琥珀色の戯言

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【読書感想】ひのえうま 江戸から令和の迷信と日本社会


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1966(昭和41)年、日本の出生数が統計史上最低を記録した。原因となったのは迷信。60年に1度めぐってくる干支、丙午(ひのえうま)にまつわる俗言のためだった。高度経済成長の只中、2つのベビーブームの間にあって、たった1年、なぜ迷信がそこまでの出生減をもたらしたのか? そしてさまざまな「都市伝説」がささやかれてきたひのえうまの人生とは、実際にはどのようなものだったのか? 自身、昭和のひのえうま生まれの計量社会学者が、迷信の成立した江戸期にまでさかのぼり、周期的な拡散・浸透のタイムラインをつぶさに追いながら、ただ日本でだけ生じた特異な出生減を「社会現象」として読み解く。


 「ひのえうま」を知っていますか?
 多くの人は「どこかでその言葉自体は聞いたことがある」と思いますが、前回の「ひのえうま」の年が、もう60年近く前だったということもあって、「なんかその年に生まれた女性は縁起が悪いとか言われる年だよね」というくらいが、現代人の感覚ではないでしょうか。
 

 著者は、「ひのえうま」について、最初にこんなふうに説明しています。

 丙午(ひのえうま)は、十干十二支(じっかんじゅうにし)のひとつで60年ごとにめぐってきます。この年に限って、穏やかならぬことがいわれてきました。それは、この年生まれの女性は気性が激しい、七人の夫を食い殺す、嫁ぎ先に災いをもたらす、さらには、ここに書くのはちょっと憚られるような悪口雑言まで……

 実際のところ、この年に生まれた女性がみんなそんな属性を持っていたら、日本の人口はもっと前に激減しているはずです。
 2020年代に生きている感覚では、「十二支」を思い出すのも年賀状を書くときくらいで(それも最近はだいぶ減ってきましたが)、ましてや「十干」とか中国の「五行説」とかは、マンガの設定やテレビゲームの謎解きに使われる古い伝承、というのが僕のイメージなのです。
 
 そんなの信じる人、いるの?

 
 とは思うのですが、日本の歴史上、この「ひのえうま」は、けっこう大きな影響を与えてきたのです。

 ひのえうまというのは、迷信のために赤ちゃんを産むのを控える人が多かった年のことだ、というのは若い人たちでも聞いたことがあると思います。
 戦後日本の高度経済成長期は、1955(昭和30)年から1973年(昭和48)年あたりだとされます。その只中、新幹線や高速道路が整備され、テレビのカラー放送が視聴され始め、アメリカではNASAが月面着陸を目指してアポロ計画を進めている……そういう年に、暦に由来する忌事という何とも時代がかった理由から、この昭和のひのえうまでは、出生数が人口統計をとり始めた明治以後、最低を記録したのです。
 この年に生まれた赤ちゃんの数は136万974人。
 前年比で約46万3000人減、比率にすると4分の3以下に落ち込みました。しかし翌年には出生数は約57万5000人増と回復し、その人口規模で団塊ジュニアへと続いていきます。
 ひのえうまの出生減は、60年ごとに繰り返されてきたものと考えられがちです。けれども、人口ピラミッドにここまで深い切り欠きを残すほどのインパクトがあったのは、じつはこの昭和のひのえうま一度きりなのです。
 世界的に見ても、ある年に限って人口動態にこれほど大きな変異が生じている例は、寡聞にして知りません。


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 この記事の「図表」を見ていただければ、1966年だけ、その周辺の年に比較して大きく出生数が落ち込んでいることがわかります。
 とはいえ、2020年代少子化の日本に比べれば、約60年前の「ひのえうま」の年の出生数は、はるかに多いのですけど。

 その「ひのえうま」が、来年、2026年にまたやってくるのです。
さすがに、前回ほど、出生数がこの年に限って大幅に落ち込むことはないとは思うのですが。


 著者の調査では、記録上もっとも古い「ひのえうま」についての言説は、江戸初期の俳人山岡元隣の1662年(寛文2)年の俳諧集『身の楽千句』における、「ひのえ午ならずば男くいざらまし」(ひのえうま生まれの女性ではあるまいし、男を食べることはないだろう)というものだそうです。

 だとすれば、ひのえうま迷信の事実上の始まりは、今から360年前の1666年(寛文6)年、寛文のひのえうまに求められます。
 八百屋お七は、ひのえうま女性の代名詞のように扱われてきました。その生年が、この寛文のひのえうまだったとされます。広く知られているのは、天和の大火(1682(天和2)年)の際の、次のようなエピソードです。
 江戸の町の火事で焼け出され、寺に一時避難していた八百屋のお七は、そこで出会った男に恋心を抱きます。お七は、再び火事になれば男と再会できると目論み、大胆にも大罪の火付け(放火)を犯し、自ら半鐘を叩きます。そしてその咎で火刑に処されてしまうのです。
 事件後の1686(貞享3)年、上方の浄瑠璃作者の井原西鶴が『好色五人女』に「恋草からげし八百屋物語」と題してこの話を採録します。

