Kindle版もあります。
80年代は『アップダウンクイズ』『クイズタイムショック』など素人参加型のクイズ番組がひしめいていた。
そして、誰もがニューヨークに行きたいと憧れた『アメリカ横断ウルトラクイズ』。
最強のテレビ観察者・てれびのスキマこと戸部田誠が、ウルトラクイズのなかでも伝説として語られる第13回大会を中心に、当事者たちの証言を基に描く青春群像劇。
運動でもなく勉強でもなく、クイズを選んだ青年たちのノンフィクションノベル!
『アメリカ横断ウルトラクイズ』の第1回が放送されたのは、1977年10月20日。当時、小学校低学年だった僕は、「こんなに面白いテレビ番組があるのか!」と感動した記憶があります。
参加者が後楽園球場での予選を勝ち抜いて、成田空港のじゃんけん、機内クイズからアメリカ大陸を横断していくスケールの大きさと、そこで少しずつ出場者のキャラクターがわかってきて、そこで繰り広げられる人間ドラマに魅了されたんですよね。
そして何より、僕も当時『○○のひみつ』というような雑学本ばかり読んでいて、クイズが大好きだったのです。
「東京の大学に入って、『ウルトラクイズ』に出場する」ことを将来の目標にしている田舎の小学生でした。
この地(メリーランド州・ボルティモア)が1989年『第13回アメリカ横断ウルトラクイズ』の準決勝の舞台に選ばれたのは必然だったのかもしれない。若きアメリカのフロンティア精神を体現した4人の若者が生き残り、熾烈な戦いを演じたのだから。彼らはのちに「ボルティモアの4人」あるいは「奇跡の4人」などと呼ばれることになった。
1人は、その出身者が第11回、第12回大会を連覇した立命館クイズ研究会「RUQS(ルックス)」のエースである長戸勇人、24歳。
1人は、同じく『RUQS』に所属し、のちに「笑うクイズ王」と呼ばれる永田喜彰、27歳。
1人は、名古屋大学クイズ研究会の初代会長で、長戸の同学年のライバルとして長年にわたり切磋琢磨してきた秋利美紀雄(現・美記雄)、早生まれの23歳。
1人は、今や名門であり『東大王』ブームを生み出した東京大学クイズ研究会『TQC』の立ち上げメンバーのひとりであり、富士通に勤務する「考えすぎのコンピューター」田川憲治、26歳。
彼らはクイズに、いや『ウルトラクイズ』という世界に魅了され、それに青春を捧げ、ようやく陽の当たる場所にたどり着いた。いまでは世間的にも認められた「クイズ研」という存在だが、誰も見向きもしないその創成期に、彼らは道を切り拓いていったのだ。
役者は揃い、機は熟した。
この4人は、それ以前、そしてこの後もクイズの世界で活躍し、大きな功績を残しているのです。
後楽園球場(のちに東京ドーム)での予選や成田空港でのじゃんけん勝負など、運の要素もかなり強い『ウルトラクイズ』にもかかわらず、このメンバーが残ったのはまさに「奇跡」だったとも言えるでしょう。
この「第13回」は、クイズ愛好家たちに「伝説」として語り継がれているそうです。
『ウルトラクイズ』がはじまった1970年代後半から1980年代は「視聴者参加型クイズ」の全盛期でもありました。
毎年秋が深まるとやって来る『ウルトラクイズ』の季節。
「早く来い来い木曜日」
長戸たちクイズ少年たちは木曜日を待ち望んだ。彼らにとって、それはまさに「史上最大の木曜日」だった。
この番組に出場し何としても優勝したい。中学生の頃、そう決心すると彼はそれを目指し「クイズ」を始めた。クイズを”始める”というのは一見奇妙な表現かもしれない。一般的にクイズは始めるものではない。しかし、スポーツを本格的に始める人がいるのと同様に、クイズを本格的に始める人たちが確かにいる。
ああ、僕も出たかったなあ、ウルトラクイズ。
僕は年齢的に、ウルトラクイズに間に合わなかった(それに、東京の大学にも行けなかった)し、高校生クイズには遅すぎた。
大学にはクイズ研究会もありませんでした。
でも、この本を読んで、「当時の僕レベルの実力と覚悟では、長戸さんのようなクイズに全てを賭けて、道を切り拓いてきた人たちに、全く歯が立たなかっただろうな」と納得できたような気がします。
僕は「大学が東京じゃなかったから出られなかった」とか言っているけれど、彼らは「クイズを続けるための大学を選んでいた」のです。
クイズ、とくにテレビ番組で行われるようなクイズは、知識が豊富なだけでは勝てない。早押しのタイミングや問題の傾向やルールの把握が重要だし、この本の主人公の長戸さんは「ウルトラクイズで勝ち残るためには、テレビ映りが良く、スタッフや他の出場者にも愛されるキャラクターでなけれなならない」と、さまざまな「自己演出」を続けてきたそうです。
番組に不正はなく、公正な勝負が行われていたことも紹介されていますが、テレビ番組である以上、「面白い番組にするための、出場者とスタッフの暗黙のチームプレイ」の要素もあったのです。
僕も毎年『ウルトラクイズ』を観ながら、「自分は後楽園球場での予選で何問目まで残れるか」と挑戦していたのですが、単純な○×クイズにもかかわらず、すぐに答えがわかるような問題はほとんど無くて、回答者もだいたい半々くらいに分かれるというのはすごいですよね。
