琥珀色の戯言

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【映画感想】ドライブ・マイ・カー ☆☆☆☆

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脚本家である妻の音(霧島れいか)と幸せな日々を過ごしていた舞台俳優兼演出家の家福悠介(西島秀俊)だが、妻はある秘密を残したまま突然この世から消える。2年後、悠介はある演劇祭で演出を担当することになり、愛車のサーブで広島に向かう。口数の少ない専属ドライバーの渡利みさき(三浦透子)と時間を共有するうちに悠介は、それまで目を向けようとしなかったあることに気づかされる。


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2022年4作めの映画館での鑑賞です。
観客は50人くらいで、予想以上に混雑していました。

第74回カンヌ国際映画祭で、この『ドライブ・マイ・カー』は日本映画初となる脚本賞ほか、国際映画批評家連盟賞、AFCAE賞、エキュメニカル審査員賞という3つの独立賞も受賞し、合計4冠に輝くという偉業を達成しました。
とはいえ、3時間近くの文芸映画、再上映がはじまってからけっこう時間も経っており、僕が行った映画館では1日1回と上映回数も減っていたので、ガラガラなのでは……と思っていたのですが。


いきなり、家福夫妻の聞いているほうが恥ずかしくなるような妄想ピロートークを聞かされ、「こういうのが3時間続くのか……そもそも、あの長さの原作が、なんで3時間になるんだ……」と、これからの時間が思いやられたのです。

有名な映画賞を獲った作品、ということで観に行った『ツリー・オブ・ライフ』の悪夢も思い出しました。


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ストーリーのネタバレは極力避けますが、正直なところ、もし、この映画の「あらすじ」を読んだとしたら、「それ、どこが面白いの?」と僕も言ったのではなかろうか。
いろんなことが絶妙なタイミングで起こるし、登場人物は「そんなこと他人に言うか?」みたいなことを饒舌にしゃべるし、もうこれ、チェーホフを直接読んだほうが早いんじゃない?

そもそも、原作はこんな話じゃないだろ……いや、こっちのほうが、原作より「面白い」んだけど、「映画的な面白さ」に寄りすぎてしまっているような気もします。

ラストシーンは、(正直、どう解釈していいのかわからないところもあるのですが)えっ?何それ?もし「そういうこと」なら、なんか僕は好きじゃないなあ、こういう「結末」は、って思ったのです。


でも、好きじゃないけど、「いい映画」「心に引っかかる作品」ではあるんですよねこれ。


無口で不愛想な若い女性ドライバーが、「他人に自分の車を運転させたがらない男」の愛車・サーブを運転することになり、少しずつお互いに心を開いていく。
ただ、それだけの話に、「人にはそれぞれの秘密があり、それをお互いにどう扱っていくか」「言葉によるコミュニケーションに、われわれは頼りすぎているのではないか」という要素が絡んでいく。

いろいろ言いたいことはあるにせよ、僕はこの映画、好きです。
三浦透子さんが演じている、渡利みさきの無口さ、無愛想さが、なんだかとても心地よい。
瀬戸内ののどかな海辺や、雪景色のなかを走る赤いサーブに、見とれてしまう。

いろんな言語、人種、人生経験……

鑑賞後、いろんな感想をネットでみていたら、「多様性の映画」という世評に対して、感想コメントに「色情狂も『多様性』のひとつなのか?」というのを見つけたときには、思わず笑ってしまったのですが。

われわれは、自分にとって都合が良い、あるいは、黙認できる範囲では「多様性」に寛容だけれど、自分がガマンしなければならなかったり、許せなかったりすると、「それはおかしい」と考えずにはいられない。
「愛しかた、愛されかた」なんて人それぞれなのだから、「多目的トイレ不倫」だって、「多目的トイレを本来の目的外で長期間占拠したこと」を除けば、あとは当事者の問題、ではある。


……とか僕が思えたら、もっと生きるのはラクになるのかなあ……


アドラー心理学」みたいなものですよね。「すべての『これまで』や『先入観』にとらわれない」ことが可能ならば、生きやすくなるのかもしれないけれど、それができないから人間は苦労するのと同時に、これまでの記憶やこだわりこそが「自分らしさ」みたいな気もする。

この映画を観終えたときには「もっといろんなものを、ありのままに受け入れて生きたほうが良いのではないか」「自分の気持ちを素直に相手に伝えるべきではないか」と「わかった」と思ったのです。

しかしながら、観終えて時間が経てば経つほど、「やっぱり、人間には知らないまま死んでいったほうが良いこともある、というか、そういうことのほうが多いのではないか」と考えてしまっています。


この映画を観ていて、僕の母親が亡くなったとき、「一緒によくお茶を飲んでいた」という母と同じくらいの年齢の女性が弔問に来てくれたことを思い出しました。
僕は、自分の母親に、そういう「友達」がいたことを、最期まで知りませんでした。

僕はひとりの人間を「自分の母親」という視点でしか、見ていなかった。

そもそも、家族でも、「自分の見えないところで、何をしているか」なんてわからないし、それこそ、探偵でも雇わないと、知りようがない。
不貞行為は論外としても、身近な人の「日常」さえも、ほとんど知らないまま、自分の人生を生きている。

僕は自分の車を、誰かに運転してもらっているだろうか。
誰かが、僕に自分の車のハンドルを預けてくれるだろうか。

僕はこの映画を、たぶん「わかっていない」のだと思います。
でも、いま、観てよかった。

僕も、みさきさんが運転している車に乗ってみたくなりました。
「車に乗っていることを感じさせない運転」って、どんな感じなんだろう。ずっと車酔いに悩まされてきた僕でも、気持ち悪くならないかな。

そして、人生で通算10本くらいしか吸ったことのないタバコを、久しぶりに吸ってみたくなりました。
この映画の喫煙シーンは、なんだかとても美しくて困ります。
「医者としては喫煙はおすすめできない」、そんな予防線を張ってしまう自分がもどかしくもありますね。

「ああ、こういう映画が、カンヌで評価されるんだな」という、「意識高い系映画への倦怠感」もあったのですが、三浦透子さんの、ぶっきらぼうな存在感が、そんな感情を薄めてくれます。

「なんでも性行為に結び付けてしまう生々しさ」は、村上春樹的ではあるし、僕は村上作品のそういうところが苦手だし、ついていけない人間なのだけれど。


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