琥珀色の戯言

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尾崎豊の命日に


復刻・92年4月25日、尾崎豊さん死す(日刊スポーツ)


 今日で尾崎豊が死んでから16年、なのだそうだ(正確には、もう日付が変わって26日になってしまっているのだけれど)。
 僕はリアルタイムでは尾崎の歌を全然理解できなくて「卒業」を聴いては「窓ガラスに八つ当たりして、『支配からの卒業』を目指すより、勉強して東大にでも行って社会を改革しろよ」とか思っていたし、「I LOVE YOU」も「要するにヤンキーカップルの『とにかくやりたい』って歌だろ?」とか内心バカにしている人間だった。まったく、子どもというのはオトナが思う以上に子どもらしくないものだ。

 尾崎豊絡みでの「良い印象」というのは僕の中には全然無くて、同級生で尾崎を聴いている連中はみんな見ちゃいられないナルシストだったし、彼らは事あるごとに「俺は、俺は」という人々だったし。尾崎絡みで記憶に残っていたのは、東京ドームで復活コンサートを行った際に「信者」が集まったということと、斉藤由貴と不倫をしていて、斉藤由貴の写真がCDのジャケットに使われている、という都市伝説があったことくらいだ。それも、「敬虔なモルモン教徒」であるはずの斉藤由貴がそんなことしてもいいの?というような感慨だった。

 今から考えると、若いころから「枯れてしまった人間」だった僕にとっては、尾崎の「オープン自意識」というのは羨ましくてしょうがなかったのかもしれないけど。

 大学時代に鈴木保奈美主演のドラマで『OH MY LITTLE GIRL』が使われたときには、少しだけ尾崎豊が好きになった。というか、この曲はなぜか好きなのだ。たぶん、尾崎の曲の中では「叙情的」ではなくて「叙事的」だからなのだと思う。
 大学の卒業式の謝恩会のあと、半分以上の人とはもうこれから一生会うことは無い、という状況で、みんなで泥酔して「卒業」を歌った。「この支配からの卒業」なんていっても、大学から社会人なんて、「ヤンキー仲間を抜けて暴力団に入る」みたいなものなのだが。それでも、その状況での「卒業」は不思議にその場の空気を代弁してくれたのだ。

 話は前後するけれど、尾崎の訃報を聴いたのは、ちょうど部活の春の大会の最中だった。そういえば、アイルトン・セナが事故死したサンマリノGPもそうだった(あの事故も部活の試合のために泊まったホテルで観た。あの中継のやるせない雰囲気は、今でも忘れられない)。

 それで、その大会が終わったあとに、好きだった女の子に「尾崎豊の死とセナの死で、自分の周りの世界がガラガラと崩れていくような気がする」と話したことをよく覚えている。
 確か彼女は「私もそんな感じがします…」と答えて、しばらく2人は黙りこんでしまったんだっけ。

 僕は同世代として尾崎を理解することはできなかったのだけれど、それは、やっぱり「尾崎的なもの」をあの頃の僕が持っていて、それを他人に「ほら、お前はこういうヤツだろ!」と突き出されるのがイヤだっただけなのかもしれない。今となっては、そんな「尾崎豊をキライだった自分」を懐かしむような気持ちで、宇多田ヒカルが歌う『I LOVE YOU』や桜井和寿が歌う『僕が僕であるために』を聴くことができる。尾崎豊がアーティストに愛されるのは、その曲の内容だけじゃなくて、そういう「自分の中の恥ずかしいものを曝け出す姿勢」に対する共感、みたいなものもあるのだろう。それは「アーティスト」にとって必要不可欠なものだから。

 今となっては、尾崎豊が死んでしまったことは「伝説の完結」にすら思える。「あの人はいま」に尾崎が出現して照れ笑いしながら「こーのしはいからの、そつぎょう〜」と歌ったりすれば、僕たちの失望は計り知れないものだっただろうし。もちろんそのほうが、本人や周囲の人たちにとっては幸せだったのかもしれないが。

 あれから16年も経つのだ。
 僕の周りでは、この16年間の間にいろんなものがガラガラと崩れ落ちていったり、いかなかったりした。
 ファンたちの多くは、尾崎豊の支配からも「卒業」し、斉藤由貴クドカン脚本の昼ドラに出演した。
 それでも、あの尾崎の青臭い歌は全然変わらないことに、僕はなんだか羨ましいような、妬ましいような気持になってみたりもするのだ。
 あの女の子は、今どこでどうしているのかわからない。
 ただ、元気で幸せでいてくれればいいなあ、と願うばかりだ。
 

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