琥珀色の戯言

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【読書感想】崖っぷちの老舗バレエ団に密着取材したらヤバかった ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

破たん寸前の苦境から「チケット即完売」の超人気バレエ団へ!
起死回生の一手はリアルで過激なドキュメンタリーYouTube! 「トウシューズを買うのも苦しい」週5バイトの新人バレリーナ、「コロナと戦争で解雇された」ロシアの元プロバレエ団員、動画に批判殺到で「生きた心地がしなかった」芸術監督。個性豊かなダンサーたちと若きディレクターが織りなす、涙と汗の青春ノンフィクション。


「バレエの公演」って、観たことありますか?
僕はコンサートや演劇は30年くらい観てきて、最近は落語を聴きにも行っているのですが、生のバレエの舞台は未経験なのです。
「バレエ」というと、いちばんに思い浮かぶのは、志村けんさんが白鳥の頭の衣装をつけてやっていたネタで、あとは映画『愛と悲しみのボレロ』のクライマックスの踊り。

この本も、書店で偶然見かけて興味本位で買ったので、著者が密着している『谷桃子バレエ団』のYouTube動画も、この本ではじめて知りました。


www.youtube.com


100万回以上再生されている動画もある人気チャンネルなのに、これまで僕は一度も見たことなかったんですよね。
YouTubeは、自分がふだん観ている動画の「関連動画」が表示されやすくなっていて、自分から積極的に興味の範囲を広げていかないと、なかなか新しいジャンルの動画にはたどり着けない、という面もあるのです。

いくつか『谷桃子バレエ団』の動画を観てみたのですが、この本を読んだこともあって、出演している団員さんたちは映像ではこんな人たちなんだな、絶賛されている「レベルが違う踊り」って、こんな感じなんだな、と、より興味深く見ることができました。

演劇の舞台やコンサート、落語などは、生で観るのに比べると、同じ作品のはずでも、中継映像やDVDで観ると「うまくノレない」というか「集中して観ることができない、いまひとつ楽しさを感じない」と、ずっと思ってきました。
もちろん、「観られないよりはマシ」なのだけれど、観客の反応や、その場の緊張感、何かトラブルが起こるかもしれない、うまくいかないかもしれない、という暗い期待も含めての「ナマの魅力」なのでしょう。

著者は、『進撃のノア』やホスト界の帝王として知られるローランドさんを通じて歌舞伎町ホストの世界を描く『THE ROLAND SHOW』などの動画を制作している会社に勤めている方です。
もともとは芸人志望だったのが、自分の才能では表に出るタレントとしては難しいと考え、テレビの制作会社に入社し、そこでキャリアを積んで、26歳のときにフリーランスの映像制作ディレクターとして独立しました。
27歳のときに現在の会社に入って、動画制作の場をテレビからネット(YouTube)に移しています。

バレエの世界に興味があったわけではなく、YouTubeでのアピールを目指した慢性的な経営苦境に陥っている谷桃子バレエ団からの依頼を受けた会社から、動画制作担当者として指名されたのが、きっかけだったのです。


2023年2月に、谷桃子バレエ団の運営担当者と面談したときのことは、こう書かれています。

バレリーナの密着ドキュメンタリーをYouTubeで公開したいんです」
 会議室の席に座るなり、目をキラキラと輝かせながら彼女は言った。どうやら、僕が勤める会社が制作しているキャバ嬢密着YouTubeチャンネル『進撃のノア』の視聴者らしい。『進撃のノア』チャンネルでは、通常のプロモーション動画のようにキャバ嬢のキラキラした姿だけを映し出すのではなく、リアルで生々しい裏側をドキュメンタリー方式で撮影し、配信している。それと同じ手法でバレリーナを撮れば「バレエを知らない人へのアピールと集客に繋がる」と考えたのだという。
 あまりにも斬新すぎる考えに少し動揺したが、その真剣な目つきから、冗談を言っているようには見えなかった。
 とはいえ、バレエの密着となると一般的に考えて「なかなか難しい」というのが正直な感想だった。
 そもそもキャバクラは、夜の街のアンダーグラウンドなイメージから、その世界を覗いてみたい、と興味を持つ人が一定数いるジャンルだ。泣く泣く終わってしまった女性インフルエンサーの夜のお店オープンの密着も同様に、色々な興味から裏側を覗いてみたいと思う人は多いだろう。
 一方、バレエと縁のなかった一般的な28歳男性の意見として、バレエの世界を深掘りした動画を見てみたいかといえば首を傾げたくなる。


