琥珀色の戯言

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【読書感想】止めたバットでツーベース ☆☆☆☆

止めたバットでツーベース 村瀬秀信 野球短編自撰集

止めたバットでツーベース 村瀬秀信 野球短編自撰集


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
スポーツライターではない“雑文書き”が愛し、伝えてきた“野球のすべて”。表舞台から退いた老ライター、未完の大砲を追い続けた女性ファン、応援団を“正業”にする男、野球選手を自称する絵描き、分校の甲子園出場を夢見る元村長、病魔と孤独と戦い急逝したあの人気選手、清原和博を慕い続けたPLの後輩…。情熱は時に、真剣さと滑稽さをはらむ。本書こそ、野球のノンフィクション。


 まもなく、2019年のプロ野球が開幕します。
 先日引退を発表したイチロー選手が、引退会見のなかで、「メジャーリーグがパワー全盛になっていくなかで、日本の野球には、メジャーが失おうとしているスピードや技術、連携といった『野球らしさ』があるのではないか」という話をされていました。
 もちろん、アメリカ人にとっても、映画『フィールド・オブ・ドリームス』で描かれていたように「ベースボール」というのは、古き良きアメリカ、を想起させるスポーツではあるのですが。
 この『止めたバットでツーベース』に収録されている文章の主役の多くは、スター選手ではありません。
 プロ野球のある世界で、ずっと野球に魅せられ、それを情念たっぷりに描き続けてきた人や、何の見返りもないのにひとつのチームを応援しつづけた市井の人たちの物語なのです。
 野球というのは、メジャースポーツのなかで、プレーが止まっている時間がある競技なんですよね。
 それが、試合時間の長さにつながって、アメリカではワンポイントリリーフが禁止されたり、オリンピック競技から除外されたりしているのですが、「間」や「余韻」を楽しめる、という面もあるのです。
 それにしても、野球というのは、「情念」が反映されやすいスポーツでありまるよね。巨人から広島にFA選手の人的補償で移籍した長野久義選手への大きな注目などは、ある意味「プロレスみたい」ではあります。


 著者は、プロ野球に関わる、さまざまな「情念の人」を取材し、書いているのです。
 最初に登場するのが、昭和のプロ野球を描き続けた男、近藤唯之さん。

 ピンとこない読者のために、近藤が紡いだ逸話の一部の例をあげてみよう。

大沢親分が不調にあえぐ新人の高代延博に、今日打てなかったら屋台を買ってやるからラーメン屋に転職しろと宣告。高代は大活躍し選手としてひと皮むけました。

・塀際の魔術師と渾名された巨人の名外野手・高田繁はイメージと実際の捕球位置に20センチのずれが出たことで引退を決めました。

ブルペンエースとあだ名されるハートの弱い投手。江藤晴康のために、南海・鶴岡一人監督は、戦時中に部下が恋人の陰毛をお守りにしていたことを思い出し、宗右衛門町のナンバーワン芸者に土下座して陰毛を頂戴する。その思いを意気に感じた江藤は、その年、24勝をあげました。


 どうであろうか。アスリートとは180度違う「プロ野球選手」という真っ赤な血の通った人間の情念が伝わってくるではないか。そして、それらの人情話は「近藤節」と呼ばれる独特の文体で軽妙に綴られていく。
 近藤節。文字にすれば3文字、読めば1秒にも満たないこの言葉は、この文章のド頭から、筆者が必死に小手先で模倣しつつある独自の定型文的文体である。


・男の運命なんて一寸先はどうなるかわからない。
・書けば一行、〇文字にしか満たない~であるが、
・血の小便を垂れ流す思いで~した。
・うなるような思いである。


 などの情念を煽る絶妙なフレーズを効果的に使い、さらには太平洋戦争、宮本武蔵、大相撲など自身の大好きな分野の逸話から書きはじめる”近藤講談”とも呼ばれる構成方法も大きな特徴だった。
 この近藤節が出るや、読者は「またか」と思う反面、水戸黄門で印籠が出る月曜日20時45分頃の心地よさにも似た偉大なるマンネリに、うなる思いを得たのである。


