琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

ネットいじめ ☆☆☆


ネットいじめ (PHP新書)

ネットいじめ (PHP新書)

内容紹介
インターネットはいじめの温床、匿名ゆえに陰湿な誹謗中傷の嵐。
「子どもたちを守れ!」を合言葉に、ネットやケータイの使用規制が叫ばれる。
はたしてこれで、いじめは減るのか?

学校裏サイト」を利用する子どもたちの生の声を分析すると、
ネット空間は現実の人間関係の延長にあり、要は使う人間の質と環境が問題だとわかる。
そしてそこには、空気を読まなければ叩かれる現代の若者事情が見え隠れする。
学校でも、職場でも簡単に見えるようになった<陰口>。
この息苦しさの正体が明らかになる。

【内容紹介】
つくられた「学校裏サイト」不安/ほとんどが口コミで広がることの意味/
「ネットいじめ」はネットのせいなのか/陰口が本人に見られたケース/
「いじめられ」なくても「いじられ」る可能性/「コミュニケーションの網状化」を生きる私たち/
キャラをめぐる病/ウェブ・コミュニケーションの未来/問われるべきは「大人の側の成熟度」
etc.

 この本を読んでみると、いままでの「ネットいじめ」に関する報道や言説は、「日頃あまりネットに接していない人たち」から出てきたものが多かったのだな、ということがよくわかります。
 「ネットいじめ」に関してメディアで取り上げられているのは、かなり「極端な例」ばかりが大々的に取り上げられて、「仲間内でまったりとコミュニケーションしているだけの「学校裏サイト(「公式」ではない、その学校についての話題に特化したサイト)」については、あまり言及されることがありませんでした。
 この新書は、「学校裏サイト世代」に年齢的にもかなり近く、ネットの現状にも詳しい荻上チキさんが書かれているということもあって、かなり「学校裏サイトの実態」に迫っているのではないかと僕は感じました。
 大部分の「学校裏サイト」は、毒にも薬にもならないような内容で、そのうちの半数くらいには「悪口」や「誹謗中傷」が書かれることもあるけれど、それが大きな問題になることは少ないようなんですよね。もちろんそれは、そのコミュニティーを形成している人たちのキャラクター、とくに管理人の意識と勤勉さによってかなり左右されるようなのですが。

 荻上さんは、この本のなかで、「学校裏サイト」への言及の中心的な人物のひとりである、群馬大学社会情報学部の下田博次教授について、こんなふうに書いておられます。

 たとえば下田は、著書『学校裏サイト』(東洋経済新報社、2008年)において、「全国学校サイトRANK」を「学校裏サイトの中でも中心的役割を果たしている」と紹介したうえで、そのサイトを代表的な例として構造などを分析していくという体裁をとっている。しかし、少なくとも2008年4月現在、「全国学校サイトRANK」は、一日数百アクセス、登録サイト100前後(2005年より運営されて、合計130万アクセス前後)のレンタルランキングサービスでつくられた小さなサイトにすぎず、そこに記載されている情報も、多くは関連サイトや別ランキングサイト、あるいは過疎状態にあるサイトで埋め尽くされている。
 つまりこのサイトは、下田がマスメディアで紹介したり、祭りのターゲットになるたび(このサイトは、グーグルで「学校裏サイト」で検索すると1位に表示されるサイトにリンクが貼られているため、物見遊山の見物客が見つけやすいお)にアクセス数が跳ね上がるくらいで(これはこれで問題なのだけれども)、実際にはまったく「中心的役割」など果たしていないサイトだ。

(中略)

 下田は著書において、「全国学校サイトRANK」で上位にあがっている「Teen's 学園」「学生の性知識」などを「学校裏サイト」として
「有名」だと紹介し、その内容を批判的に紹介している。しかし前者に関しては、実際はメル友募集サイトであり、後者は性情報の掲載と関連サイトへのリンク誘導を図るコンテンツページで、一日わずか数十アクセスのサイトだ。

 たぶん下田教授がわざとこういうふうな採り上げかたをしているわけではなくて、本当に「わかっていない」だけなんだろうな、と僕は思います。でも、発言力が大きな人が、こんなふうに「勘違い」をしてしまっているおかげで、「学校のことを内輪で話すサイト」というのが、実情以上に「モンスター化」しているように見えてしまっているのは事実ではないかと。

 とはいえ、「ネット上でコミュニケーションできることのメリット」と「そこでスポイルされる人がいることのデメリット」のどちらに重きを置くか、というのは、非常に難しい問題ではあります。いや、たしかに「ネットがいじめをつくる」わけではなくて、「現実に存在するいじめの構図が、ネットというツールで目に見えるかたちになってしまった」のですし、「子どもの世界は大人の社会の縮図だから、いじめがなくなるなんてことはありえない」のかもしれません。ネットでのコミュニケーションを一度体験した人たちに、「お前らは子どもだから、伝書鳩や郵便の時代に戻れ」と言っても無理でしょうし。
 たぶん、子どもたちも、僕たちが勝手に思い込んでいるほどには、子どもじゃない。

 しかし、既存のいじめへの対策さえきちんと行われていない現状であるのに、ネットいじめに対してだけは、まるでインターネットが問題を引き起こしたのだから、そのインターネットに制約をかけさえすれば解決するかのような議論が進行している。このような仕方で、原因と責任をわかりやすい対象のせいにしてすませる一方で(原因と責任の外部帰属化)、従来のいじめから具体的にどのような変化がおこっているかといった議論は行われていない。
「ネットによっていじめが見えづらくなった」という語りがまことしやかに行われているが、これまでのいじめが「見えていた」のかといえば、そうではない。これまでのいじめもきわめて「匿名的」なものであったが、ウェブ上に匿名空間が用意されることによって、それらが可視化されていると言ったほうがいいだろう。
 さらにいえば、これまで教師には見えていなかったいじめや陰口の数々が、教師ではなく「外部」に先に見られてしまっているがゆえに、いじめの存在を隠しきれず、対応できていない実態が明らかになっているともいえる(むろん、すべてのいじめに個人が対応できるわけでもないだろうし、学校や教師にすべての責任を還元することは現実的でない)。つまり、これまで明らかになっていなかった潜在的ないじめの数々が可視化されたというわけだ。
 いま「可視化」と言ったが、メールやケータイからの書き込みは、送信者アドレスや発信者のログ特定などによって、これまでのいじめ以上に「動かぬ証拠」となりうる。にもかかわらず、「ネット=裏=わかりづらいもの」というイメージに寄り添って語ってしまうことで、書き込みがされた際の対処法を教えるといった、具体的・建設的な提案が行われていない。実態をめぐる議論そのものが「バーチャル(仮想)」なものになってしまっているというわけだ。

 たしかに、「ネット上での行動」というのは、もう「匿名」ではない時代になりました。
 僕たちが「とりあえず匿名」でいられるのは、「僕が誰かということを切実に知りたい人がいないだけ」なのです。
 警察が本気になれば某巨大匿名掲示板にイタズラで「投します」と書いた人を特定し、逮捕することだってできるのですから。

 そういう意味では、「ネットのフィルタリング」を強化するよりも、「ネットで誹謗中傷することのリスク」「ネットで誹謗中傷を受けたときに、どう対処すればいいか」をキチンと教えておいたほうが得策なのかもしれません。
 まあ、いじめられている子どもっていうのはさ、そう簡単に「自分がいじめられている」「悪口を言われている」って、親とか学校に相談したくないんですけどね。「いじめられている」のもイヤだけど、「周囲にいじめられている人だと思われる」のは、もっと辛いことだったりするわけだし。
 

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