 江戸時代のことでもあり、本当にお七が寛文のひのえうまの生まれだったか、真偽には諸説あるそうですが、もともと「丙午年には火難に注意」という暦法での言い伝えが広まっており、それが「お七事件」によって「ひのえうま生まれの女性の気性の激しさが強調されるようになった」ということです。

 伝承とインパクトがある事件とが結びつくことによって社会に広まっていった「ひのえうま」だったのですが、貧しい時代には、この言い伝えを理由にして「間引き」(生まれたばかりの赤ん坊を経済的理由でひそかに殺してしまうこと)が行われた可能性もあったのです。
 ひのえうまに生まれた女性による実害というよりは、困窮が主因で、大義名分として「ひのえうま」が使われていたのです。
 もちろん、大飢饉の時代の「間引き」を、現代人の感覚で裁くのは適切ではないとも思います。

 そして、著者は、時代とともに、「ひのえうま」生まれの女性が、実際の性格はさておき、「夫を食う」とか、そういう言い伝えのせいで、結婚することが難しくなる、という「実害」が出るようになっていったことを紹介しています。

 現代的にいえば「風評被害」なのですが、結婚するのが当たり前とされていた時代の感覚では「結婚できない」「良縁を得られない」というのは、かなりの心理的・経済的な負担をもたらすもので、それを理由にした自死もみられていたのです。

 「ある年に生まれた人がみんな同じ負の属性を持っているとは考えがたい」という良識があったとしても、「とはいえ、選べる立場にあるのなら、結婚相手には、なんとなくでも、不安になるような要素は避けたい」「あえて、ひのえうま生まれの人を選ばなくてもいいじゃないか」という気持ちはわかります。人間って、そんなものだよね。ほとんどの差別も、そういう「ちょっとした、根拠に乏しい不安感」から始まるものなのでしょう。

 江戸期から昭和初期に至る日本社会において、ひのえうま迷信は、なぜこれほど拡大したのか?
 その社会学的な答えは、60年に一度、女性だけが該当するという、120分の1の確率の不運を、実態のあるものにして世間に周知させることが、男尊女卑、儒教的家族観に基づく封建制度の旧来秩序、すなわち家父長制を維持するはたらきをもっていたためだ、ということになります。
 翻っていえば、寛文から明治までの5度のひのえうまは、いつの時代も家父長制が強い拘束力をもつ社会であったがゆえに、広く大きな社会現象に発展したのだとみることもできるでしょう。そして、明治のひのえうま女性の婚期における悲劇は、この構造が昭和初年に至っても依然として生きていたことを物語っています。

 江戸時代から昭和の後期まで、女性はずっと「選んでもらう側の性」であり、それを思い知らせるために「ひのえうま」は機能していた、ということなのかもしれません。


 人口動態に、大きな切り込みをつくるほどの出生数減少がみられた、1966年の「ひのえうま」に対して、著者は、さまざまな角度から、「その原因」を指摘しています。
 「ひのえうま」生まれの女の子を避けるために、前年度生まれや翌年度生まれに誕生日を振り替えられた新生児の存在や(1960年代の出生届は、2020年代に比べて、かなり「融通がきく」ものだったようです)、人口の爆発的な増加が懸念された当時の日本社会で、避妊などの産児制限の概念とその具体的な方法が、公的機関やメディアを通じて広まっていき、「ひのえうま」の出産を避けるために利用されたことなどが挙げられているのです。
 「ひのえうま生まれ」への漠然とした不安と、それを避けるための科学的な方法の周知の結果として、出生数の大幅な減少がこの年に限ってみられたのではないか、と著者は推測しています。

 ちなみに、「ひのえうま」生まれの女性のその後の人生での「幸福度」も調べられているのですが、実際は同年齢の人口が少なかったため、当時としては受験や就職の難易度が下がり、得をしたと感じている人が多かったようです。
 他人に「ひのえうま」のことを言われた人も多いようですが、時代の変化もあってか、それも自分のアイデンティティのひとつとして「ネタにしている」という人も少なからずいるようです。
 
 家族観、結婚観も1966年とは大きく変わってきた2026年の「ひのえうま」は、かえって、「子どもの将来を考えると、狙い目になりうる年」なのかもしれませんね。今の日本は、「ひのえうま」だからといって、これ以上出生数が激減する余地があるとは思えない状況ではありますが。


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