琥珀色の戯言

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【読書感想】世界史の分岐点 激変する新世界秩序の読み方 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

近いうちに、「世界史の分岐点」が訪れる。日本も世界も、その激動に呑み込まれるだろう。避けることはできない。本書は、それがどんなものか、なぜ起こるのか、詳しく論じている。ビジネスにたずさわる人びとも、市井の人びとも、その備えをしたほうがよい――(「まえがき」より)経済、科学技術、軍事、文明……「知の巨人」が語りつくす、新しい時代を読み解く針路。 第1章 経済の分岐点
――「アメリカ一極構造」が終わり、世界が多極化する

第2章 科学技術の分岐点
――人類の叡智が、新しい世界を創造する

第3章 軍事の分岐点
――米中衝突で、世界の勢力図が塗り替わる

第4章 文明の分岐点
――旧大陸の帝国が、覇権国の座を奪う


 社会学者の橋爪大三郎さんと作家・元外交官の佐藤優さんの対談形式での「大きな変化が訪れる『世界史の分岐点』」について。

 ずっと日本で生活していると「失われた20年」とか言われているし、誰がリーダーになっても、なんかあんまり代わり映えしないなあ、なんて気分にはなるのですが(岸田総理になった、株価は下がったけれど)、元外交官の佐藤優さんは、中国の「大国化」と日本外交の変化についてこんな話をされています。

佐藤優そしてもう1つ、中国について理解しておかなくてはいけないのは、いかにウイグルが中国にとって大きい問題か、です。
 中国にとって台湾は「今あるものにプラスできるかもしれない」。実効支配できる領土を拡大するという問題に過ぎません。いってしまえば、強く出て台湾が取れたらラッキーという話です。しかしウイグルは「今あるものからマイナスされてしまうかもしれない」という、領土保全の本質にかかわる問題です。ウイグル独立運動が起こり、今以上に本格的に国際問題化でもしたら、領土の一部を削り取られかねない。つまり中国にとって、実は「攻め」の問題である台湾よりも、「守り」の問題であるウイグルのほうがはるかに深刻なのです。その点、日本のメディアは比重を間違えていますね。本当は台湾よりもウイグルのほうを大きく扱わなくてはいけない。
 この問題においても、日本は欧米を主とした国際社会と一線を画しています。欧米は、国際秩序のゲームチェンジャーになろうとしている中国を牽制すべく、こぞってウイグル問題で中国を非難し、制裁をかけています。しかし、その中に日本はいない。G7で唯一、中国に制裁をかけていないんです。しかも先の日米首脳会談で、それをアメリカに認めさせている、これは異常な外交です。


橋爪大三郎異常、ですか?


佐藤:今までに例がないという意味で異常ということです。要するに、日本は日米同盟も欧州との関係も重視するという姿勢を見せながら、明らかに抜け駆けをはじめています。対中国に関して欧米と100%強調しているわけではないという点で、抜け駆けを狙っていますね。また、対ロシアでも、日本が独自路線を取り始めたことが見て取れます。


 元外交官の佐藤さんは、日本の外交姿勢の変化を感じ取っているのです。
 日本では、「親日」のイメージが強いこともあって、台湾問題が大きく採りあげられることが多いのですが、中国にとって、あるいは、欧米にとっては、ウイグル問題のほうがはるかに重視されているようです。

 たしかに、北京での冬季オリンピックでの外交的ボイコットも、ウイグルへの中国の姿勢を問うものなんですよね。
 欧米からみれば「人権問題」ではあるのでしょうけど、中国側は、「内政問題」という姿勢であり、自国が影響力を増してきている、欧米からの「不当な圧力」だとみなしているようです。
 欧米側にとっても、純粋な「人権問題」だけではなく、経済的、政治的な「中国の脅威への対抗意識」はありそうです。

 たしかに、これまでの日本の外交姿勢であれば、「アメリカの言う通りにする」はずなのに、安倍総理プーチン大統領との親密な関係など、独自路線、とは言わないまでも、「アメリカの言いなり、ではなくなってきている面」もあるのです。
 実際、国どうしの距離やこれまでの歴史的な経緯を考えると、日本は中国に対して、「親友にはなれなくても、あまり緊張感を高めたくはない」ですよね。経済的にも、中国を無視してはやっていけないのも事実ですし。
 中国としても、海を隔てた隣国であり、一時の勢いはないとはいえ、それなりの人口・経済力を持っていて、人権とかにそんなにうるさくない日本が、柔軟な態度をみせてくれるのであれば、悪いようにはしない、という感じなのかもしれません。
 いくら中国が「大国化」したといっても、世界中をやたらと敵に回すのは得策ではありませんし。
 中国は、アジアやアフリカの開発途上国に経済的に進出し、政治的な影響力も強めているのですが、それが欧米の警戒感を強めてもいるのです。
 いずれにしても、米中という「二つの大国」の間を生き抜くために、日本の外交は「アメリカべったり」から、少し変わってきているようです。


 国家にとって最も重要なのは「教育」であり、「エリート」という言葉が、ここまでネガティブなイメージで使われているのは日本だけではないか、という話も出てきます。
 佐藤さんによると、「ロシア語で『エリート』といえば、きわめて中立的な概念」だそうです。いや「中立的な概念」って、どんな感じなのか、僕には正直よくわからないのですが、少なくとも「悪口ではない」ということなのでしょおう。
 そして、エリートには「ノブレス・オブリージュ」(持てるものには責任がある)という意識づけが大事なのだ、とも。
 そうしないと「自分さえよければいい」というエリートばかりになってしまうから。

