内容紹介
知的好奇心を刺激する「アカデミー賞」へようこそ!「アカデミー賞」ーーその授賞式は万人を魅了してやまない極上のエンターテインメントショーであり、上質な映画作品との出会いに満ちた祭典。本書は、映画会社に23年間勤務しながらアカデミー賞の受賞予想をし続けてきた著者が、歴代の授賞式における心震える名スピーチや驚天動地のハプニングなど選りすぐりのエピソードを紹介しつつ、誰にでもできる受賞予想テクニックを余すことなく伝える一冊です。受賞作品を予想することによって、アカデミー賞独自の魅力はもちろん、受賞傾向から人種や性差別問題といった現在進行形のアメリカの社会情勢も透けて見えます。さあ、きらめく「超一流」の饗宴に酔いしれましょう。
ジェーン・スー太鼓判!
”「最も優れた作品が受賞するとは限らない」と彼女に教えてもらった衝撃は、いまだ忘れられません!”
僕自身は、月に2本くらい映画館で観るくらいの「どこにでもいる、ちょっと映画が好きなオッサン」なのですが、著者の「アカデミー賞」と、その授賞式への思い入れの強さに触れてみて、「僕も、授賞式をちゃんと観てみようかな」という気分になりました。
私のオスカー観賞歴は高校生だった約30年前、第62回(1989年)に遡り、約20年前からは、映画好きの友人と趣味で「受賞予想」を行っています。
的中率は、2017年度(第90回/2018年3月発表)が24部門中21部門、2018年度(第91回/2019年2月発表)が24部門中15部門でした。21部門は出来すぎ、15部門は平均的な成績です。
各年の成績については詳細記録もしてないし覚えてもいませんが、目安として18部門を超えたら上出来、12~13部門だと読み違えた年、という感じ。良い年悪い年、どちらも経験があります。
現在のアカデミー賞は毎年2月に発表されますが、アカデミー賞の結果を大きく左右する”前哨戦”たるさまざまな映画賞は、前年の12月頃から続々と発表されます。私はその時期になるとソワソワがとまりません。というより、各映画会社が”アカデミー賞狙い作品”を続々と投入してくる夏の終盤くらいから、私のウォームアップは始まります。つまり私にとってアカデミー賞は、2月だけの行事ではなく、1年の半分くらいをかけて楽しむ祭典なのです。
「オスカーはおもしろい」というのは、予想外の結果に終わる、という点ではたしかに「おもしろい」のだけれど、毎年僕が応援している作品ではなく、地味なほう、小難しいほうが作品賞に選ばれているような気がして、なんだかなあ、とも思っているのです。
著者ほど長年アカデミー賞を見つづけていて、映画会社で仕事をしている人でさえ予想できなかった「番狂わせ」が、授賞式では少なからず起こる、ということに僕は驚いてしまいました。
映画ファンが「なんで?」と思うような結果でも、関係者にとっては「必然的な結末」であり、出来レースみたいなものなのだろう、と推測していたのですが、実際は、授賞式で自分の名前が読み上げられてびっくり、みたいなこともあるのです。
そういう意味では、本当に「おもしろい」ですよね。
第89回(2016年度)に、「作品賞は、『ラ・ラ・ランド』!」と間違えて発表されてしまったときのような悲劇も起こることがありますし。
(ちなみに、この年の本当の作品賞は『ムーンライト』でした。大喜びしていた『ラ・ラ・ランド』の関係者は、気の毒だったとしか言いようがありません)
オスカーに関しては、すべてをゲットしているようにみえる人気ハリウッド俳優や名監督たちにとっても「夢」であり、みんな心から受賞したいと思っているのです。
投票権を持つアカデミー協会員に作品を観てもらうためのDVDが送付されたり、「相手関係」をみて、「ダブル主演」だったはずのキャストの一人が「助演賞」のほうにまわされたり、というような「アカデミー賞対策」も行われているそうです。
アカデミー賞の予想が難しいのは、直前になって、「バックラッシュ」が起こり、風向きが変わりやすい、という理由もあるのです。
アカデミー賞が近づいてくると「今年のアカデミー賞最有力!」という映画が何本も公開され、「ああ、また盛っているな」と思うのですが、「最有力」の作品が、順当にそのままゴールするというのがけっこう難しいのも事実のようです。
アカデミー賞が大統領選挙にたとえられる理由のひとつに、「バックラッシュ」の存在があります。
バックラッシュ(Backlash=反発)とは、ノミネートされている有力作品や人物に対して起こる現象を指し、多くの場合は対抗陣営が仕掛ける、いわゆる「ネガティブキャンペーン」に起因します。
