琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】巨人軍vs.落合博満 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

《徹底検証ノンフィクション》
1993年12月、40歳落合博満のFA移籍は事件だった。
巨人にとって落合がいた3年間とは何だったのか――?

「なぜ巨人・落合監督は誕生しなかったのか?」
そのナゾを解くヒントは落合の巨人在籍時代(1994~96年)にあった。

40歳で巨人へ電撃移籍した落合。推定年俸は当時球界最高の4億500万円。「残念ですね」「とても4億円の値打ちはない」巨人軍OBから猛批判の声が挙がる。OBもマスコミもみんな落合に冷たかった。


 僕は物心ついてから半世紀近く、広島カープのファンで、アンチ巨人をやっています。
 「球界の盟主」と自称しつつ、自分たちの都合の良いことならばルールを捻じ曲げ、金とブランドで選手を他球団からかき集める球団、巨人。
 落合博満選手が巨人にFA(フリーエージェント)移籍したときには、「落合もカネかよ、っていうか、まあ、ずっとプロとして高い評価をしてくれるところに行くって言っていたから、らしい選択ではあるけど、もう40歳の選手に4億とか出すのはすごいよねえ」と思ったものです。

 当時も、落合選手の凄さはみんな知っていたけれど、巨人でどこまでやれるかは、半信半疑、という雰囲気だった記憶があるのです。
 最低限、中日の戦力をダウンさせただけでもいい、それが巨人なんだよな、とも。

 この本、落合選手の巨人時代の3年間が書かれています。長嶋監督に請われて巨人にやってきて、同率で並んだ巨人と中日がリーグ最終戦で直接対決し、勝ったほうが優勝」という「伝説の10・8決戦」に巨人の4番として出場したこと。
 落合選手より若かった原辰徳選手の引退や松井秀喜選手の成長を見届け、清原和博選手のFA加入で巨人を去るまで。

 無愛想で超個人主義者にみえるけれど、中日の監督としても結果を出していた、そして、球界の「仲良し人脈」みたいなものから、ずっと距離を置き続けている(ように見える)落合博満という人が、僕はずっと気になってはいたのです。

 落合監督については、近年、こんな本も上梓され、かなり話題になりました。


fujipon.hatenadiary.com


 監督としても、素晴らしい成績を残した落合さんなのですが、その後、他の球団の監督候補として名前が挙がることはあったものの、実際に監督に就任することはなかったのです。これを書いている、2024年末の時点では、もう71歳になられています。
 まだまだお元気そうではありますが、プロ野球チームの監督としてフルシーズン戦うには、ちょっと厳しい年齢ではありますよね。
 中日以外のチームを落合監督が指揮したら、どうだったのか? その答え合わせは難しそうです。


 この『巨人軍vs.落合博満』という本は、前述の『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』と比較すると、「事実を淡々と記録していて、良くいえば『著者の主観が極力排除されている』、悪くいえば『味気ないというか、選手の内面が見えてこない」という印象でした。
 ただ、これはもう好みの問題で、『嫌われた監督』は、著者の解釈でドラマチックにしすぎている、と感じる人もいそうです。


 「ひたすらマイペースな個人主義者」である落合博満と、憧れの存在である長嶋茂雄監督のため、いまの自分の仕事場である巨人というチームのために、自らお手本となり、結果を出そうと全力を尽くす落合博満という「二つの顔」が、ひとりの天才打者の中に並立していることに戸惑ってしまうのです。


 巨人に移籍してきて、最初のシーズン前の春季キャンプでの話。

 自分が何か言うとすぐ問題になるからと、「キャンプでは貝になる」宣言をするオレ流だったが、新たな職場環境を冷静に見極めていた。そんな元三冠王に対して、当然どんな人なのだろうとチームメイトも興味を持つ。宮崎キャンプの食事は、ホテルの宴会場にバイキングなどが用意されているが、落合はそこにまったく姿を現さず、寝ているかもしれないと部屋の近い槙原寛己が呼びに行かされたという。すると、部屋の中からはなにやら話し声と、美味しそうな匂いが漂ってきた。えっ……いったい何をやっているのだろう? そのときの衝撃を槙原は、こう振り返っている。
「扉を開けると、落合さんが、部屋で携帯用のガスコンロとともに、淡々と話しながら、鍋を食べてるんです! そしてその対面には誰もいない! 鍋を食べながら、一人でいろいろ話してる。気づけば部屋の外には食材を持った仲居さんがやって来て、その食材を、落合さんに届けて行きます。それも、何人も何人も、いろいろな具材を、入れ代わり、立ち替わり」(プロ野球 視聴率48.8%のベンチ裏/槙原寛己ポプラ社
 ひとり独演会をかましながら、晩酌もしつつ2時間近くかけて豪華な鍋を平らげる孤高の大打者。中日時代からロッカールームを綺麗に整頓する几帳面な一面を持つ男は、無類の漫画好きとしても知られ、キャンプでも部屋に200冊近い大量の漫画本を持ち込んだ。ジャンルは多岐にわたり、『ギャンブルレーサー』や『ナニワ金融道』だけでなく、『美少女戦士セーラームーン』全巻も網羅していたという。休日は外出することもなく、好きな漫画を読み、11時間半も寝て、スポーツニッポンには「寝る子は打つ」の見出しが踊った。オレ流は、グラウンド内ではチームのやり方に可能な限り合わせたが、プライベートで巨人ナインに溶け込もうと、媚びるようなことはしなかった。


