琥珀色の戯言

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【読書感想】境界知能の人たち ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

だから生きづらかったのか!
7人に1人、日本に約1700万人いるとされる「境界知能」の人たち。

言語化が苦手、仕事の段取りを覚えられない、行動がワンテンポ遅い、対人関係の距離感が極端、金銭管理ができない、ダマされやすい……
困っているのに気づかれなかった人々の実態とは?

当事者を見てきた第一人者の医師が、
現状から事例、支援策まで、全体像をわかりやすく解説する。

【本書のおもな内容】
●なぜIQ70~84が境界知能となったのか?
●診断ができない・つかないことの苦悩
●「境界知能=非行少年」は本当か?
●医療、福祉、保健、心理、教育で見落とされてきた
●発達障害や知的障害との関連性とは?
●愛着障害やうつ病で気づかれなかった事例
●国内外でどんな支援が行われているのか?
●サポートが必要になる人の「9つの特徴」


「境界知能」とか「知能」という言葉が出てくると、なんとなく、IQが高い人たちの選民意識、みたいなものを感じることがあるのです。

僕自身、子どもの頃から、いま使われている言葉にすると「発達障害」的なところがあって、忘れ物が多かったり、予定を詰め込みすぎてうまく消化できなかったり、対人コミュニケーションが苦手だったりしていました。

スケジュールはスマートフォンに入れることができて、いろんな予約が人相手の電話ではなく、相手の都合を気にしなくてもいいネットでできるようになった現在は、かなり生きやすくなった気がして、今の時代の子どもだったらなあ、と思わずにはいられません。

その一方で、インターネット社会には、「つながらないほうがいい人と、つながってしまう」という大きなリスクもあるわけですが。

以前、精神科の医師と話をしていた際に、言われたことがあります。

「発達障害で生きづらさ、適応の難しさがあっても、結局は『知能』の影響が大きいんですよね。『知能』が高ければ、なんとか適応していける子が多いので。もちろん、知能が高くても、発達障害だと、はまりやすい問題はあるのですけど」

医療関係の仕事をしていると、「勉強はできるのかもしれないけど、人としてどうなんだこいつは?」と感じることも少なからずあります(僕もけっこうそう思われているのではなかろうか)。でも、「人より勉強ができる」という「正規分布から外れた部分をもつ」ことを求めながら、「バランスが良い、平均的な人格」でなければならない、というのは、それはそれでちょっと都合がいい話だよなあ、と言いたくもなるのです。


この本では、「境界知能」について語られているのですが、内容としては、初学者、あるいは、「境界知能」というのを悪口だとしか感じない人たちへのかなり基礎的な啓蒙書、という印象でした。

「知能」とか「頭がいい、悪い」についてメディアでおおっぴらに語るのは、僕が子どもの頃、半世紀くらい前からずっと、「差別的」だとみなされてきた感があります。
それが、21世紀に入って、とくにこの10年くらいは、進学塾の内側以外でも、「頭がいい」というのが肯定的に公の場で使われることが増えています。

そして、「頭が悪い」というのも、ネットスラングだけではなくなっています。
「知能が低い」「情報処理能力や善悪の判断能力に問題がある」人たちに周囲や組織はどう接していけばいいのか、という社会問題として認識されつつあるのです。


この本の著者も、ベストセラーとなった『ケーキの切れない非行少年たち』という新書について言及しています。

fujipon.hatenadiary.com

『ケーキの切れない非行少年たち』のなかに、こんな記述があります。

 医療少年院では、新しく入ってきた全ての少年に対して、毎回2時間ほどかけて面接を行っていました。通常、非行少年の面接となると、なぜ非行をやったのか、被害者に対してどう思っているかといったことをメインに聞くことが多いのですが、実はそういったことを聞いても更生にはあまり役に立たないことが分かってきました。少年院在院少年たちの幼少期からの調書を読んでみると、彼らは少年院に入るまでに、これでもか、これでもかというくらい非行を繰り返しています。少年院に赴任したての頃は、凶暴な連中ばかりでいきなり殴られるのではないか、といつも身構えていました。しかし、実際は人懐っこくて、どうしてこんな子が? と思える子もいました。
 しかし一番ショックだったのが、


・簡単な足し算や引き算ができない
・漢字が読めない
・簡単な図形を写せない
・短い文章すら復唱できない


 といった少年が大勢いたことでした。見る力、聞く力、見えないものを想像する力がとても弱く、そのせいで勉強が苦手というだけでなく、話を聞き間違えたり、周りの状況が読めなくて対人関係で失敗したり、イジメに遭ったりしていたのです。そして、それが非行の原因にもなっていることを知ったのです。
 その他、高校生なのに九九を知らない。不器用で力加減ができない、日本地図を出して「自分の住んでいるところはどこ?」と聞いても分からない、といったこともありました。北海道は大体みんな知っているのですが、九州を指さして「これは何?」と聞くと、「外国です。中国です」と答えた少年もいます。ひどくなると日本地図を見せても、「これは何の図形ですか? 見たことないです」という少年もいます。


