琥珀色の戯言

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【読書感想】知性の顛覆(てんぷく) 日本人がバカになってしまう構造 ☆☆☆


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
「ヤンキー」と、言い訳する「大学出」ばかりで、この国にもはや本物の知性は存在しないのか?イギリスのEU離脱、トランプ政権誕生、ヘイト・スピーチ…世界的に「反知性主義」が叫ばれて久しい中、その実態は主義というよりは、「かつて持っていた自分の優越を崩されたことによる不機嫌さ」という「気分」に過ぎないのではないか?その「空気」が生まれるに至るメカニズムを読み解き、もう一度自ら本物の「知性」を建て直すための処方箋を提示する、示唆に富んだ一冊!


 橋本治さんが「反知性主義」について考えた際に、「そもそも、知性とは何なのか?」という壁にぶつかってしまったところから、この新書ははじまっています。
 あらためて言われてみると「知性」というのを定義するのは、かなり難しいことなんですよね。
 そもそも、最近の「反知性主義」という言葉は、「『バカ』って言うと揉めるから、『反知性主義』という言い方にしておけ」みたいな感じがします。
 本当は、ややこしい言葉を使うより、「もっとみんなのことを考えろよバカ」みたいな表現のほうが、伝わるのかもしれません。
 ただし、この場合「みんな」とは、どこまでの範囲の人々なのか、という難しさがあります。
 アメリカでいえば、「トランプ大統領支持者みんな」「アメリカ国民みんな」「世界の人々みんな」と、それぞれの定義で、利害は異なるわけですし。

 不機嫌になると、人の言うことなんか聞きたくなくなる。そういう状態を「反知性」というのだろうと思う。
 だから私は、うっかりすると「反知性」になる。正確に言えば、「知性」そのものに対して反ではなくて、「今の知性」に対して反だけれども、それは「自分には違う質の知性がある」と思い込んだ上でのことだから、そんなものが「知性」に値しなかったら、やっぱり「反知性主義」だろう。
 どうでもいい私自身のことを延々と書いていたのは、「人は扱いによって反知性になる」ということを言いたかっただけで、それは結構由々しいことなんじゃないかと思うし、私自身「反知性的」になると、「あ、やばい」と思って「前向きになって自分の考え方を検討する」に方向を変えるのだけれども、そんな面倒なことを誰もがやるとは思わない。不機嫌な人間は、「自分の考え方を検討する」なんてことはしないで、「不機嫌エネルギーで自分の正しさを押し通す」という方向に進むのだと思う。
「反知性」が問題なら、それを生んでしまう社会の側と当人のメンタリティの両方とを考えるべきだろう。


 著者は「知性的な人」と「反知性的な人」がいるわけではなくて、人間というのは、置かれた状況や「機嫌」しだいで、「反知性主義者」になりうるものなのだ、と考えているのです。


 この本のなかで、著者が語っている「中流」については、僕自身も思い当たるところが少なからずあったんですよね。

 私には上昇志向がないが、だからといってそんなに善人でもない.中流あるいは中産階級特有の「いやな部分」をちゃんと持ち合わせている。それがなにかというと、「上昇なんか別に望まない画、沈下させられるのは絶対にいやだ」と思うその気持ちである。
 中流は、ただ「これでいい」としておとなしくおさまり返っているものではない。望めない「上」を望まない代わりに、「自分より下」を仮想して「その上である中の自分」に安住する。「上」を望まない代わりに、「自分より下」を仮想して「その上である中の自分」に安住する。「上」を望まない代わりに、「下」を思って安心する。人に対する差別意識が一番強いのは中流に属する人間達で、かつては「中流階級ファシズムの温床である」なんてことも言われた(誰が言ったか忘れたけども)。「上昇志向のない中流」の私も、「自分のあり方」が地滑り的に沈下しているように感じると、不快になって不機嫌になる——根本のところで、「自分のあり方が沈下する理由なんかない」と思っているからだ。


 僕自身も「他人より偉ぶろうとは思っていないけれど、バカにされるのは許せない」ところがあるので、こういう「中流」の一員なんですよね、たぶん。
 トランプ大統領を支持しているのも、「かつてのアメリカを支えてきた中流の労働者層」であるといわれています。
 自分がいま持っているものを奪われることに耐えられる人は少ないのです。
 それが、「みんなのため」であったとしても。


 そもそも、「反知性主義」と他者にレッテルを貼っている人たちの「知性」とは、そんなに正しいものなのか?

 中央集権化してしまった知性は、揺るぎない一つの体制になる。疑問や反抗を、容赦なく撥ねつける。
 日本が軍国主義だった時代に、知性は「右翼的なもの」でなければならなかった。そうでなければ糾弾された。軍国主義の時代が終わって、戦後は打って変わって、知性というものは「左翼的なもの」でなければならなかった。「右翼的である」と見なされると、糾弾されたり、「古い」と言われて排除されたりした。どこの誰が糾弾したり排除をするのかということではなくて、知性が一つの体制とあってしまっているから、排除や拒絶はいたって自然に、かつ簡単に起こる。親の言うことに、子供が「違う!」と反対意見を述べても簡単に一蹴されてしまうのと同じだ。「どちらが正しいか」という問題ではない。「親が言っているから従え」というだけで、「親の知性」はそれがどんな質のものであれば、もう「揺るがない一つの体制」なのだ。


 率直に言うと、この新書で著者の橋本治さんが言いたいことって、わかるような、わからないような、すごくぼんやりとした印象なのです。
 序文で、この新書化された連載の前半部分を書いていた頃は、長期入院などもあって体調が今ひとつだった、と仰っていて、橋本さん自身にも「知性」というのは、はっきりと定義できていないのではないか、と。
 東大出たけど、勉強好きじゃなかったんだよね、とか、ずっと「東京の山の手住まいだった」とか言われると、東大出でも東京の山の手出身でもない僕は「ああ、こういう無自覚な優越感って、なんかものすごく感じ悪いんだよなあ」って、思うんですよ。
 クリントン夫妻を嫌うトランプ支持者は、こんな気分なのかな、と想像してしまいます。
 ヒラリーさんは政治家として立派な業績をあげてきているのは知っているし、トランプ大統領を支持しているわけではないのだけれど。


 なんだか読みにくい、書いてあることが頭に入ってきにくい本なので、あまりおすすめはしません。
 「なんでも簡単に説明すればいい」ってものじゃないのはわかるのだけれど、「必要以上にややこしくなってしまっている」のは、どうかと思うんですよ。


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