たとえば第90回で作品賞を受賞した『シェイプ・オブ・ウォーター』は、1969年に書かれた戯曲の内容に酷似しているとして、オスカー最終投票締め切りの直前、その戯曲を書いた劇作家の息子がLAの連邦地裁に提訴しました。この時はあまりに直前過ぎて、結局効果はありませんでしたが。
大小あれど、このようなバックラッシュは毎年必ずあります。
第91回で作品賞を獲った『グリーンブック』も、トロント映画祭で観客賞を受賞して絶賛された後、バックラッシュが始まりました。これは盗作疑惑や裁判ではなく、「白人が撮った、白人に都合のいい黒人映画だ」という批判です。
加えて、主役のヴィゴ・モーテンセンが、作品の宣伝においてヘイトスピーチの話題に触れ、その例文の中で「差別用語」と言う代わりにその差別用語自体を口にしてしまう「事件」があり、一時期この作品の批判は挽回不可能とまで思われました。
しかし『グリーンブック』のバックラッシュは運良くシーズンの初期段階で起こったのでした。最終的な投票時期にはまた潮目が変わっており、最終的に本作は作品賞を受賞したのです。
バックラッシュによって受賞を逃したと思われる作品が、第89回の『ラ・ラ・ランド』です。同作は前哨戦で快進撃を続けていましたが、あまりにもすべての賞を総なめにするこの作品を、よく思わない人がいたのでしょう。オスカーが近づくにつれ、次第に「社会性の低いエンタメ映画にオスカーを与えてよいのだろうか」といった論調が強まっていきました。
結果として、黒人の貧困やデリケートなセクシュアリティの問題に切り込んだ、社会性のうんと高い『ムーンライト』が作品賞を獲得する、世紀の番狂わせが起こったのです。
第83回の作品賞ノミネート作『ソーシャル・ネットワーク』は、Facebook創設者マーク・ザッカーバーグをモデルにした作品で、前年秋からの前哨戦で褒めちぎられて話題になり、「オスカー確実」と言われていました。が、あまりにも批評家受けが良く、あらゆる場面で褒められすぎたため、オスカーが近づくにつれ「内容が正確でない(事実と違う)」との激しいバックラッシュが始まりました。
あまり順風満帆すぎると、それがバックラッシュの原因になってしまう、ということもあるんですね。
実際にあった出来事を映画化した場合には、大なり小なり、「ツッコミどころ」は存在するはずです。
やはり、受賞するには「運」も必要なのかもしれません。
どんなに良い作品でも、前年に同じような映画が受賞していたら、投票する側も「今年は違うタイプのものにしようかな」と思うこともありそうですし。
個人的には、『ムーンライト』より、『ラ・ラ・ランド』だし、『英国王のスピーチ』よりも、『ソーシャル・ネットワーク」なのだけどなあ。
かつてアカデミー賞絡みの作品の日本公開は、基本的に発表が終わってからでした。しかし昨今は本国公開と日本公開のタイムラグが詰まり、発表前にかなり多くのノミネート作品を観られるようになりました。アカデミー賞作品を配給する日本の配給会社が、「ノミネートされている間に公開するのが、もっとも集客につながりやすい」と気づいたからでしょう。
ということは、アカデミー賞を受賞すると日本での興行収入(入場料売上)は目に見えて上がるのでしょうか?
結論から言うと、作品賞については確実に上がります。監督賞、主演・助演賞は場合によっては影響しますが、ほとんど関係ないこともあります。
それ以外、脚本賞や国際長編映画賞などは「ないよりマシ」。「最多10部門受賞!」とかになった場合に、頭数としてあれば貢献する程度です。
第86回の作品賞『それでも夜は明ける』や第89回の作品賞『ムーンライト』は、いずれも社会的、倫理的な重要性が高い良質な作品ですが、テーマが重く地味なので、一般的に興行は難しい作品です。受賞という冠がなければ、おそらく興収は2000万~5000万くらいだったと思います。
それが、作品賞を獲ったことで、両作とも興収は3~4億円くらい行きました。元々のポテンシャルからすれば、何倍も稼いだわけです。
世の中には、僕のように、「アカデミー作品賞受賞作だから、とりあえず観てみよう」と考える人は、かなり多いみたいです。
ちなみに、作品賞以外の賞はあまり影響がないことも多いので、それならば、受賞作が決まる前に「アカデミー賞最有力!」と宣伝してしまったほうが効果的ではないか、と著者は指摘しています。
作品賞受賞作はひとつだけですが、決まる前に「最有力」って言うのは勝手ですから、と。
「なんでこの作品が選ばれた(選ばれなかった)のだろう?」という疑問を抱いたことがある人にとっては、ある程度、その「答え」を示唆してくれる内容になっています。
「結果が読めない」からこそ、アカデミー賞はおもしろい。