 これを読んで、「懐かしい!」と思うあなたは昭和の記憶がある人で、平成生まれの若者たちにとっては、「何この時代錯誤のパワハラ、セクハラまがいの文章は……」と一刀両断にされそうです。
 僕が小学校の頃に読んでいた「大人が読む野球選手の記事」って、こんな感じが多かったんだよなあ。
 取材者の「想像力」でかなりの部分が補われていることも多かったそうで、今の世の中では、「取材もせずに書いている」と問題になるはず。
 ただ、スポーツの世界に、「人間ドラマ」を持ち込む傾向というのは、平成が終わろうとしている現在でも、変わらないのではないか、とも思うのです。

 そのライティングの真髄として、後生大事にしていた言葉があった。
「一行百行」
 その意は、あらゆる資料を読み漁り、これだと思う宝物のフレーズの一行にさえ出会えれば、そこから百行を紡げる、ということだ。
 榎本喜八へのたった一度だけのインタビューで全五十四回の連載をつくってしまったように、近藤は一行のネタから百行を書けるだけの筆力、そしてそれに耐え得るネタをいつでも頭の中に入れておくという普段からの心構えがあった。


 今の時代としては、かなり違和感があるのですが、近藤唯之さんの語りを読んでいると、ただひたすら「懐かしい昭和のプロ野球」を思い出さずにはいられなくなるのです。
 著者は、最近は著作が世に出なくなった近藤唯之さんの「いま」を追い求めていきます。
 「昭和のプロ野球」が終わり、「平成のプロ野球」も、まさに終わろうとしているなかで、近藤さんは、どうしているのか?そもそも、まだ存命なのか?
 興味を持たれた方は、ぜひ、この本で確かめてみてください。
 

 そのほかにも、ヤクルトファンの弁当屋さん、カープファンの住職の会、ベイスターズを愛するプロレスラー、宮本武蔵の二刀流を受け継ぐ流派のひとが語る「大谷翔平の二刀流(ピッチャーとバッター)」など、「斜め上」を狙いすましたかのような、「いや、それが本筋じゃないんだけど……なんか気になる」短編ノンフィクションが満載です。


 なかには、カープ鈴木誠也選手の章のように、「ファンにはたまらないエピソード満載」の回もあるんですけどね。

 2012年10月25日。鈴木誠也はドラフト2位で広島東洋カープに指名される。
「すぐに電話が来て『2位だよ2位、ヤベエよ、これから野村(謙二郎)監督と会うんだけどどうすりゃいいんだ』って興奮していました。僕らは指名確実だと思っていたけど本人だけは、指名されないと思っていたみたいですね」
 12月。子供の頃から夢に見たプロ野球。その舞台となる広島の地にはじめて降りた際、誠也は「町屋に似ている」という感慨を覚えた。
 町の中心には路面電車が走り、いくつもの川が流れている。街の規模こそ違うものの、人情に溢れ野球が好きな人たちがいる。
「自分は非常に負けず嫌いなので、どこの球団にも負けたくないと思っています。絶対日本一になります」
 そんな決意を入団会見で示した夜。誠也は父と共に宿泊先近くの銭湯に出かけた。親子2人、湯船で肩を並べていると、潜水してきた小さな子供が2人の間から突然顔を出す。
「お兄ちゃん、遊んでよ」
 突然の出来事に「東京でこんなことする子供はいないよ」と誠也は泡を食ったが、いつの間にか子供たちと一緒に遊んでいた。
 そんな誠也を見て、父はこんな言葉を伝えた。
「誠也、おまえは広島の人になれ」


 鈴木誠也選手の人となりと、故郷である町屋への思い、そして、「町屋に似ている」広島でプロ野球選手として生きていく覚悟が伝わってくるエピソード満載が満載なのです。
 こんなのを読んだら、もし誠也がFAでどこかに行ってしまっても、憎めなくなるじゃないか……


 球場で起こっていることを書かなくても、「野球」って、こんなに面白い。
 そして、人生にはいろんな状況があるけれど、嬉しいときも、悲しいときも、ずっと、ペナントレースは続いていく。
 

fujipon.hatenadiary.com

プロ野球 最期の言葉 (文庫ぎんが堂)

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