
寂しくもないし、孤独でもないけれど、じゃあこの心のモヤモヤは何だと言うのか 女の人生をナナメ上から見つめるブックガイド
- 作者: チェコ好き(和田真里奈)
- 出版社/メーカー: 大和出版
- 発売日: 2019/09/11
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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内容紹介
「“わかりみ"が過ぎる」「丁寧で優しくて鋭い。すごい人だ」「ポカリの浸透圧みたいに心に入ってくる」と共感度200%の人気コラムニスト、待望の初書籍!
恋から親まで、しんどい毎日がラクになるメッセージと本を教えます。
僕は『チェコ好きの日記』をずっと読んでいて、いつも悔しい思いをしてきたのです。
チェコ好き(和田真里奈)さんが書いている文章を読んでいると、「ああ、僕も本当はこういうのが書きたいのにっ!」って、羨ましくなります。
かゆいところに手が届いているというか、うまく言葉にできないことを言語化するのが、ものすごく上手い人なんですよ。
「女の○○」とかいう本は僕にとっては全くストライクゾーンではありませんし、この本のなかで何度も出てくるフレーズ「32歳、独身、彼氏なし、非正規雇用」というのは、かえって、この著者のキャラクターを損なっているのではないか、という気もします。
読んでみると、「結婚を意識しながら、10年以上付き合っていた彼氏がいた」とか、「(非正規だけど)IT企業に勤めながら、コラムを寄稿している」とか、いろんな海外にすいすいと出かけていく、というような、かなりハイスペックな要素満載で、僕が同世代だったら、この人に「わたしも独身、(いまは)彼氏なし、非正規なんですよ。共感します〜」なんて言われたら、「何マウンティングしてんだよボケ」って言いたくなりそうです。
みんなそれぞれ、生きにくい世の中ではあるんですけどね。
僕にとってのチェコ好きさんの魅力って、そういう「共感商売」みたいな浮世の習いからズレているところ、ふわっと、さらっと書きながらも、世の中の「普通」に挑戦状を叩き付けているところにあるのです。
この本のなかで、著者が都内のキャバクラに体験入店していたことがある、という話が出てくるのです。
僕はキャバクラというところに、連れられて何度かしか行ったことがないし、いくら相手が感じの良い女性でも、知らない人に気を遣いながら「なんか面白い話してよ〜」とか言われてお金を払うのは不本意なのです。
これでゲームソフトが2本は買えるな、とか、今月の本代にしたかった……とか考えてしまいます。
でも、以前、職場で気の合う同僚と東京で飲みに行ったとき、「有名大学の学生、院生だけが在籍しているキャバクラ」という看板に、なんだかすごく心惹かれたことを思い出しました。僕は昔から、頭がいい、自分の知らないことを知っている人というのが好きなのです。相手は僕のようなバカは嫌い、というパターンが多かったけれども。
あの店、どんな子が、どんな話をしてくれるんだろう?と、みんなでけっこう盛り上がった記憶があります。
結局、その店には行かず(東京で知らない店に入るのは怖かったし、「ぜひ行ってみたい!」って言うのも恥ずかしかったので)、チェーン店の居酒屋でもう少しだけ飲んで帰ったのですけど、10年くらい経っても、なぜか、「あのとき、行ってみればよかったな」なんて、ふと思い出すことがあるのです。
僕のなかでのチェコ好きさんというのは、そういう店で、僕にとっては面白い、ちょっとマニアックな話をしてくれそうな人、なんですよ。
とある学校に勤める40代の男性教師が、20代の女性教師に対して不適切なLINEのメッセージ(「君を食べちゃうぞー」など)を送ったとして、セクハラを訴えられ懲戒処分を受けたというニュースがあった。
私は妥当な処分だと思ったのだが、知り合いである20代前半の女の子・Mちゃんは、そうは考えなかったらしい。
「これはさー、男の人のほうがかわいそうじゃない? それくらい、上手にいなれなくてどうすんのさ」
男性からの軽いボディタッチやちょっとエロいメッセージくらい、手のひらで転がしていなすもの。Mちゃんのように考える女性は年齢に関係なく存在し、またそういう女性は、男の扱いがうまいのでたいていモテる(Mちゃんもすげーモテる)。