2023年に開催されれば、「スマートフォンを使った情報収集」対策も必要になるでしょうし、『ウルトラクイズ』は、あの時代の日本の経済力とテレビというメディアの勢いがあればこそ、実現できた番組だったのです。
『ウルトラクイズ』で優勝することを中学生時代に決意した長戸さんは、同じようにクイズの世界に魅了された「仲間」たちと連絡先を交換し、文通、ときにはお互いの地元を行き来しながら腕を磨いていきます。
のちには、社会人のクイズサークルに入ったり、入学した大学で、自らクイズ研究会を立ち上げたりして、「クイズマニアの居場所」を築いていくのです。
僕の記憶の中でも、『ウルトラクイズ』で最後のほうまで残っているのは、大学のクイズ研究会所属の人が多かったのです。
彼らは「クイズの実力がある」だけでなく「組織的なウルトラクイズ攻略法」を編み出そうとしていました。
『ウルトラクイズ』の1次予選「○×クイズ」は、個人競技という前提ではあるが、一方で団体競技の側面もある。多くの出場者、特にクイズサークル関係者は、集団でグループを組んで挑む。○か×かのエリアにみんなで走って解答することから俗にこれを「一緒に走る」という。時に相談し正解を知っているものがいればそれに従い、時に迷えばそれぞれの道に分散していく。
クイズサークルの猛者たちがグループを組み、そのうちの誰かが正解を知っていれば、グループみんながそちらへ走る。
彼らはルールのなかで許された戦略をとっているだけではあるのですが、その組織的な「ウルトラクイズ攻略法」に、お祭り感覚で参加した「クイズが得意な人」が太刀打ちできなくなってくるのは道理です。
「困ったことになった……」
1次予選を勝ち抜いた104人のメンバーを見て総合演出の加藤就一は頭を抱えた。
あまりにもクイズ研究会の関係者、つまり”クイズマニア”の含有率が高かったのだ。『ウルトラクイズ』の予選には回を追うごとにクイズサークルの参加者が多くなっていった。彼らは揃いのシャツやいろとりどりの上りを掲げて参加した。それはテレビ番組の画として彩りがあっていいなとは思っていたが、それは予選まで。彼らの多くが勝ち進んでしまうとある問題があった。『ウルトラクイズ』が見せたいのは人間ドラマ。様々な世代の”普通の人たち”がともに旅をし、クイズを通して悲喜こもごもの姿を見せるドキュメンタリーだ。アメリカ上陸までに敗れていく挑戦者たち。そして10人足らずになった頃にクイズマニアの同世代の若者たちだけになってしまったら、視聴者にとっては誰が誰だかわからなくなってしまう。けれど、『ウルトラクイズ』は他の視聴者参加番組と違い面接などのオーディションがない。予選の「○×クイズ」で選別するしかない。だから、毎回、○×クイズには「クイズ研落とし」などと呼ばれる知識では解けなかったり、クイズ的な推理をすると引っかかってしまうような問題が仕込まれてきた。だが、この年はなぜか、それらしき問題が出題されなかった。スタッフにこの年はクイズの実力者たちを集めた大会にしようという意図があったのか、あるいはクイズ研の『ウルトラクイズ』研究の成果が実ったのか。
いずれにせよ、『第13回ウルトラクイズ』には、クイズの猛者たちが集結することになったのだ。
長戸勇人さんをはじめ、「クイズ研究」の歴史を作ってきた猛者たちが激闘を繰り広げた『第13回』は、番組にとっての大きなターニングポイントになったとも言えます。
クイズ研究会の関係者ばかりが勝ち上がれるようになってしまえば、『ウルトラクイズ』の、結果が予測できない面白さやスケール感が失われる。
とはいえ、「年齢やパスポートを持っていることなどの条件を満たせば、誰でも『ニューヨークに行ける』かもしれない」という間口の広さが伝統であるこの番組で、クイズ研究会のメンバーを排除するわけにもいかない。
スタッフも、「上位進出者の属性が似通ってしまうこと」を危惧していて、「クイズ研落とし」問題を意図的に予選で出してもいたのです。
僕自身も『ウルトラクイズ』の晩期は、昔のようには熱中できなかったのです。それは、僕がそれなりに「大人になってきた」からというのもあるのでしょうが、「同じような属性の出場者ばかりが上位に進出していくことへのマンネリ感」もあったような気がします。
この本では、「奇跡の4人」をはじめとする「『ウルトラクイズ』に青春を賭けた若者たち」のその後も紹介されています。
クイズが得意な、知識欲がある若者たちは、偏差値が高い大学を出て、高給の専門職や公務員、大企業に勤務し、エリートとして人生を送っていくのだろうな、と思っていたんですよ。
興味がある方は、(クイズ好きにとってはとくに)すごく面白い本なので読んでみていただきたいのですが、「クイズに取り憑かれた若者たち」は、世間的なエリートの道を進まずに「とにかくクイズ(やクイズ番組)を続けられる環境」に身を置こうとしていくのです。
彼らにとって、クイズは「趣味」にはとどまらず、「人生そのもの」だったのです。
こんなに夢中になれるものがあって、羨ましいなあ、という気持ちと、僕自身は「クイズの魔力」にとらわれなくて良かったのかもしれない、という安堵と。
それにしても、あの頃の『アメリカ横断ウルトラクイズ』は、面白かったよね。
今でもあの壮大なテーマ曲をすぐに思い出せます。
「知力・体力・時の運、早く来い来い木曜日!」