『境界知能の人たち』の著者は、「境界知能」について、冒頭でこのように説明しています。

 では、境界知能とは何を意味するのでしょうか。
 境界知能は、知能検査の数値(いわゆるIQ)で、70から84の範囲にある状態のことをいいます。知的障害と平均値のボーダーにあるということです。
 かつて、知能障害で85未満(ここでいう境界知能と正常の線引きライン)が、知的障害(当時の用語では「精神薄弱・精神遅滞」)の診断基準に組み込まれていた時代もありました。現在の境界知能を知的障害に加えるという基準です。
 ただ、ほどなくして70という数値がボーダーとなりました。その理由は、境界知能の人たちを支援に結び付けようというアメリカの支援団体の考えとは別に、当事者からも障害者とされることやレッテル貼りへの反発があり、さらには正規分布に基づく理論値上では14%とあまりにも対象が多かったからと考えています。
 日本の人口の約1700万人、7人に1人が境界知能に該当すると想定されますが、この段階で支援対象から外れたことになります。
 
 
 境界知能と経度知的障害の線引きは、知能検査の数値を用いて行われていますが、生活機能障害を含めた診断上の線引きは難しいと言えます。
 実は、境界知能とは診断名ではありません。だからこそ、周囲から理解されず、境界知能の人は、学校や就労、社会生活において、学習、対人関係、自己管理の困難や生きづらさをかかえていることが少なくありません。そのため、成人期になっても家族のサポートを必要としている当事者も多いのです。
 知的障害と診断されれば、個別の配慮や支援が受けられますが、境界知能はそうしたシステムから除外されており、教育、医療、福祉、精神保健などのさまざまな支援に結び付いていません。
 境界知能は気づかれないことも多く、周囲の無理解やいじめ、子ども本人の自己肯定感・自尊感情の低下、傷つきから、2次障害として、精神疾患、不適応、非行などの状況を呈してはじめて、医療や福祉、司法の現場で気づかれることもあります。


「7人に1人」か……
小学生、中学生時代のことを思い出すと、クラスに1人、2人くらいは、「日常生活に大きな支障があるわけではないけれど、なんかかみ合ってないというか、居心地悪そうだな……」と感じる同級生がいたと思います。

でも、「境界知能」というのは、そういう「すぐに思い当たるくらいの異変」ではなくて、なんかあいつ人の話を聞いてないな、とか、頼んだことをすぐ忘れてしまうな、悪いヤツじゃないんだけどなあ……くらいの「こういうやつもいる、の範囲内」であることが多いのかもしれません。
それが、年齢を重ねて、仕事や社会生活で「効率や成果」が求められるようになると、さらにドロップアウトしやすくなってしまう。

ただ、「7人に1人」というのは「異常」なのか?と問われると、僕も考え込んでしまいます。
本人がつらい、というのはわかる。でも、残りの6人だって、程度の差こそあれ、それなりに生きること、働くことはつらい。
100人、200人にひとりであれば、それは「正規分布の外」として特別扱いすべきなのかもしれないけれど、7人に1人というのは、もう「個人差」の範疇ではないのか。

そもそも、現実問題として、そんな大勢を支えられるだけのお金や人的資源を、いまの社会は投下できるのか?

「知的障害」は公的に支援してもらえる。
「境界知能」は「かなり生きづらい」けれど、「標準により近いから支援対象にはならない」。でも、本人たちは、そのレベルで「知能が低い」とレッテルを貼られることに抵抗があるし、社会にもそこまで支援する余裕はない。

知能指数が84だったら「境界知能」でサポートを受けられて、85だったら「標準」と診断されるのだとしたら、その「1」って、本人たちの能力差がそんなに大きいのだろうか?

実際は、数字だけではなく、「生活そのものに大きな問題(トラブル)が生じているか」という適応能力も診断においては重要視されてはいるのですけど。


著者は、この本のなかで、「サポートが必要になる境界知能の人の特徴」として、以下を挙げています。

・学業に困難さをかかえる子ども(1学年下の内容も理解できていない)
・発達障害で一般の支援が届きにくい場合
・対人関係の構築が難しい場合
・愛着に困難さをかかえる場合
・治療抵抗性の痛み
・死にたいと考えることがある、自傷行為がある
・目立たず、その場を何とかやり過ごす子ども
・環境の変化に弱い子ども
・いじめの被害(一部加害)の子ども

これらの項目の重なりが多いほど、支援ニーズは高くなるそうです。
また、親や周囲の人のサポートで、子どもの頃や学生時代は大きなトラブルが起こらず過ごせていた人でも、大学に入ってひとり暮らしをしたり、就職したりすることがきっかけで、うまくいかなくなって病院で診断される、ということも多いのです。

逆に、周囲の理解があったり、ストレスが少ない環境であれば、本人も気づかないまま「普通の生活」をおくっていくこともできるのです。

この本では、諸外国の知能障害の子どもたちに対する教育や、現在、境界知能に対して、どのようなアプローチを専門家は行っているのか、などが紹介されており、巻末には「境界知能かどうかを考える所見リスト」も掲載されています。
幼児期、学童期、思春期、青年期など時期をわけて、さらに学校や家庭内などのシチュエーションによる行動の特徴も紹介されているので、自分や家族が境界知能の可能性があるかどうか気になるかたは参考になるはずです。
参考文献もきちんと紹介されているので、「境界知能」について「煽情的ではなく、きちんと知りたい。でも専門書は敷居が高すぎる」という人には「最初の一冊」としておすすめします。


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