大勢の男性にちやほやされてモテることと、対等に意見を言い合える生涯のパートナーを見つけられることはちょっと違う話とはいえ、まあやっぱり人の世なので、モテる人間が自信を持って何かを発言すると「そういうもんなのかな……」という謎の説得力は発生する。
私はあのときMちゃんに、「そんなのダメだよ、不当な扱いに対してはきちんと訴えていかないと!」と反論すべきだったのだろうか。なんとなく流してしまったのだけど、私はMちゃんに言うべきだった言葉を、こうして今も探している。
こういうのがまさに「心のモヤモヤ」なんだろうなあ、と思うのです。
「そんな女がいるから、女性にセクハラめいた言動をする男が絶えないのだ」というのはまさに「正論」なのです。
でも、Mちゃんのような生き方を全否定することができるのだろうか、それは「正しいこと」なのだろうか、と著者は問いかけてきます。
セクハラや#MeToo、男女の問題も、「抑圧する男性」「抑圧される女性」なんて、きれいに分かれた単純な構造で考えることはできない。
繰り返しになるが、私はMちゃんにどんな言葉をかけるべきだったのだろうか。
考えられるのは「何か特定の態度を他人に強要しないほうがいいんじゃないかな」ということである。
Mちゃんは男の人を手のひらで転がすのがうまいので、きっと、上司からちょっとエロいLINEが届くくらい、彼女ならうまく利用できるだろう。私は彼女のその能力を、古くさいだとか、自立できていないだとか、男に媚びてるなどと言いたくない。MちゃんはMちゃんの能力を、存分に使って世を渡っていけばいい。
だけど、同じ能力を使うことを他人に強制しないほうがいい、かもしれない。
同じ女性とはいえ、男の人をいなすのがうまい人もいれば、下手な人もいる(ちなみに私はものすごく下手なんだけど、男の人から不快なLINEが来た場合はそれがどんな立場の人間であれかなりはっきりと拒絶するので、セクハラ被害にあったことは実はあまりない)。
Mちゃんのような人は特技を活かしてうまくやっていけばいいのだけど、それが苦手な人に、「それくらいできなくてどうすんのさ」などと言ってはだめなのだ。
同じように、不当な扱いを受けたと感じた人は加害者が処分されるよう動くべきだけど、Mちゃんのようなタイプの女の子を「あなたは女性の敵」などと言って糾弾してはだめだと思う。
これを読みながら、僕は「そのとおりだなあ」と頷いていました。
「女を武器にする」のが得意な人にとっては、女性全体の権利向上のために、自分の得意技を封印させられるのは不本意な場合もあるはず。
お互いに「相手の得意技を尊重する」のがベストだよね。
しかしながら、これを現実のシチュエーションに落とし込んでみると、Mちゃんのような人と、「セクハラは絶対に許せないし、女のほうも『女を武器に』するな!」という人が共存するのは難しい、とも著者は述べているのです。
ああ、たしかにその通りだよなあ。
そこで、なんとか落としどころをみつけていくのが現実というものだし、そのための努力を放棄したくない、というのが著者のスタンスなんですね。
そういえば、同僚の女性が「街でナンパとかスカウトとかされると鬱陶しくてイヤだけれど、全然そういうことをされなくなると、それはそれでちょっと寂しい」と話していました。どっちなんだよ!って言いたくなったのですが(言いませんでしたが)、たぶん、どっちの感情もある、のだろうな。
なんでも白黒つけて、自分の「正義」を押し通そうとする人がもてはやされやすいネット社会のなかで、著者の「人間はグレーゾーンのなかで、折り合いをつけながら生きている」というスタンスは、「売れづらい」と思うのです。
だからこそ、貴重な存在でもあるのでしょう。
フォークナーやモリスンの物語が教えてくれるのは、「誰かひとり、決定的に悪い奴がいて、その人物さえ改心させれば、私たちは平和に暮らせる」という考え方は誤りだということである。
誰の心の中にも「悪」はある。
それが環境によって、表出してしまっている人と、表出させないで上手く自己処理できている人がいるだけなのだ。
どちらとも言えないことを、どちらとも決めつけないまま言葉にするのは、けっこう難しい。
そういう難しいことが、すごく丁寧に行われている本だと思います。

- 作者: チェコ好き
- 出版社/メーカー: 学研プラス
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- 作者: 東浩紀
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