僕もあまり大勢と一緒に食事をするのは好きじゃないので、こうしたい気持ちはわかるのですが、移籍先の球団で(いわば、転勤先の職場、みたいなものですよね)、いきなり自室でひとり鍋というのは、肝が据わっているというか、空気を読む、ということを考えないというか。

ひとり鍋も漫画好きも、2024年の僕の感覚としては「こういう人もいるよね。僕だってできるならこうしたいかも」なんですよ。
でも、1994年、今から30年前くらいは、移籍してきたばかりなのにキャンプ地で食堂に顔も出さずにひとり鍋、とか漫画好きの40男、なんていうのは、かなり異質な存在だったはず。
ひとり飯」がライフスタイルのひとつとして認知されてきたのは、漫画『孤独のグルメ』が知られるようになった頃くらいからで、この漫画の連載開始が1994年、単行本の1巻が出たのが1997年、人気に火がついた文庫版が出たのは、2000年でした。
当時は、「ひとり飯」というのが社会の中で浮いた存在だったからこそ、この漫画は話題になったわけで、槙原選手が面食らったのも当時としてはあたりまえだったのです。

みんなが集団生活をしていて食堂でご馳走をバイキングで食べているなかで、部屋で鍋をやっている人がいたら、2025年でも「えっ?」と思われる可能性は高そうですが。

 巨人1年目の落合の打撃成績は129試合、打率.280、15本塁打、68打点、OPS.815。三冠王には程遠く、あらゆる部門でロッテ時代のレギュラー定着後、最低の数字が並ぶ。球界最高年俸プレイヤーとしては、期待外れだったのも事実だ。だが、130試合目の頂上決戦で堂々と四番を張り、先制ホームランと勝ち越しタイムリーを放ち、チームを優勝に導いたという結果の前には、打撃三部門の数字はほとんど意味を持たなかった。
 皮肉にも、これまで圧倒的な数字を残すことで成り上がってきた男が、この年は初めて個人成績を超えたところで評価されたのである。そして、それは同時に落合博満が逆風の中で、「長嶋監督を胴上げする」という野球人生を賭けた一世一代の大勝負に勝利したことを意味していた。批判の中で落合をサポートし続けた信子夫人は、10・8決戦の直後、こんなコメントを残している。
「そりゃ騒ぐのはわかるよ。『監督を男にします』なんて大きなことをいって入団した落合を、なんとか揚げ足を取ってやろうというのだろうけど、入団発表で『やってみないとわかりません』なんていうような助っ人なら、不要なんだよね。それをやる前から、OBが『年だからダメ』なんていうんだからね。年でダメなのはあんたたちでしょ」(週刊ポスト1994年10月28日号)
 落合の巨人入団以来、隙あらばしつこく批判し続けた長老OBたちに対する、信子夫人の痛快なカウンターパンチである。


 僕は「打撃三部門の数字はほとんど意味を持たなかった」とは思わないし、2割8分、ホームラン15本、という数字は「期待外れ」だと当時も感じていました(アンチ巨人の偏見はあったとしても)。
 2024年のような、極端な「投高打低」の年ならともかく、四番としては寂しい数字ではありますよね。
 それでも、あの10・8決戦に勝ち、チームがリーグ優勝して、落合選手が「優勝請負人」としての価値を示したのは事実です。
 誰かが突出した個人記録を残すよりも、応援しているチームが優勝すれば、ファンとしては嬉しいものですし。

 この本を読みながら、巨人というチームのOBたちは、なぜ当時こんなにも落合選手の批判ばかりしていたのだろう?とも思ったのです。
 名球会に入ることを拒否した、などという経緯などはあったにせよ、とにかく勝ちたい、結果を出したい、という長嶋監督をはじめとする現場と、「巨人というブランドを落合は傷つける」というOBたちの意識の違いには、「めんどくさい先輩たちだよなあ」と、現場サイドに同情してしまいました。
 このOBたちだって、ずっと巨人にいた人ばかりではなく、他球団から移籍してきた人も少なからずいるのに。

 落合選手が巨人にやってきて、注目を集め、あの10・8決戦が「国民的イベント」とまで呼ばれたのは、日本のプロ野球界の人気のひとつのピークだったのです。
 清原選手が西武から巨人に入り、落合選手が日本ハムに去った1990年代の後半からは、「巨人戦がドル箱」だった日本のプロ野球は大きく変化し、2004年の近鉄オリックス合併が契機となったプロ野球再編問題を経て、球団間、セリーグパリーグのあいだの人気や観客動員数の格差は小さくなっていきました。ソフトバンクホークス日本ハムファイターズのような「地方球団」が地域に密着・浸透していった一方で、娯楽の多様化や競技人口の縮小などにより、「ゴールデンタイムにはいつも巨人戦中継」という時代は終わったのです。活躍した選手は、どんどんアメリカのメジャーリーグに挑戦しています。

 落合博満という人は、プレイヤーとしては間違いなく「伝説」であり、監督としては「残した成績はすごかったけれど、ひとつの球団での実績しかなく、ドラフトでの選手獲得方針には疑問も残るので、評価が難しい」というのが僕の現在の感覚です。

 ただ、以前は「オレ流」と言われていた落合さんの行動は、時代とともに違和感がなくなってきた、というか「未来から来たひと、だったのか?」と感じるようにはなりました。
 もう一度、どこかのチームを率いてみてほしかったんだけどなあ。


fujipon.hatenablog.com
fujipon.hatenadiary.com
fujipon.hatenadiary.com

アクセスカウンター