琥珀色の戯言

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【読書感想】非科学主義信仰 揺れるアメリカ社会の現場から ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

日本にも忍び寄る「非科学主義信仰」という異常現象

2024年アメリカ大統領選挙の有力候補がトランプ前大統領だ。
トランプの岩盤支持層は保守派だけでない。
自分たちにとって都合のよい“ファクト”をつまみ食いする「非科学主義信仰」を有する人々からの支持も集めている。
Qアノン、極右組織など所属は様々だが、単なるカルト集団ではなく、彼らは既得権益層への怒りと独特の正義感を持った実効力をともなう集団だ。
反ワクチン・反マスク論争、移民受け入れの是非、銃規制問題など、NHKロサンゼルス支局長として全米各地で取材を続けてきた記者の緊急レポート。
日本にも忍び寄る「非科学主義信仰」という異常現象をあぶりだす。


 ネットで「陰謀論者」とか「過激な反ワクチン派」などを見かけると(とは言っても、僕のTwitterのタイムラインには、ほとんどそういう主張をしている人は出てこないのですけど)、いったい何がきっかけで、こんな支離滅裂なことを信じるようになるのだろう?と思うのです。
 僕はけっこうアメリカの現状を伝えているルポを読むのが好きなのですが、「世界唯一の大国(最近は中国の台頭でだいぶ様相が変わってはいます)」での共和党支持派と民主党支持派の対立や、銃規制や中絶に反対する人たちの多さに呆れることもあるのです。
 それでも、アメリカという国には、「善意」や「自由」を尊重する文化もあるんですよね。

 取材は大統領選挙を翌年に控えた2019年の夏に開始した。当時のドナルド・トランプ大統領も低支持率に苦しみ、次の選挙は厳しいというのがメディアの基本的な論調だった。その見立ては、結果的には、はずれてはいなかったが、筆者は、トランプ大統領を当選させた有権者が簡単にトランプ支持をやめることはないと感じていた。そこで、その支持基盤は簡単には崩れないという前提に立って、アメリカ社会の諸問題を追っていくことにした。
 三年に及んだ取材の結果、アメリカ社会の分断を俯瞰する際の軸の一つとして「科学」という概念が有効だという結論にたどり着いた。対立の一方の側には、科学、それに基づく合理的な判断を信じる人たちがいる。バイデン大統領はこちらに含まれる。もう一方の側には、科学に対する不信感、あるいは、科学を「錦の御旗」として掲げる人たちに不信感を抱く人たちがいる。その不信感はまるで岩のように強固で揺らぐことがなく、ほとんど「信仰」の域に達している。本体、宗教の信仰とは、それ自体が揺らぐことはなくても、他者を受け入れる寛容性や慈愛に満ちたものだと筆者は思う。例えば、宗教を超えた対話の機会に接したときにその思いを強くしている。しかし、「非科学主義者」たちは、その「信仰」のためには破壊行為も厭わないし、人の命が危険にさらされる事態になっても構わない。そんな彼らの属性を説明するために考えたのが「非科学主義信仰」という言葉だ。


 著者の「リベラル」なスタンスは理解できるのです。いまの日本では、著者のように考える人が多いだろうとも思うんですよ。
 その一方で、僕はこれまで歴史を学んできて、「宗教とは、そんなに寛容性や慈愛に満ちたものだろうか?あるいは、人間はそういう教義よりも、排他的だったり、自分たちの優越感を満たしてくれたりする教義を求めてしまうのではないか?」と感じています。


 この本、家族とともにNHKの現地特派員としてアメリカで暮らしている著者によって書かれたものです。
 記者として「取材」したことだけではなく、現地で生活していくなかで、著者や家族が経験したり、巻き込まれたりしたエピソードが紹介されているのが印象に残りました。

 アメリカでは、8月から9月が新学年の始まりだ。2021年の新学期にあわせて、CDC(アメリカ疾病予防管理センター)は、7月下旬、学校の感染対策として、小中学校や高校の児童・生徒や教職員は屋内でマスクを着用するよう推奨した。
 筆者が住むロサンゼルスでは、夏休み期間中に、新学年を迎えるにあたっての手引きが教育委員会から各家庭に配られた。パンフレットに列記された新型コロナ感染防止対策で、最初の項目に書かれていたのが学校でのマスク着用だった。ロザンゼルスで小中学校や高校の新学期が始まったのは8月16日。取材に訪れた小学校では、児童全員がマスクを着けて登校していた。我々のインタビューに応じてくれた2年生の男子児童は、「マスクを着けていれば感染しないし、感染を広めないので安心です」とはっきりと答えてくれた。その母親も、「子どもたちは友達と遊ぶなどほかの人と接する機会が多いので、マスクの着用はとても重要です」と話していた。この学校では密集を避けるために、新学期の初日から登下校の門が学年ごとに分けられた。我々がカメラを構えた校門からは1年生と2年生が校門に入っていった。
 ロサンゼルスでは、学校でのマスク着用が論争を呼ぶことはなかった。筆者自身も新学期が始まる前に、子どもが通う小学校のオンライン保護者会に出席した。保護者会は1時間程度。校長からマスク着用などの感染対策について説明があったが、それについて質問が出ることもなかった。異論なしだった。
 ただ、全米に目を向けると、学校でのマスク着用に賛成する人ばかりではない。野党・共和党が強い州では義務化に反対する動きが各地で起きた。こうした動きの急先鋒が南部フロリダ州だ。フロリダを代表する都市マイアミの中心部では、マスクをせずに闊歩する人の姿が目立った。

