琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

WEB上の「オリジナリティ」

 ネットで書いている人なら誰しも(ってほどのことはないかもしれないけれど)、「これ、ウチと同じネタなんじゃないか?」というようなエントリのひとつやふたつ、目にしたことがあるのではないでしょうか。もちろん僕もあります。
 そういうときって、本当になんだかムカつくというか、苛立つものではあるんですよね。
 せっかく苦労して書いたのに!って。

 先日、辛酸なめ子さんが漫画のなかで、最近「パクリ検証サイト」で【さまざまな作品・作家が槍玉に挙げられているけれど、どんどん微細な構図やタッチにまで「盗作疑惑」がかけられるようになったら、「オリジナル漫画家」なんていなくなってしまうのではないか?】と書かれていました(これは僕の記憶に基づく記述ですので、100%正確なものではありません。念のため)
 また、作家・恩田陸さんは、
http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&pg=20050917
↑のように書かれています。実は、「『純粋なオリジナル』なんて、存在しないのではないか?」と。
確かに、人間にとって「生きる」ということそのものが、他者から影響を受け続けることなんですよね。突き詰めていえば、「小説」とか「漫画」という表現形態そのものが、すでに「先人が作った枠組み」の中にあるものなのだし。
 漫画に関しては、「たけくまメモ」にも、
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2005/10/post_9358.html
↑のような見解が載せられています。確かに、スポーツの動きを頭の中だけでイメージして正確に描くなんていう漫画を、1週間に20枚も描くのは至難の業でしょう。

 それで、WEBサイト、ブログのエントリの「オリジナリティ」なのですが、実際のところ、僕がいままで「ウチと同じネタ書きやがって」なんて内心苛立っているものの多くは、「ヤフーのトップページに載っていたニュースが元ネタ」だったりするわけです。ヤフーのページビュー数や「ネットにものを書く人間」の好みを考えれば「同じようなネタを書いてしまう」という可能性は十分にあるんですよね。というか、同じようなことを書く人がいないほうが不思議なわけで。いや、そもそもニュースや本のネタを「引用」するというのは、ある意味「パクリ」だと言えなくもないし。そりゃあ、自分の近所の犬が吠えた話がそのまま他のサイトに書かれていたら気味悪いとしか言いようがないんですけど。

 基本的に、WEB上のブログなどの文章のなかで、「オリジナリティ」が高いものって、「個人の日常を書いた日記」くらいのものなのではないかと僕は考えています。僕もときどき「WEB論」「サイト論」みたいなものを書いていますけど、ああいうのって、実のところ、「いつか誰かが書いたものの焼き直し」でしかないのでしょうし、たぶん、僕が書いたものを読んで、「あっ、これは前に俺が書いたのとそっくり!」なんて憤っている人だって、どこかにいるのではないかと思うのです。人はみんな「このネタを取り上げたのは自分が最初」だと思い込みがちなのです。実際は「最初」は、そのうちの1人しかいないのにもかかわらず。
 でもなあ、「サイト論」なんて、ある意味、好事家たちが似たようなことを何年も繰り返しているんですよね。人工衛星みたいに、同じところをぐるぐると回って、電池が切れたら、落ちる。

 そんなふうに考えていくと、胸を張って「オリジナリティ」を主張できるWEB上の「ネタ」は、さて、どのくらいあるのでしょうか?
 ヤフーのトップページのニュースに対して月並みの感想だけしか書いていないエントリよりも、「リンクと一言コメントだけ」のニュースサイトのほうが、その「傾向」に「選択した人のオリジナリティ」が感じられたりすることもありますし。
 まあ、「他者のサイトのネタを後追いばかりしているのに、元ネタよりつまらない内容しか書いてない」というのは、やっぱり情けないものではありますが。
 観ている側が「オリジナリティ」のカケラでも感じられるものって、この世界には、本当に少ないのだと思います。
 書いている側は、ついつい自分に甘くなりがちなんだけどさ。

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