琥珀色の戯言

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【読書感想】健康格差 あなたの寿命は社会が決める ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
寿命って自己責任ですか?低所得者の死亡率は高所得者より3倍高い。急増する単身高齢者の健康を社会はどう守れるか?なぜ秋田県男性は全国平均に比べて「短命」なのか?健康寿命が東京23区最短レベル・足立区が取り組む画期的プロジェクトとは?老若男女、誰もが当事者になり得る「命と健康」のほんとうの問題。


 寿命や健康は、どこまで「自己責任」なのか?

 低所得の人の死亡率は、高所得の人のおよそ3倍――。


 健康長寿社会を目指し、全国の大学・国立研究所などの研究者が分析を進めている日本老年学的評価研究(Japan Gerontological Evaluation Study, JAGES)プロジェクトが、65歳以上で要介護認定を受けていない人2万8162人と4年間にわたって追跡調査したところ、その間に死亡した男性高齢者は、高所得の人が11.2%なのに対して、低所得の人はその3倍の34.6%に及んでいるという衝撃的な調査を2008年に発表した。
 所得で人の死が左右されるだけではない。住んでいる地域や雇用形態、家族構成の違いで病気になったり、寿命が短くなったりしてしまうという問題が、最近、日本社会で深刻化しつつあることがわかってきた。


 「地獄の沙汰も金次第」なんて言いますが、お金や人脈があるほうが、長生きできる可能性が高い、というのは、多くの人が実感しているのではないかと思うのです。
 理想としては、すべての人に平等かつ最高の医療を、ということになるのでしょうけど。
 日本という国は、国民皆保険で、アメリカの民間医療保険と比べると、ほとんどすべての人が比較的少ない負担で安定したレベルの医療にアクセスできる国だったはずなのですが、その日本で、住む地域や収入、家族構成による「健康格差」が広がってきているのです。
 日本に生まれた、というだけでも、世界の「健康格差」を考えると、長く生きられる可能性が高いという点では恵まれているとも言えるのですが。


 この本のなかでは、非正規雇用で15年間働き、30代で糖尿病を発症、合併症として網膜症、腎不全があり、人工透析導入も時間の問題、と言われているという、みゆきさん(40代・仮名)への取材が紹介されています。

 みゆきさんは、非正規雇用の労働者として、主に工場での検品を中心に職場を転々としながら15年間働いてきた。夜勤と日勤を繰り返すような不規則な働き方だったため、食事は買ってきた弁当で済ますことが多かったという。1日12時間労働になることも多く、疲れ切って家につく毎日、次第に食べることだけが、ささやかな楽しみになっていった。帰宅すると、500mlのビールとともに、弁当は少なくとも2パックをかきこむ。
「家に帰っても誰もいない。もし誰かがいれば、料理を作る気にもなるんですけど、自分だけのためだったら、ただお腹を満たせばいいだけっていうか。食べたらなんだかすっきりするし。まあ、ストレス解消みたいに考えていましたね」
 雇用が不安定だったことから、いつ仕事をクビになるかわからないという精神的なストレス。友人たちも、次々に結婚、出産し、ライフスタイルが異なってしまったことから知らず知らずのうちに疎遠になってしまう。そうしたストレスの解消が、すべて食べることに向かってしまった。
 みゆきさんの乱れた食生活。それを指摘される機会にも恵まれなかった。短期契約の仕事が中心だったため、法律で定められている定期健康診断の対象にならなかったためだ。
 このような生活を20代から続けること10年。36歳の時、ふと首が痛いと感じて訪れた病院で、みゆきさんは、いきなり「糖尿病」と診断される。医師からは定期的な受診を勧められたが、糖尿病の初期段階はほとんど自覚症状がないため、治療の必要性をそれほど強く感じなかったという。
「思いもよらない診断だったのですが、別に糖尿病と言われたって、痛くもかゆくもなかったんです。それより、病院に行くと行った分だけお金がかかるし、仕事も休まないといけない。するとその分、もらえるお給料は減ってしまう。だから、どうしても目の前の生活や食費にお給料を回してしまったんです」
 こうして、糖尿病への対策を先送りにしてしまったみゆきさん。そのツケは、突然やってくる。診断から4年後、みゆきさんは仕事の最中に自分の体の異変に気付く。


 ああ、こういう人って、今の日本には、たくさんいるのだろうなあ……
 ただ、これを読みながら、この事例を「社会が悪いから、こうなるのってしまったのだ」とまで、僕は言えないな、とも思ったのです。
 自己責任、という言葉は、あまり好きではないし、15年間、ちゃんと働き続けていたにもかかわらず、こういうことになってしまったのか……と暗澹たる気持ちにはなったのですけど。
 食べること以外でストレスを解消できていれば、糖尿病と診断された時点で、ちゃんと通院していれば……

 糖尿病の悪化で、今となっては食事や通院など必要な時以外は、自宅の布団で横たわって過ごすことしかできない生活になってしまった。
「今はもう、走ることができないし、まともに歩くことすらできないし。戻れることなら、健康なときに戻りたいなって思うことはあります」
 そうかぼそく語って、みゆきさんは再び涙ぐんだ。


