗とされる人物が書いた『絶歌』や書店で特定の民族や人種を差別する「ヘイト本」が売られていることの是非など、書店というのは、「思想の自由とデマやヘイト拡散のリスク」の間で、ずっと揺さぶられてもいるのです。

 「シンプルに本を並べて売る仕事」であるのと同時に、「何をどう並べるか」「どの本を『推す』か」で、本を買って読む人たちと繋がっている。そして、ときには「思想戦争」みたいなものの最前線に立たされる。

 書店員というのは、大変な仕事ですよね。本好きとしては、一度はやってみたい、ともずっと思ってはいるのだけれども(本気でやろうと思ったら、今からでも可能なはずなのですが、膝に矢を受けてしまってな……(腰痛持ちだし)。


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