琥珀色の戯言

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人の心はどこまでわかるか ☆☆☆☆


人の心はどこまでわかるか (講談社+α新書)

人の心はどこまでわかるか (講談社+α新書)

出版社/著者からの内容紹介
心の問題集&回答集!!
悩み、傷つく心を知ると、自分も他人も見えてくる!!
人間の心がいかにわからないかを骨身にしみてわかっている「心の専門家」である著者が、「人の心とは何か」に心理療法の現場から答える!!

人間の心がいかにわからないかを骨身にしみてわかっている者が、「心の専門家」である、と私は思っている。そのわからないことをそのままに捨ておかず、つねにそれに立ち向かっていなくてはならないのはもちろんであるが。これに反して素人は「わかった」と単純に思いこみすぎる。というよりは、「わかった」気になることによって、心という怪物と対峙するのを避けるのだと言っていいだろう。この書物はもともと心理療法をいかにするかという問題意識から出てきたのであるが、心理療法に関係のない、心に関心のある一般の方々が読まれても、おもしろいものになっていると思う。治療者とクライエント(相談に来た人)の関係を、そのまま家族や職場の人間関係に移しかえることはできないが、それらを考える上でヒントになることが、相当にあるのではないかと思う。

 臨床心理学者・河合隼雄さんが、さまざまな現場ではたらく心理療法家たちの質問に答えたものをまとめた本です。
 僕はこのタイトルを見て、「河合さんがわかりやすく書いた、心理ゲームみたいな本なのかな」と思い込んで読み始めたのですけど、実際に読んでみると、内容はかなり「プロの心理学者向け」だなあと感じました。
 「隣の人が何考えているのか、わかったら面白そうだな」なんていう気持ちで読むには、ちょっと専門的かつ「ヘビーすぎる」本かもしれません。
 それでも、同じような内容を扱っている「専門書」に比べたら、はるかに読みやすい本ではあるのですが。

 たとえば、これは私があつかった例ではありませんが、自分は変な臭いがしているから人に嫌われていると思いこんでいる人がいました。いわゆる幻臭というもので、自分の足の先からオナラが出るから、みんなから嫌われているんだと思いこんでいたのです。
 この人が入院して治療を受けていましたが、やがて完全に治って退院しました。そして職場に復帰した最初の日の晩、家族は赤飯を炊いて待っていたのですが、当人は裏山で首を吊って死んでいました。
 本人はいやでしょうがない幻臭も、その人にとってはなんらかの意味をもっているのです。なにかはわからないけど、なんらかの要求があるからこそ、そういうものが出てくるわけです。それがなくなって普通の生活に帰るというときに、急にこわくなってくる。
 ほんとうは会社でなにかいやなことがあって、会社に行きたくないから、そういう症状が出ていたのかもしれません。それなら、入院して会社から離れていれば、自然におさまってきます。ところが、会社での問題は依然としてそのままですから、そこに復帰させられるのがこわい。まわりは赤飯を炊いて喜んでいるから、「ぼくはほんとは会社に行きたくないんだ」とも言いにくい。それならいっそ死んだほうがましだということになる。とくに、まわりが「よかった、よかった」と大喜びしすぎると、よけい危険です。
 だから、私は、治っていく人には必ず、「治ることの悲しさ、つらさもあるのですよ」という話をします。
 やや事情は異なりますが、夫婦で悪口ばかり言いあっていたのに、片方が死んだとたん、もう片方もすぐに死んでしまうという例がときどきあります。口うるさい相手がいなくなってさぞやせいせいするかと思ったら、そうではなく、突っかえ棒がなくなって、自分も倒れてしまうのです。つまり、お互いに悪口を言いあうことでバランスがとれていたわけですが、悪口を言う相手がいなくなったら、生きていけなくなってしまうというケースもあるのです。

 この「治ることの悲しさ、つらさもある」という話には、本当に考えさせられました。
 だからといって、「治るものを治さない」わけにはいかないし、周りに「治っても喜ぶな」とも言えないでしょうから、どうすればいいのか、僕にはよくわかりません。
 そして、「自分が病気である」ということが、いつのまにかアイデンティティの一要素になってしまっている人っていうのは、たしかにいるのではないかなあ、とも感じます。

 興味本位で覗いてみるには、ちょっと「重過ぎる」本なんですが、心理学に興味がある、カウンセラーを目指している(あるいは、業務のなかにカウンセラー的な人と接する仕事を含んでいる)人は、一度読んでおいて損はしない本です。
 居酒屋で同僚の愚痴を聞いているだけなのに、「自分はカウンセリングの才能がある」なんて思いこんでいる人も、ぜひご一読を。
 プロの仕事としての「カウンセリング」の凄まじさを痛感させられますから。
 

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