
アカデミー賞7部門にノミネートされた「オデッセイ」の原作「火星の人」などで知られる作家アンディ・ウィアーのベストセラーSF小説を映画化。滅亡の危機に瀕した地球の運命を託された中学の科学教師が、宇宙の果てで同じ目的を持つ未知の生命体と出会い、ともに命を懸けて故郷を救うミッションに挑む姿を描く。
太陽のエネルギーが奪われるという原因不明の異常現象が発生。このままでは地球は冷却し、人類は滅亡してしまう。同じ現象が太陽だけでなく宇宙に散らばる無数の恒星で起こっていることが判明し、11.9光年先に唯一無事な星が発見される。人類に残された策は、宇宙船でその星に向かい、太陽と人類を救うための謎を解くことだった。この“ヘイル・メアリー(イチかバチか)”プロジェクトのため宇宙に送り込まれたのは、優秀な科学者でありながら学会を去り、いまはしがない中学教師をしていたグレースだった。
2026年4作目の劇場鑑賞。平日のレイトショーで、観客は15人くらい。中高年男性率高め(母数が15人なので有意差は判定不能)、とにかくオッサンのSF心をくすぐりまくる映画だとは思います。
ちなみに原作はKindle版がセールのときに喜んで買ったのですが、そのまま積んでいます。ほとんど予備知識なしで観ました。
冒頭にAmazonのロゴが出てきて悪い予感がしたのですが、たいへん良い映画でした。
うん、SF。
色々とご都合主義なところはあるし、こんなにうまくいくものなのだろうか、でも映画の中くらい、うまくいってもいいか、とは思うんですよ。
でもなんだか久しぶりに、ABテストでストーリーが決められた感じがしないというか、この先、何が起こるんだろう?予測がつかないな、とワクワクするような映画でした。
「どんでん返しのためのどんでん返し」にもなっておらず、SF的なある程度のリアリティと人間(?)ドラマがうまくミックスされていて、2時間半オーバーの長さも感じなかったのです。
間延びする部分がなかった、といえば嘘になるんだけれど、異文化生物とのコミュニケーションって、実際は地道で面倒くさくてリスクがあるし、そもそも噛み合わないものである可能性が高い、というのを映画的なエンターテインメントの枠内でなんとか描こうとしていたのは伝わってきました。
異文化とのコミュニケーションのためにグレース博士が試行錯誤しているのをみて、『ピダハン』という本を思い出したのです。あと、ちょっと前にSteamでプレイした『ステラーコード』というゲームも。『ステラーコード』は、この原作小説にかなり影響を受けたのではないかと思います(原作未読ですけど)。
なんかわかりやすい「異生物」ではあるなあ、と思いつつも、「バディもの」としての魅力も素晴らしい。
ベタといえばベタなんですけど、人間とエイリアンの厚い友情に比べて、人間と人間の関係性の冷酷さときたら!
異文化交流のプロセスにもどかしさを感じたり、大事なものを地球に送るシーンに「そうだよなあ、時代劇では伝令は1人だけど、実際の合戦では途中で捕まったり殺されたりすることを想定してけっこう大勢の伝令を送っていたみたいだし!」と納得したり、ディテールが「ハードSFっぽい」ところに惹かれます。
そういう「溜め」や「世界観」がしっかり効いているからこそ、この映画は、ほとんどライアン・ゴズリングさんの一人芝居なのに、スクリーンに宇宙が見える。
ライアン・ゴズリングさんが演じるグレース博士のカッコ悪さが、すごくカッコよく感じるようになってくるのです。
そもそも、なんでこんな時系列が前後する構成になっているんだ?意味ある?
そう思いながら観ていたのですが、最後まで観て、その「意味」がわかったような気がしました。
「大義のために、自分が、あるいは誰かが、犠牲にならなければいけないのか?」
それはとても難しい問いで、僕も東日本大震災のとき、原発に向かった人たちに「済まないがみんな(というか僕とその家族と知り合い)が生き残るために頑張って(場合によっては犠牲になって)くれ……」と思わずにはいられませんでした。
嫌なら逃げればいい、とは言うけれど、
「僕はエヴァ初号機のパイロット、碇シンジです!」って、乗っちゃうよねやっぱりそういう「空気」にさらされると。
で、みんな言うんだよ「嫌ならやらなくていい、ってこっちは言ったのに」ってさ。
グレース博士の選択を確かめて、僕は村上春樹さんの『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』のラストを思い出しました。
僕は当時、あの小説のラストに「こんな放り出されたような締めでいいのか?」という疑問と、不思議な安堵というか、美しい静寂の完成、みたいなものを感じました。
グレース博士は、「みんなのため」に、やるべきことをやった。
でも、そうやって「組織の、メンバーの一員としての責任」を果たした後、博士は「ひとりの生き物としての自分」の声を聞き、「誰かを犠牲にすることを正当化する空気」に流され続けることに抗った。
「自分がやるべきことはきちんとやる。でも、馴れ合ったり、価値観を無理に共有したりするのは違う」
ああ、定時に帰る、飲み会には出ないおじさん!
実際のところ、ネットに繁殖している「定時の人」たちの多くは「自分が定時に終わることが最優先になり、その皺寄せが同僚に及んでいても気づかないフリをしている」ように僕には見えるのです。
少しずつ世の中は変わってきていて、有休も定時帰りも飲み会キャンセル勢も包摂されるようになってきたけれど、みんなが「自分の都合」ばかりを主張していたら、どうしても「隙間」みたいなものが仕事にも人間関係にも広がっていくのも現実です。
この映画の清々しさは、やるべきことはやって、そのうえで、本当にやりたいことを見つけたグレース博士の「再生」と「解放感」が伝わってくるから、なのだと思います。
みんなの仕事を効率的に終わらせて、定時に帰ろう。そのための協力はする。その後の飲み会には付き合わないけどな。
ライアン・ゴズリングさん、やっぱり好きだなあ。
この映画を観て、『プロジェクト・ヘイル・メアリー』の原作も読んでみたいと思いました。
たぶん、異文化との相互理解のプロセスとか資料に対する科学的な検証とかが、もっと詳細に書かれているだろうから。
映画的には、これ以上丁寧にやるとウケない、間延びする、というギリギリのラインなんでしょうね。
ネットで感想を見ると「ゆっくりとした映画」というのが多かったから。
僕の子供たちをみていても、動画視聴とゲームを並行して、とか、映画も倍速とか、情報処理をどんどんこなしていかないと脳が満たされないように感じるので。
こういう映画こそ、映画館の大画面で、スマホを切って宇宙に浸ってほしいなあ。
……制作はAmazonなんですけどね。これも世界の現実か。
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