橋爪:医療には医療のモラルや倫理、独自の原理が必要です。
 それから大事なのは、行政です。政治です。誰かが公務員になって給料をもらう。つまり労働です。だけど、行政や政治は、マーケットの外側に立つ存在です。公共性を体現して、人びとのために活動するのが公務員。これにも原則が必要です。
 日本人はいつの頃からか、経済さえよければ、と思うようになった。でも家庭、教育、福祉、行政……がしっかりしないとダメ、それがどう結びつくかのビジョンも必要です。
 

佐藤:そう思います。「公務員の勤務時間が、過労死ラインとされる月80時間を超えている」なんて騒いでいる行革大臣がいましたが、だからといって一概に労働時間を削れというのは無理筋です。同じ公務員でも現業に限りなく近いことをやっている人もいれば、総合職、高度専門職に就いている人もいて、それぞれ必要とされるものは違います。
 私がイギリスの軍事学校でロシア語を勉強したときには、毎日、8時から12時までは文法、13時から16時までは会話、さらに6~7時間は費やさないと終わらない宿題が毎日出ました。もはや肉体労働でしたが、やらないと身につかないので、約10ヶ月間、土日も返上して勉強しましたよ。それが「働きかた改革だから8時間以上は勉強できません」となったら、日本の外務省でロシア語を使える人なんて一人もいなくなるでしょう。外交官だけでなく、弁護士や公認会計士など、高度な専門知識を必要とする職業は、おおむね同じだと思います。
 在職中にどんな法律を作ったのか、どういう交渉を重ねて、どんな条約を諸外国と結んだのか。こういった点で業績のある人は、やはり死ぬほど働いています。日本もアメリカもロシアも、どこの国も同じ。なぜなら、そういう仕事だからです。「何時間以上働いたら過労死する」ではなく、「何時間働いても過労死しないように健康管理する」、それも役人の実力のうちという話になってくる。そういう世界があるということを認めなくてはいけません。
 ところが今は、キャリア公務員の教育でも、きっかり17時で終了です。そんな働き方改革をしているうちに、あと5年もしたら、スポイルされて使いものにならない人材ばかりになる。そこで間違いに気づいて、きっとまた元に戻るでしょう。このように公共任務を担うところ、特に専門知識が必要なところでは、何をどうやらなくてはいけないかは自明のことなんですけど、それがちゃんとした議論になっていない現状は考えものです。


 こういうのは、外交官として生き残ってきた佐藤さんの「生存者バイアス」ではないか、とも思うのです。
 でも、若手のプロ野球選手とか、研修医とか「競争に打ち勝って頭角を現さなければクビになってしまう」「実力をつけないと、患者さんの命にかかわる」という世界も存在しているんですよね。
 一生ずっとそんな働きかたはできないとしても、人生の一時期に「身を削ってでも力をつけなければならない」状況はあるのです。
 ラクなほうに流れて、自分を追い込むことができなかった僕としては、「なぜ、もっと頑張らなかったのか」という後悔と「でも、あのとき無理をしていたら、自分は致命的に壊れていたかもしれない」という諦念が、いまでも渦巻いています。

佐藤:先読みができる人たちは、この国の将来について再三警鐘を鳴らしていますが、学校では、たとえば高校2年生になる時点で文科系と理科系を分けるという異常なことをしている。私立大学の文科系の入試が3科目だからといって、難関の中高一貫校で、中学1年生のときに数学の出来でふるいにかけてしまって、私立文系コースなんていうのをつくる。だから分数計算すら怪しいような難関大学の学生ができてしまう。
 ただ、そういう学生の入学を認めてしまった以上は、何とかしなくてはいけない。大学で鍛え直せば、アメリカで十分通用するくらいにはなります。大学の入り口の時点で学力が低かろうと、いくらでも向上させられる。だから私は危機意識をもって、やれる範囲でがんばっているんですけどね。


橋爪:そこで、日本をいま包んでいるのは、大きな「空虚」だと思うんです。
「空虚」、何も考えてないわけじゃないんです。だけど、浅いんです。たとえば、なぜ文系、理系を中学高校で分けるかと言えば、大学入試のことしか考えていないから。基準をそんな手前に置いている。君は数学をやっても無駄だ、試験に出ないからね。これに名前をつけると、「空虚」だと思います。
「空虚」とは、人生の全体、社会の全体、世界の全体を見ないで、知らないで、いまを生きようとすることです。将来、必ず足をとられる。


佐藤:就活なんていうのは空虚もいいところです。大学の3回生から、そんなことに時間を使っているなんて異常ですよ。


 僕もいまになって思うのは、「数学を、もうちょっと頑張って勉強しておけばよかったなあ」ということなんですよ。いや、当時の感覚としては「自分なりに努力はしたけれど、僕には向いていなかった」のですけど。
 ただ、自分の子どもたちをみていると、「空虚」に陥らないために、「効率」を捨てる、というのが正解だと言い切る自信はありません。
 そういう考え方こそが「空虚」を生み出しているのだとしても。

 年齢だけで「老害」と切り捨てるのではなく、「先人たちは、今の世の中をこんなふうに見ていて、こう考えている」ということを、若い人たちには知ってほしいのです。
 佐藤優さんは、いまも教育者として大学生を指導されていますし。


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