琥珀色の戯言

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【読書感想】読者ハ読ムナ(笑) ~いかにして藤田和日郎の新人アシスタントが漫画家になったか~ ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容紹介
藤田和日郎が明かす新人漫画家養成術。


うしおととら」「からくりサーカス」「月光条例」そして「双亡亭壊すべし」で少年漫画界を熱く走り続ける藤田和日郎
その仕事場からは数多くの漫画家が巣立った。
今回、藤田和日郎のアシスタントになった架空の新人漫画家が、連載を勝ち取るまでを描く体裁で、藤田氏が自身の漫画創作術、新人漫画家の心構えやコミュニケーション術を語り下ろしました。
藤田和日郎の初代担当者も新人漫画家の担当編集者として登場。


 漫画家・藤田和日郎さんは、いかにして、アシスタントを漫画家として「ひとり立ち」させてきたのか?
 漫画家とアシスタントの関係というのもさまざまで、優れた漫画家というのが、必ずしも「優れた漫画家育成者」だとは限らないのです。
 スポーツ界で、偉大な選手が、必ずしも名監督・名コーチにはならないように。
 とはいえ、漫画にしても、スポーツにしても、自分で実績を残していない人が「指導者」になることは、まずありえない世界なのです。
 アドバイザーとしての編集者はいるとしても。
 有名どころでは、漫画界の巨人・手塚治虫先生は、影響を受けた漫画家はたくさんいるけれど、直弟子・アシスタントからはあまり有名な漫画家は出てきませんでした。
 それに比べて、赤塚不二夫さんは、アシスタントから大勢の有名漫画家を輩出しています。
 赤塚先生が指導熱心だったというよりは、アシスタントのアイデアを活かす合議制の作品づくりをしていた、というのもあるのですが。


「まえがき」で、武者正昭さんはこう仰っておられます。

 この本は、漫画家の藤田和日郎が、自身の創作論を語ったものです。
 企画の発端は、藤田氏の仕事場から『烈火の炎』『MAR』の安西信行や『美鳥の日々』の井上和郎、『花もて語れ』の片山ユキヲ、『サムライ・ラガッツィ』の金田達也、『ムシブギョー』の福田宏、『金色のガッシュ!!』の雷句誠各氏をはじめ、非常にたくさんの作家が輩出されているのは、何か理由があるからではないか?と関心を持ったことにあります。
 漫画家は無数にいますが、ここまで次々とアシスタントがプロ作家として育っている仕事場は、きわめてまれです。
 であれば、藤田和日郎の仕事場の秘密を語ってもらうことで、漫画家になるために必要なノウハウや、あるいは、弟子や後輩を育てたいと思っているがなかなかうまくいかないひとたちの参考になる何かが得られるのではないか?
 そう考え、「藤田氏の仕事場に、小学館新人コミック大賞に引っかかったばかりの新人漫画家志望者がアシスタントとして入ってきた」という体で、彼がスタッフにいつもしているような指導を語ってもらうことにしました。


 この本、藤田先生と、藤田先生のデビュー時の担当編集だった武者正昭さんが、「新しく入ってきた漫画家志望のアシスタント」に対して、どのように接し、成長を促していくかが時間を追って語られていきます。
 これは「漫画家」あるいは「職業的創作者」の話なのですが、あらゆる仕事で、後輩にどう接していくべきか、あるいは、後輩は、先輩をどう「利用」していくべきか、についての一般論でもあると思います。


 藤田さんが最初に「仕事場のルール」として紹介しているのが「ムクチキンシ」。
 藤田さんはみんなが賑やかに会話をしている状況のほうが描きやすいということで、アシスタントにも「真剣に仕事をしているときでも、周りの会話を無視するのではなく、積極的に参加するように」と義務づけているのです。
 そして、そのことは「自分の疑問や考えていることを言葉にすること」のトレーニングでもあるのです。
 新人漫画家の作品が、いきなり100点満点ということはない。
 担当編集者から、完膚なきまでに貶されることも少なくないそうです。
 そんななかで、「自分の作品のどこに編集者は問題を感じているのか?」を編集者からちゃんと聞き出すことが大事だ、と藤田先生は仰っています。
 もちろん、自分なりに考えての表現、ということはあるだろうけれど、そこで他者の意見をシャットアウトしてしまっては、改良の可能性を下げてしまうのだ、と。
 でも、自分で苦心して描いた作品を批判されたら、感情的になって、「あなたはわかっていない!」という反応になりやすい。
 そこで、「作品への評価は人格否定ではないし、では、どうすれば良くなるのか、というのを、曖昧な表現で批判しがちな編集者からうまく引き出すことが大事なんですね。
 「世間話なんて、必要ない」と言う人は多いけれど、それは職場の雰囲気づくりや、ものを言いやすい環境づくりのための下ごしらえでもあります。
 まあ、こう書きながら、僕もけっこう反省しているんですけどね。
 ああ、「話してもわからない」のではなくて、「話しかたを工夫するべきだった」のか、って。
 藤田さんは仰っています。
「ダメだと言われたら、ダメだという前提で話を聞き、質問をしろ」と。