 マスク着用をめぐる論争は政党間の対決となり、州ごとに対応が分かれる事態となった。学校でのマスク着用を義務化した州は、カリフォルニア州ニューヨーク州、それにワシントン州など与党・民主党が強いとされる州が多い。一方、知事が義務化に反対している州は、フロリダ州の他にもテキサス州など、共和党が強いとされる州が多い。共和党の知事らは、歩調をあわせるかのようにマスクの着用義務化を推奨するCDCの方針に反対している。これに対して、バイデン大統領は、「自分たちの政治的な利益のために論争にしようとしている。新型コロナと戦う気がないなら、せめて邪魔しないでほしい」と強く批判。義務化を封じようとする州の動きには法的措置も辞さない姿勢を示し、論争はさらにエスカレートする様相を見せた。AP通信などが2021年8月に全米のおよそ1700人を対象に行った世論調査では、学校でのマスク着用に賛成と回答したのは、民主党支持者では80%あまり、これに対して、共和党支持者では30%余り。意見の違いが浮き彫りになった。


 感染予防対策のためのマスクの着用に対する考えが、ここまで露骨に「党派性」で色分けされてしまう、というのは、日本で生活している僕にとっては異様に感じられます。この国は、共和党民主党、それぞれの支持者で二分されているようにすら見えるのです。
 両党の支持者は現時点では拮抗していて、いくつかの州の選挙結果で、どちらの党の候補が大統領になるのか決まってしまう。
 とはいえ、決まってしまえば、51対49であっても、多数派に従う、という潔さがアメリカを支えてきた、とも言えるのです。
 ところが、トランプ大統領は、2020年の大統領選後の退任時に、支持者を焚きつけるような言動を繰り返し、トランプ支持者が国会に乱入する、という事件が起こってしまいました。
 そんな非科学的、あるいはちょっと考えれば矛盾に気づきそうな陰謀論を信じるなんて!とアメリカの「非科学主義者」たちに言いたくなるのだけれど、その背景には、ヒスパニック系の人口増で、近い将来、白人たちが「少数派」に転落してしまう、という危機感や、「富裕層やインテリたちが『科学』を振りかざして庶民の暮らしに目を向けず、格差の拡大を正当化しつづけている」という不満もあるのです。
 銃規制が進まないというのも、アメリカで生きている人たちには、「こちらが銃を持っていなければ、銃を持っている人物の凶行を止められない」という危機感があるのです。


 大学の学費はものすごく高く、奨学金を払うための高額のローンを背負わされ、にもかかわらず、大学に入っても超エリート以外は、稼げる仕事に就くのは難しい。
 アメリカン・ドリームは過去のものとなり、「銀の匙をくわえて生まれてきたかどうか」で、ほとんど決まってしまう社会。

 でもこれって、著者も述べているように、アメリカだけの話ではないですよね。
 日本の「マスク警察」なんていうのも、他国から見れば、「異様」だったと思います。

「非科学主義」とは何か。全米各地での三年間に及ぶ取材では、多くの専門家にインタビューしてきた。筆者はどのインタビューでも、取材相手の専門的な知見についての質問を終えたあと、最後に「非科学主義を防ぐための解決手段は何か」という根本的な質問を投げかけることにしていた。根本的な質問であればあるほど、その人の専門知識ではなく、「世の中はこうあるべきと私は思う」という、その人の哲学に触れることができると考えているからだ。それに対する多くの専門家たちの答えは、「教育しかない」というものだった。
 教育の制度やカリキュラムをつくるにあたって大切なことは、どのような思想や理念を社会に存立基盤とするかを定めることだ。それは国や地方、あるいは時代によっても異なり、宗教の場合もあれば、イデオロギーの場合もあるだろう。アメリカや日本では、その一つが科学主義や理性主義であると信じたい。そして、それらを人々に浸透させるための方法が教育であり、小さい頃から繰り返し学習することで、市民一人ひとりが自分のものとしていく。
 アメリカは、イギリスでの宗教弾圧を逃れるために人々が新天地を求めて渡ってきたことが建国のきっかけだ。このため、社会の存立基盤の一つとして宗教が重要な位置を占めている。それだけに非科学的なものが浸透する土壌があるという見方もできるそこに、ソーシャル・メディアの普及という要素が入ったことで、アメリカでの「非科学主義」の拡散は近年深刻な状況だ。専門家たちは危機感を強め、教育を立て直すことで、対症療法ではなく、根本的な問題の解決を図ろうとしている。


 著者は、「非科学主義」の浸透に対して強い危機意識を持っているのです。
 アメリカで著者が取材した有識者たちも多くはその危機意識を共有していて、非科学主義や排外主義、人種差別を克服するためには、今、それをやっている人たちを責めるよりも、「子どもの頃からの教育」が重要なのだと考えているのです。
 確かに、人の思考というのは、大人になってしまうと変えるのは難しいし、ネット社会では、同じ意見の人たちが集まりやすいと言われています。
 結局これは「勉強ができる人たち」が自分の有利な土俵でみんな勝負するべきだ、と主張しているようにも感じるんですよね。
 格差社会では、子どもが受けられる教育にも「格差」が生じており、意識は高く、立派なことを言っているけれど、贅沢三昧なセレブやエリートたち「上級国民」に、「一般人」は反感を深めているのです。
「教育の力」を信じられるのは、ハイレベルの教育を受ける余裕がある人たちだけ。
 エリートの言いなりになっていては、自分たちは搾取されるばかりという絶望感が「非科学主義」の土壌なのかもしれません。


 先日行われたアメリカの中間選挙で、トランプ前大統領が推していた勢力がいまひとつ伸びなかった、という結果に、アメリカの「普通の人々」も、「これはちょっと危ないんじゃないか」と感じているのではないか、と僕は思ったのです。

 ただ、第二次世界大戦の前のドイツで起こったことのように、国民のバランス感覚って、崩れるときはあっけないものではあるんですよね。


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