僕も「バレエは、舞台芸術のなかでも、ちょっと敷居が高い」印象があるのです。
この制作会社がこれまでつくり、人気となった動画を考えると、「老舗バレエ団が、思いきったことをしたものだなあ」と感じます。
日本の三大バレエ団の次のグループに位置づけられる谷桃子バレエ団でさえ、集客・経営はかなり厳しく、多くの団員たちはバレエ団からの給料や公演の報酬だけでは生活できず、バレエを習う子どもたちに教える仕事や飲食店などでのアルバイトで稼ぎ、バレエ団に「団費」を納めている、という状況なのです。


アメリカのプロバレエ団に所属していた21歳の森岡恋さんは、コロナ禍の影響で日本に帰国、2年間の会社員生活後にバレエに復帰し、谷桃子バレエ団に所属しています。
この取材当時、森岡さんはバレエ団の練習後に週5回カフェでアルバイトをして生計を立てていました。

 バレエをしたくて上京したのに、蓋を開けてみればカフェでコーヒーを淹れている時間の方が長いという現状について、どう思っているのか。
「もどかしいですよ。もちろんバイトの時間を練習に充てればもっと上手になれるはずだけど、そうかと言って練習時間にはお金は発生しないから、バイトをしないわけにはいかない。バレエよりもラテアートの腕がどんどん上達していくんです」
 恋さんは淡々と話すが、これは果たして笑っていい冗談なのか、と逆に困惑してしまう。
 そんな恋さんの話を聞いて、ある言葉を思い出した。
「好きなことで、生きていく」
 少し前にYouTubeが掲げたキャッチフレーズだ。
 しかし現実はそう甘くない。もちろんバレエ界に限ったことではなくて、どの業界もきっとこんなような現実が腐るほどあるとは思う。しかし、バレエは舞台上が華やかなだけに、そのギャップが激しい。バレリーナの実際の生活を見てそう思った。
「好きなことで生きていけない現実」がある一方で、バレリーナは「バレエの教え(先生)」をバイトにする人が多いという。なぜならその需要が日本ではとても多いからだ。
 密着開始前に調べたネットの情報にあった通り、「習い事としてのバレエ」においては日本はバレエ大国なのだ。
 そんな需要に対して「プロバレエ団に在籍している」という、ある種のブランドを使って集客をし、自ら教室を持ったり、講師として外部の教室に招かれ、その指導料で稼ぎを得る。それが一つのビジネスモデルとしてバレエ界では確立されている。「自らが踊る」よりも「教える」ことの方が稼げる。そうして教わった生徒がプロとなり、再び教える側に回る。こうして日本のバレエビジネスが形成されている。
 やはり海外のように、「プロとして踊るだけで食べていく」というのは日本ではかなり困難な道らしい。
 バレエの教えのバイトはしないのかと恋さんに聞くと、「まだ教えられるような立場ではないので」と即答された。


でも、芸人やプロスポーツ選手も、下積み時代はこんな感じだよなあ、とも思ったんですよ。
著者は、谷桃子バレエ団のプリンシパル(公演では主役をつとめる、団員のトップ階級)の永橋あゆみさんに、こんな質問をしています。