 たとえば編集者から『うしおととら』の潮の鼻が「ピノキオみたいなかたちだからダメ」と言われたら「ちょっと待って下さいよ。この部分がこうなってるからそう見えるんですよね?」と質問してから判断をするべきだ。はは、ちょっとね……そういうコトがあったのよ。
 もし「キミの描く女の子に魅力ないのは、女の子と付き合ったことがないからだよ」とかって言われたら、作品だけじゃなくておれの人生も人格も全部否定された、と思うかもしれない。でも、待て待て。そうじゃない。そこで質問するんだよ。「はあ……付き合ったコトないんですけど……どんなカンジなんですか?」とかね。そしたら、なにかが返ってくる。そのなにかが、編集の求めているものの片鱗かもしれない。編集者が漫画家に対して人生経験云々を持ち出すときに言わんとしていることは、キャラクターの掘り下げ、具体的なエピソードのあるある感なのだから、ほかの映画や小説で十分勉強できることしかないと言っていい。そう思ってな。キミが女と付き合ったことがないのなら、しかたがないでしょ? 体験したコトがないから描けない、なんて言ってたら、おれは妖怪退治なんかしたことないけど、妖怪退治漫画で20何年食ってんだから。「経験がないからダメ」というその理屈で言ったら、おれはアウトでしょ? ね?(笑) 体験してないということを補って何かを勉強するにしても、まず質問するんだ。「どこを勉強すればいいのか?」。その質問の答えがキミの指針になるんだよ。
 ことほどさように、まず質問をして、返ってきた言葉の理由を考えて、どうすべきかを判断しなきゃいけない。「ダメ」って言われたその評価ばっかり気にして反発してしまう前に、理由をちゃんと聞かんとさ。


 藤田先生の言葉は厳しい。
 でも、プロとして漫画の世界でやってきた「実感」みたいなものが込められているんですよね。

 たとえばキミがミステリー好きで、推理漫画をもっていったらダメ出しされたとしよう。そしたらきっと「オレの好きな推理モノってダメなのか……好きな漫画描けって言ったクセにさ」って思うだろう? だけど、違うんだ。推理漫画がダメなんじゃなくて、そのネームがおもしろくなかったってだけなのよ。前もこういう話したよな。そこを、取り違えるなよ。
「正解はない」みたいに「耳あたりのない言葉」は、コワイよ。ひとを惑わせる。たとえば「夢はいつかかなう」もそう。ただ黙っているだけでかなうわけがない。純粋無垢な若者に対して言う言葉で、ケツを蹴ってハッパをかけない言葉は全部コワイんだ。「待っていればいいことあるよ」とかな。待っているだけで何か起こるわけないだろ? それを信じたひとの人生まで、そのコトバは責任を持ってくれませんからね。
「自分が楽しくないのにほかのひとを楽しませることはできない」とかいう言葉もそう。それ、言っとくけど違いますからね。自分が最初に楽しんでどうするの? ひとを楽しませるときには、作り手は苦労しないといけない。自分だけ先に楽しんじゃったら、客観性が失われてしまう。作家の主観が勝っちゃだめなんだ。まったく話は逆で、新人は、うんとアタマをイタめないとな。気持ちワルくなるくらい「どうやったら読者に楽しんでもらえるのか……」と考えないとさ。そのくらいの気持ちでネームをやっていて「あれ? 楽しんじゃいけないはずなのい、あ、なんか楽しくなってきた」ってなるから漫画描くのはおもしろんだけどさ(笑)。
「耳あたりのいい言葉」はコワイんだよって覚えておきな。誰でもカンタンに言えるし、すっと受け入れられちゃう。


 そうか……
 僕自身は、「でも、やっている側にも『楽しめるところ』がないと、続かないのではないか」という気もするんですよね。
 僕も「正解はない」みたいなことを言いがち、考えがちなので、この話、身につまされるよなあ。


 上司や部下が「何を考えているかわからない」、あるいは、人を「教える」あるいは「教わる」立場にあるのなら、読んでみて損はしない本だと思います。

 漫画ってのは、いつでもひとりひとりの漫画家の<心の止むにやまれないナニか>から出てくるモノだと思っているのですよ。

 結局のところ、「やる人は、誰に何を言われてもやる(あるいは、やらざるをえない)」のかな、という気もするんですけどね。