 とりあえず、この事例から学べることがあるとすれば、社会の善悪はさておき、自分の身は(社会を変えるより)自分で守るのがいちばん手っ取り早いし、健康というのは、代えがたい財産である、ということなんですよね。
 自覚症状がないのに、定期健診に言ったり、人間ドックに入ったりするのは、敷居が高いというのもわかります。
 芸能人の早期がんがみつかって休養・手術を受けた、というニュースを聞くたびに、「ああ、お金を稼げる人というのは、周囲からも大事にされていて、だからこそ定期健診を受けていたり、早めに病院に行ったりしているのだな」と感じるのです。
 「早期発見」というのは、「予防」の次に有効な治療だから。


 また、こんな調査結果も出ているようです。

 統計学者の本川裕さんが厚生労働省の人口動態統計(2014年)を基に、未婚者と既婚者(離婚や死別を含む)の死亡率を算出したところ、45~64歳の未婚男性は同世代の既婚者の2.2倍にのぼることがわかった。未婚女性の場合、既婚者との差はほとんどなかった。
 また、別の調査では、既婚か未婚かで死亡リスクが大きく異なることもわかってきた。未婚男性を既婚男性と比べると、心筋梗塞による死亡が3.5倍、呼吸器系疾患によるものが2.4倍、自殺を含む外因死で2.2倍などと、さまざまな原因での死亡リスクが高かった。この調査でも、女性については未婚・既婚での差はなかったという。
 原因はどこにあるのか。専門家は、そのひとつに未婚男性の食生活の乱れをあげる。未婚男性の多くが、朝食をとらない傾向にある。この習慣は血圧の急激な上昇を招き、脳卒中のリスクを高めるとされている。


 僕も食生活は不規則になりがちなので、身につまされる話ではあるのですが……
 これに関しては、今後も男性の既婚率が劇的に高くなることはなさそうなので、男も自分で知識を得て、自衛するしかないと思います。
 「個人が重視される社会」というのは、「自分でやらなければならないこと」が、増えるという面はありますね。


 そして、社会保障に使えるお金にも限界があります。

 介護保険の見直しは始まったばかりで、今後も利用者の自己負担はさらに高まり、介護報酬も減額されていく可能性が高い。平成28年度の国の予算で、国が負担する介護費用は約2.9兆円。医療や年金と合わせた社会保障費はおよそ32兆円と、国の予算全体の3分の1近くを占め、国の財政を圧迫している。高齢者の増加や家族形態の変化により、公的な介護サービスを必要とする人口は年々増え続けている。今まで通りの規模で公的な介護サービスを実施し続けることは難しいのが現状だ。


 待遇面での問題もあり、介護離職者が増えていて、施設があっても人がいないため、入所者数を増やせない、という事例も紹介されています。
 さらに高齢化がすすんでいくこれからの日本では、税金による負担増を受け入れないかぎり、今のレベルの社会保障を続けていくことすら難しくなっているのです。


 近年は、地方自治体や企業も「減塩」や「健康的な食生活」をアピールしており、その取り組みが実を結んでいる地域もあるそうです。 
 また、人が集まる場所に出向いていって健康診断を行うとか、野菜をお菓子のような形のスティックにして、お洒落なCMで売るなど、「説教くさくない形で、楽しみながら健康を維持してもらう」試みも増えてきているそうです。
 「上から目線」での健康指導では、本当に伝えたい人たちには、伝わりにくいのですよね。


 この本のもとになったNHKの番組のなかで、「健康格差」についての討論が行われたそうなのですが、そのなかで、俳優の風間トオルさんがこんな発言をされています。風間さんは5歳のときに両親が離婚し、その後、父親も失踪してしまい、祖父母のもとで育てられたそうです。

 (風間トオルさんの)著書『ビンボー魂』(中央公論新社)には、小学校時代「学校が休みになる=学校給食にありつけない」や「中でも空腹との長く厳しい闘いが強いられる夏休みをどうやって凌ぐかが大問題」と書かれている。そんな時、風間さんは家の前の公園に生えている、草やタンポポアサガオを食べたりして飢えをしのいだ壮絶な体験をされている。


「国の力を借りるのは最後の最後じゃないでしょうか。国が一律で何かすることでもないですし、個人が自分で努力して解決することじゃないでしょうか。僕なんかも子どもの時、貧困というか、お金がなくて、公園の草とか食べて飢えを凌いでいました。草の匂いをかいだり、口に入れながら、『これはいける』『これはいけない』って判断していました。そうやって努力して空腹を満腹にしてきた。だから、高齢になって動けなくなった時に初めて、国の力を借りることが許されるのかなって思いますけどね……」


 ギリギリのところ、厳しい状況から自分が努力して抜け出した人ほど、社会保障を受ける他者に対して厳しい態度をみせる、というのは、けっこうありがちです。
 自分は頑張って克服したのだから、みんなできるはずだ。
 あるいは、自分だけが苦労したのでは、割に合わない、って。


 お金も人的資源も無限にあれば、大盤振る舞いできるのでしょうけど、もちろん、そんなことはない。
 なんでも「自己責任」にしてしまう人には、今の世の中って、ちょっとしたトラブル(急病や親の介護、失職など)で、誰でも転落してしまう可能性があることを考えてみてほしいけれど、いまの日本の社会保障は「欲しい人に、欲しいだけ」提供できる余裕はなくて、「自己責任」という「社会的圧力」みたいなものが、かろうじて制度を支えている、という面もあるのです。
 そういう状況は、本来、「望ましいこと」ではないのだろうけど。
 

fujipon.hatenablog.com
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健康格差

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「健康格差社会」を生き抜く (朝日新書)

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