琥珀色の戯言

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【読書感想】地方消滅 ☆☆☆☆


内容(「BOOK」データベースより)
このままでは896の自治体が消滅しかねない―。減少を続ける若年女性人口の予測から導き出された衝撃のデータである。若者が子育て環境の悪い東京圏へ移動し続けた結果、日本は人口減少社会に突入した。多くの地方では、すでに高齢者すら減り始め、大都市では高齢者が激増してゆく。豊富なデータをもとに日本の未来図を描き出し、地方に人々がとどまり、希望どおりに子どもを持てる社会へ変わるための戦略を考える。藻谷浩介氏、小泉進次郎氏らとの対談を収録。


 この新書に書かれている、「さまざまなデータから推測した、今後の日本の人口動態」をみて、あらためて驚いてしまいました。

 国の将来ビジョンを描く際、まず把握しておかなければならない人口動態である。産業政策、国土政策、社会保障政策など、あらゆる政策は将来人口の行く末によって大きく左右される。
 日本は2008年をピークに人口減少に転じ、これから本格的な人口減少社会に突入する。このまま何も手を打たなければ、2010年に1億2806万人であった日本の総人口は、2050年には9708万人となり、今世紀末の2100年には4959万人と、わずか100年足らずで現在の約40%、明治時代の水準まで急減すると推計されている(いずれも国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口(平成24年1月)」の中位推計による)。人口予測は、政治や経済の予測と比べて著しく精度が高いと言われており、大きくぶれることはない。過去に出された推計値と実際の数値を比べれば、むしろ若干厳しい数字に向かうと予想される。「人口減少」という、これまで経験したことのない問題に私たちは立ち向かわなければならない。
 人口減少問題は、今、急に現れたわけではない。戦後1947〜49年の第一次ベビーブームのとき4.32だった日本の合計特殊出生率(一人の女性が一生に産む子どもの平均数。以下、出生率)は、低下傾向で推移し、2005年に過去最低の1.26を記録した。その後は持ち直し、2013年には1.43まで回復しているものの、依然として低い水準にとどまっている。
 ちなみに人口数を維持するのに必要な出生率を「人口置換水準」というが、2012年現在の日本の場合、これが2.07といわれている。1.43という数字は、将来、日本の人口が現在の約7割に減少することを意味している。

 このままでいくと、いまから86年後、2100年には、日本の人口は、5000万人を切るくらいまで、減ってしまうと予測されているのです。
 現在40代の僕が、その日本の姿を見ることはありませんが、僕の子どもたちは、人生の終わり頃に、そんな「スカスカの日本」に住むことになるのかもしれないのですね。
 なんだか信じられない話なのだけれど、この新書を読んでいくと、むしろ、そうなっていくのが必然なのではないか、と思えてきます。
 いまの世の中に生きている人たちの考え方や社会情勢の変化などを考えると、これから、どんどん子どもが産まれてくるようになるとは思えないし。

 少子化にともなう人口減少は、同時進行した「長寿化」による高齢者数が増え続けたことで、見かけ上隠されてきた。多くの国民の目は、目前の「高齢化」とそのための対策に向けられ、慢性疾患のようにじわじわと忍び寄る少子化が、自分たちの街や暮らしにどのような影響を与えるかについては、危機感を募らせることも、認識が共有されることもなかった。
 高齢者すら多くの地域で減少しはじめ、「人口減少」という問題が姿を現すに至り、ようやくこの問題の深刻さに気づきはじめたところである。
 特に、東京など若い人たちが多い大都市圏に住む人たちにとって「人口減少」という問題は、現在でもあまり実感がわかないと思う。しかし、私の試算では、すでに全国の794市区町村で高齢者が減少しつつある。「人口減少」は将来の問題ではなく、今の問題なのだ。


少子高齢化」問題は、大部分の日本人に認識されていると思います。
 ところが、実際には、「高齢者すら、減少しつつある」地域がたくさんあることを、著者たちは指摘しています。
 そして、人口減は、そう簡単に食い止めることはできない。
 いまの子どもの人口が少なければ、その子どもたちが大人になったとき、子どもを産む人の数も少なくなります。
 人間が育っていくのには、時間がかかる。
 どんなに出生率上昇をめざしても、人口はすぐに増えるようなものではないのです。
 そもそも、「少子化が社会問題になっている」からといって、現実的には「日本の少子化解消のために、子どもをつくる」という人って、いないですよね。
 子どもをつくる、産むというのは、デリケートでプライベートなものだし。
 経済的な面はもちろん、自分の時間を長く持ちたいとか、将来、子どもに面倒をみてもらうのが当然の時代ではなくなった、というような価値観の変化が、少子化の背景にはあるわけです。
 「個人」としては、子どもを持つことは、必ずしも「幸福」とイコールではない、のかもしれません。
 親になると、ある種の充実感を得られるのと同時に、「個人としての自由」は制限されるところがあります。


「地方でどんどん過疎化が進んでいって、さらに都会に人が集まってくるのだろうな」というイメージはあったのですが、地方が衰退していくと、都会もそれに引きずられるように急速に衰退していくと著者たちは予測しています。


