琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

ランボー 最後の戦場 ☆☆☆


『ランボー 最後の戦場』(Yahoo!映画)

タイ北部の山の中で孤独な日々を送っているジョン・ランボーのもとに、少数民族を支援するキリスト教支援団体の女性・サラが彼の前に現れる。彼らは軍事独裁政権による迫害が続く隣国ミャンマーの窮状を憂い、医療品を届けようとしていた。その情熱に打たれ、頼みを受けて目的地の村まで送り届けるランボー。しかし本拠地に戻った彼に届いたのは、サラたちが軍に拉致されたとの報せ。救出のために雇われた最新装備に身を固めた傭兵部隊5人に、手製のナイフと、弓矢を手にした一人の戦士が加わる。戦場への帰還を決意したランボーだった…!

噂には聞いていたのですが、オープニングからいきなり残虐なシーンで、かなり驚いてしまいました。
この映画、R-15指定なのですが、映像からすると、「これでも高校生ならOKなのか……」という感じです。性的描写以外では、日本での映画の年齢制限っていうのは、けっこう「甘い」ですよね。『スウィーニー・トッド』のときもそう思ったんだけどさ。

軍事独裁政権に拉致監禁された人たちを救出するために、ランボーが八面六臂の大活躍をするというストーリーなのですが、序盤で武器も持たずにミャンマーの村に支援物資を届けようとする人たちを、ランボーは「帰れ」と一喝(というか無視)します。紆余曲折があって、ランボーは彼らを助けに行くことになるのですが、とくかくほぼ全編がグロテスクな殺戮シーン。観客は前半の独裁政権側の虐殺に怒りを感じ、後半のランボーたちの活躍にカタルシスを得る……はずなんですが、うーん、僕がこれを観ながらずっと考えていたのは、「素手よりピストルのほうが強いし、ピストルよりマシンガンのほうが強い」ということだったんですよね。ものすごく当たり前の話なんですけど。勝つのは「正しいから」ではなくて、単に「強いから」なわけですよ。
「圧倒的な暴力の前では、正義や善意なんて、役に立たないんじゃないの?」「『話せばわかる』っていうのは、『平和ボケ』した文明国の人々の勝手な思い込みじゃないの?」と、問いかけられていたように僕には感じられたのです。
そして、スタローンは、その「答え」をあえて観客に提示しようとはしなかった。
あの軍事政権の連中だって、「生まれつきの殺人マシーン」ではないはずです。平和な時代に生まれて、そういう教育(あるいは生活習慣)を会得していれば、「平和な人生」を送っていたはずなんですよね。彼らを「虐殺」するのが正しいのかどうか? でも、自分の身が危険にさらされている状況で、他の選択肢があるのかどうか?(あるとすれば、「自分がアッサリ殺される」しかないはず)
前半は善良な村人たちが軍事政権の連中に虐殺され、後半は軍事政権の連中が、同じようにランボーに虐殺されます。途中までは、ランボーの「復讐」に快哉をあげていたのですが、最後のほうになると、ランボーの「圧倒的な暴力」に、僕はどんどん絶望的な気分になってきたのです。これって、映画だから正義の味方、ランボーが人々を「救って」くれますが、現実にはランボーなんて存在しません。そして、もちろんミャンマーやタイの政府も、アメリカの政府も(もちろん「内政干渉」ではあるのですが、それ以上に「あんなところに関わってもまったく利益にならない」という理由で)村人たちを助けてはくれないわけです。ああいう世界に生まれてしまえば、「努力すればなんとなかる」とかいうようなレベルじゃないですよね。
僕はこの映画の前半を観ていて、「こんな連中がいるところは、核兵器でも落として地球上から消滅させてしまえ!」というような考えが頭をよぎりました。それは、「人間として最低」だと思うのですが、あんな場所で、あんな連中と戦うために身近な人、あるいは自分が駆り出されるとするならば、いっそのこと大量破壊兵器で根絶やしにしてしまったほうがいいんじゃないか、という気持ちを、抑えることができなかったんですよね。
僕は広島に住んでいたことがあるので、原爆は「アメリカの戦争犯罪」だと思っていますが、戦争というものを身近なものとして考えれば、「自分の親や子供が戦場で死んだり傷ついたりするよりは、原爆でも落としてさっさとカタをつけてしまったほうがいい」という発想は、もし僕が当時のアメリカ人だったとしたら、けっして不自然ではないような気がするんですよ。逆に、今までの世界は、よく核兵器を使わずに我慢してきたな、と感心してしまうくらいです。もちろんそれは、広島、長崎、福竜丸の「教訓」のおかげではあるのでしょうけど。

ランボー 最後の戦場』では、ほとんどイデオロギーは語られず、ランボーは個人的な事情で戦場に戻ってきます。
ランボーは強い、でも、ランボーは正義だから強いというよりは、強いから正義なのです。正しくても力のない連中は、豚の餌になるしかありません。
「圧倒的な暴力の前では、『話せばわかる』なんて妄言じゃないのか?」
「誰も『暴力』を行使しないで、平和を手に入れることなんて可能なのか?」
軍隊はもちろん、警察だって「暴力」なわけですよ。

ものすごくシンプルで「暴力的な映画」だからこそ、逆にいろいろと考えさせられました。
もしこれが「牧師の説得にゲリラが改心」みたいな映画だったら、たぶん、こんなに僕は悩まなかったはず。

スタローンが好きで、暴力・残虐描写に耐性が強い(これ重要!)人は、ぜひどうぞ。
ただし、観る前に食事を済ませておくのは、おすすめしません。

アクセスカウンター