「永橋さんのようなプリンシパルだと、最高年収はどれくらいなんですか?」
 バイト生活で苦労する新人バレリーナたちが目標とするプリンシパル。彼女たちの努力の先にはどれほどの夢が待っているのか? その答えを聞きたかったのだ。
「一番良い時で700万円くらいですかね」


この「700万円」というのは、バレエ団の仕事以外のゲスト出演や「教え」の仕事を「めちゃくちゃ頑張った年」の年収だそうです。
芸能人や人気スポーツのプロ選手は、下積みの生活は厳しいけれど、成功すれば億単位の収入が期待できるのに、日本のバレリーナは、トップクラスになっても、このくらいなのです。
もちろん、700万円は低い年収ではないけれど、いろんなことを犠牲にし、厳しい練習を続けて上り詰めた結果としては、「(金銭的には)あんまり夢がないなあ」と思わずにはいられません。
それでも、ステージで主役を演じ、観客の喝采を浴びることの魅力には抗えない、ということなのかもしれませんが。


芸術としてのバレエを愛好する人たちや、バレエ団の内部からも、「内幕や経済的な状況を暴露する」ことへの危惧や反感が噴出してくるのです。
著者は、視聴者に興味を持ってもらうためのセンセーショナル、あるいは下世話だったり、バレリーナのプライベートに踏み込んだ動画と、芸術としてのバレエそのものの魅力を伝えること、の間で悩み続けています。
動画の撮影を通じて、谷桃子バレエ団やバレリーナたちの成功を目指していくのですが、自分自身の映像ディレクターとしての名声も意識せずにはいられなかったのです。
 
読みながら感じたのは、「芸術としてのバレエの素晴らしさを信じきっている人」が谷桃子バレエ団の動画を制作していたら、ここまで話題になったり、再生数を稼げたりはしなかっただろう、ということなのです。
もともとバレエに興味がなかった著者だったからこそ、「バレエは敷居が高い、と思っている大多数の人たちは、素晴らしい踊りを見られる映像よりもバレリーナの日常や懐事情の方が希求力があるはず」だと割り切れた。

ただしそれは、本来、谷桃子バレエ団が、伝統として守ってきたアーティストの「聖域」みたいなものに土足で踏み込んでいくものでもありました。
発信者が「見せたいもの」と、視聴者が「見たいもの」は、同じとは限らない。
いや、ほとんどの場合、その両者は相反していて、発信者が見せたくないものほど、視聴者の興味をひきやすい。

観客には、この動画でバレエそのものの魅力を知り、公演を実際に観てハマった人がいて、バレリーナの「プライベートでの素顔」を見てファンになり、アイドルを応援する感覚でチケットを買った人もいました。
明らかに技術的に優れたバレリーナが主演する公演よりも、動画で人気になった若いバレリーナ主演の公演のほうがチケットの売れ行きが良い、というのは、「よくわかる」のだけれど、バレエの伝統を守ってきた組織としては、複雑な心境ですよね、きっと。

率直なところ、このネット時代においては、観客も「ネットのコンテンツを通じて感情を揺さぶり、財布のヒモをゆるめるプロモーション」に慣れてきていることも感じます。
これだけ動画が再生され、話題になっていても、チケットが売れまくり、即日完売してしまう、というほどでもないのか……
この動画は、確かに宣伝効果は高そうだけれど、一時的に効く「劇薬」みたいなもので、長い目でみてプラスになるのかどうか。
かえって、長年芸術としてのバレエ団を地道に支えてきた人たちが離れていく可能性もあります。
それはバレエ団も著者もわかっていて、それでも、現在を生き延びなければならない、という切実な状況なのだろうけど。

いまや、「炎上することすら、難しい時代」になってきています。
多少の「本音公開」では、誰も見向きもしてくれない。
そんな時代に、「伝統やアーティストとしての矜持」と「情報公開やファンビジネス」の折り合いをつけて生き延びていくこと、守るべきことと壊しても仕方がないものについて、考えずにはいられませんでした。


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