- 作者: 業田良家
- 出版社/メーカー: 竹書房
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「Wikipedia」の記述より
男性サラリーマン向け週刊誌「週刊宝石」のショートコミック枠に掲載。当初は複数のシリーズがあるオムニバス作品だったが、人気のあった「幸江とイサオ」シリーズに一本化された。この項では特に「イサオと幸江」シリーズを「自虐の詩」として記す。 シリーズ初期は、怒るとすぐにちゃぶ台をひっくり返したり、金をせびるばかりのイサオとそれに従う幸江といった構図のギャグが中心だったが、中期以降幸江の子供時代の回想が増えてくるとしだいにストーリー4コマとなっていき、幸江の小学生編・中学生編を経て最終回に突入していくドラマチックな展開は「泣ける4コマ」として定番になっている。
今日から映画も公開されるということで、この「泣ける4コマ」を読んでみました。
この作品の存在そのものは前から知っていたのですが、「ちゃぶ台返しの話」というイメージしかなかったんだよなあ。
上巻は「どうしようもない男女の『共依存』の話」という感じなのですが(まあ、どちらかというと侮蔑的に哂える話です)、下巻は「どんなにがんばっても這い上がれない状況で生きていくこと」について、あるいは、「幸福って何だろう?」と問いかけてくる切実な話がメインになってきます。
率直に言うと、僕は「この作品に感動する人がいるのはよくわかる」のですよ本当に。
でも、僕自身はどうだったかというと、「こういう『人情話』に素直に泣かされて、こういう人生を肯定してしまうのには、すごく抵抗があった」のです。
些細なことで腹を立てて、ちゃぶ台をひっくり返し、妻の稼ぎを巻き上げてギャンブルと酒三昧の男と、それでもその男に貢ぎ続けて、日常に「幸福」を見出そうとする妻。人間の幸福とか不幸なんて、よそからみてもわからないものなんだけどさ、これでも「幸福」であることをあっさり肯定できるのなら、僕や僕の周りの人たちのが頑張って続けている「まっとうな人生」って何なんだよ!と僕は思います。
この作品に素直に「泣ける」人って、僕はちょっと羨ましい。
僕は藤沢さんではなかったけれども、下巻に出てくる「学生時代の幸江を冷笑していた同級生のひとり」だったので、なんだか、自分の子供時代の罪を責められているような気がしましたしね。
あとがきでの小林よしのりさんの言葉は、すごく印象的でした。
ある意味で、今の中流で小綺麗な夫婦関係とか、家族なんかの方が、言葉で割り切れてしまうような合理性だけに支えられてしまっている。あんたがいい金を叩き出してくれるから夫婦なんだとか、世間並みの暮らしができるから夫婦であり家族でおれるんだみたいな、そういう契約関係だけにのっとってしまったような夫婦関係、家族の絆みたいなもの、そういうところではもう絶対つかまえることができないような、全く不合理で、全く説明がつかないような人間関係とか、絆みたいなもの、それを描き出してしまっているわけね。
だからこの夫婦とか人間に対する絆のあり方みたいなものを、今の綺麗にすまして暮らしている人たちが果たして持っているかろいったら、今度は逆にそっち側のほうが怪しくなってしまったりするわけでね。(中略)
オウム真理教の信者とか、青山吉伸(元弁護士)とかあんなのも、やっぱり「何のためにこいつらは生きているんだ」というふうにしか見てなかったわけでしょ。いわゆるそういう若い人たち、オウムに入っていったようなやつらなんかは、やっぱりプライドだけがものすごく肥大してしまっていて、「こんなやつらに生きていく資格があるのだろうか」とか、「生きていく意味なんて人間にあるのか」と思いながら、それで「自分はこんな価値のない人間にはなりたくない」と言って出家して、「自分は特別な価値のある人間にならなければいけない」とか、「この世の中全部をもっと価値ある社会にせねばならん」とか考える。それがどんどん肥大していけば、「地下鉄サリンで何十人ぐらい死のうと、新しい真理の王国が築ければ、何かそこにはかけがえのない一人一人の人生が待っているはずだ」とか思っちゃうわけでしょ。彼らのポアだの、魂をより良いところに転生させるとか、生意気すぎるっていうんだよね。
そういうやつらにこそ、本当はこの『自虐の詩』みたいなのを読ませなきゃいけなかったんだよね。
ああ、僕はまさに「オウム予備軍」だったのか……
でも、やっぱり僕は、この『自虐の詩』のような人間関係よりも、「言葉で割り切れてしまうような合理性」に支えられている人間関係のほうがラクだし「正しい」のではないかという気持ちを捨てきれないのです。
ちょっと前に、「酒と音楽をこよなく愛した歌手」が地元で亡くなられたのですが、メディアが彼の「破天荒な人生」を好意的に採りあげていた一方で、彼の「酒やお金についての問題行動」にさんざん困らされていた親族や地元の人たちは「やれやれ、これでやっと『解放』される……」と囁きあっていたのだとか。
遠くからみて「美しい」ものが、傍にいても同じだとは限らない。
僕にとって、全肯定はできない作品なのですが、少なくとも、いろんなことを考えさせてくれた作品ではありました。