 編者たちは、日本の人口減少のプロセスを三段階に分けて考えています。

 2010年以降2090年まで14歳以下の「年少人口」や15〜64歳の「生産年齢人口」は減少しつづける。これに対して、65歳以上の「老年人口」は2040年までは増加し、その後横ばい・微減となり、2060年以降減少していく。その結果、総人口は2040年頃まではある程度の減少にとどまるが、それ以降は急速に減少する。
 つまり日本は、2040年までの「老年人口増加+生産・年少人口減少」の「第1段階」、2040年から2060年までの「老年人口維持・微減+生産・年少人口減少」の「第2段階」、2060年以降の「老年人口減少+生産・年少人口減少」の「第3段階」という三つのプロセスを経て、人口が減少していくことが予測されている。
 

 この人口推計をみると、人口減少が本格化するのは2040年以降ということになる。
 しかし、注意すべきは、この減少プロセスはあくまでも日本社会全体を示していることである。地域別に見ると様相は大きく異なってくる。現在、大都市や県庁所在地等の中核都市は「第1段階」にあるのに対して、地方の多くの地域はそれより30年ないし50年早く人口減少が進んでおり、すでに「第2段階」さらには「第3段階」に差し掛かっている。
 つまり、「人口減少」は決して遠い将来の話ではなく、多くの地方にとっては、まさに「現在」のことなのである。


 戦後に、日本には地方圏から大都市圏へ大量の人口移動が、三度みられたそうです。
「若者が都会(とくに東京)をめざす心境」は、当然のことのように思われるけれども、この本のデータによると、「東京への人口集中」は、人口減少をさらに早めていく原因となっているのです。
「都会に移り住んでいただけで、人口の総数には変わりないだろ」だと僕も思っていたのですが、都会では経済的な問題や環境の問題、祖父母のサポートを得にくい、晩婚化や結婚率のが低い、ということで、出生率が低くなっています。
 2013年の東京都の出生率は、なんと1.13。日本で二番目に低い京都府の1.26をぶっちぎっての低出生率なのです。
 つまり、地方から都会に人(とくに若い女性)が移ってきて、都会に人口が集中するのだけれど、都会で生活している人は出生率が低くなるので、「子どもを生まない東京に若者が集まってきて、さらに少子化が加速してくる」ということになります。
 それでも、地方から東京に人が集まってくる時期はまだマシで、いずれは、地方からの若年人口の流入も、その地域の若年人口の減少でストップし、高齢者さえいなくなった地方と、高齢者ばかりになった東京が残る。


 これが、「将来起こること」ではなくて、「いま、すでに起こってきていること」だというのですから、日本の将来に対して、かなり悲観的にもなるのです。
 その一方で、「でも、僕が生きているあいだくらいは、なんとか持ちそうかな……」とか考えてしまうのが、こういう「人口問題」を、みんなが共有しながらも、なかなか改善に向かわない理由なのかもしれません。


 この新書、「データでの予測」の部分は非常に刺激的で「そうなのか……」と圧倒されもするのですが、「じゃあ、どうすればいいのか?」という解決策について書かれているところでは、急に失速してしまいます。

 仮に、16年後の2030年に出生率が2.1に回復するとしよう。それでも人口減少が止まり9900万人で安定するのは、さらに60年後の2090年頃になる。「慣性の法則」のように、すでに起きてしまった少子化はこれから数十年間にわたって日本に影響を与え続けるのである。これは、人口減少のスピードが特に速い地方ではなおさらである。日本の事態の深刻さはここにある。


 この新書の「対策」について書かれた項では、「出生率が、現在の若い女性が希望している1.8のレベルまで回復したとすれば……」というような話が再三出てきます。
 そのための地方自治体の工夫(子どもの医療費は18歳まで無料、というような自治体もあるんですね)も紹介されてはいるのですが、それでも、この「2100年に人口5000万人」というインパクトに比べると、対策のほうは「希望的観測」ばかりが目立って、かえって暗澹たる気分になります。


「仮に、2.1に回復するとすれば」って、いまの世の中が続くことを前提としたら、絶対に「2.1」になんか、なるわけないだろ……というか、大事なのは「希望的観測を前提に語ること」ではなくて、「どうしたら、子どもをみんなが持ちたがる、持とうと思う世の中になるか」じゃないのかなあ。
 これだけ価値観が多様化して、大人たちも「親としてだけではなく、一人の人間として生きたい。仕事もしたいし、自分の時間も欲しい」と考えるような時代だと、「2.1」どころか、「1.8」だって、「まずありえない数字」だと思います。
 「子どもを持つこと=幸せ」だという価値観が揺らいでいる社会で、「日本の将来のため」に、子どもを産んでもらう、なんてことが、できるわけがない。
  

 もしかしたら、人間というのは、歴史上はじめて、自らの意思で「絶滅」を選び、自然に減っていく生き物になるのかもしれないなあ、と思いつつ、僕はこの新書を読みました。
「日本の将来」は不安でも、現実的な自分の生活を考えると、そう簡単に子どもを持つことはできない。
 子どもという存在に縛られずに生きていく、という選択肢も「あり」じゃないのか?


「日本の将来」という「公」と、「自分の人生」という「個」のせめぎあいとして考えると、戦争とか独裁者による強要とかがないかぎり、日本人は、どんどん減っていく運命にあるのかもしれないな、と僕は思います。
 とはいえ、今と同じ世の中が今後100年も続くかどうかはわからないというか、まず、そんなことはないだろう、という気もしているんですけどね。
 1914年、第一次世界大戦の時代の日本人が考えていた「100年後」と、「現実の2014年」は、全く違うものだったはずですから。

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