琥珀色の戯言

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平成宗教20年史 ☆☆☆


平成宗教20年史 (幻冬舎新書)

平成宗教20年史 (幻冬舎新書)

内容(「BOOK」データベースより)
平成元年、週刊誌が坂本弁護士事件を報道して糾弾を開始しオウム真理教はにわかに注目を集める。その後オウムは一連の騒動を起こし、その間、幸福の科学も台頭、宗教は社会の重大な関心事となり、ついに平成7年、地下鉄サリン事件を迎える。一方、平成5年、万年野党だった公明党が連立政権に参加、11年以後、与党として君臨し、ついに日本は新宗教団体が政治権力を行使する国となった―。オウム、創価学会以外にもさまざまな新宗教やスピリチュアル・ブームに沸いた現代日本人の宗教観をあぶり出す。

 けっして「つまらない本」ではないのですが、『日本の10大新宗教』に比べると全体的にまとまっていないというか、平成に入ってから20年間の「宗教関連の事件」を羅列しただけ、という印象がありました。
 まあ、その素っ気無さが読みやすさにつながっている面もあるんですけどね。
 平成7年(1995年)の「地下鉄サリン事件」をはじめとする一連の「オウム真理教事件」で、社会における「宗教」とくに「新宗教」への恐怖感は高まったと僕は感じていました。「何かに入信している」というだけで、うさんくささを周囲の人が感じてしまう、そんな空気があった時代。
 ……のはずなのに、この新書で辿っていくと、「オウム事件以降」も、日本における「宗教団体関連の事件」というのは、全く途切れることはないのです。もちろん、オウム事件のような大がかりなものはありませんが、スピリチュアル・ブームなども含めれば、「オウム事件ですら、人々の『何かを信じたい心』に対しては『致命的なダメージ』とはなりえなかった」ということなのでしょう。

 ところで、僕がこの本のなかで注目していたのは、島田さんは、自身とオウム真理教との関連について、どのように語るのだろう?ということでした。
 島田さんは、1995年に「第7サティアン」を視察し、その際に「第7サティアンは宗教的施設である」との見解を示し、そのことでのちに大バッシングを浴びて大学を追われています。島田さんは、その「責任」をどう考えているのか?

 私が上九一色村を訪れたのは、それがはじめてのことで、その光景を見て、衝撃を受けた。その4年前には、熊本波野村の道場を訪れていたが、上九一色村サティアンの群ははるかに規模が大きく、そこにはオウムの一大王国が築き上げられていたからである。
 その日、私だけが第7サティアンを取材することを許され、青い法衣を着せられて、建物内部に案内された。なかは、工事中の現場のような状態で、仏像やシヴァ神の像、仏画などが無造作に飾られていた。
 中心にあったのは大仏で、その頭部にはスリランカから贈られた仏舎利がおさめられているという説明を受けた。ただし、この大仏は発泡スチロールのにわか造りで、ひどく稚拙なものだった。
 私は、その取材をもとに、第7サティアンが宗教施設であるという趣旨の原稿を書き、後に批判を受けることになるが、大仏が稚拙なものであるからこそ、いかにもオウム真理教らしいと判断したところがあった。
 そもそも、当時の私の頭のなかでは、オウム真理教サリンとはまったく結びつかなかった。『朝まで生テレビ!』の放送があった平成3年には、それを含め麻原彰晃と4回会う機会もあったが、彼らがロシアに進出した翌年以降はほとんど接触がなかった。
 したがって、オウム真理教がどういった状況にあるのか把握していなかったせいもあるが、ヨーガやチベット密教を実践する集団が、猛毒のサリンを使って無差別殺人を実行するとはとても思えなかったのである。

 僕は以前、小林よしのりさんの『ゴーマニズム宣言』で、この「宗教学者島田裕巳が第7サティアンを『宗教的施設』だと断言!」という話を読み、なんて酷い学者だ、と憤った記憶があります。この人はオウムの広告塔なのか!と。
 それも、こうして島田さん側からの弁明を読んでみると、あくまでも「宗教学者」であり、工作員でも捜査官でもない島田さんがひとりで「見学」したのでは、たしかに、そう思えたのもしょうがないのかな、という気もします。
 島田さんには、それまでずっとオウム真理教に接してきているという「共感」もあって、積極的に疑う、という気持ちにもなれなかったのでしょう。
 当時のオウムの幹部にとってH、自分が騙されるとは全く予想していない人を騙すのは、そんなに難事ではなかったはず。

 ただ、だからといって、「島田さんに全く罪は無い」とも言えないな、と僕は感じます。
 島田さんが「被害者」であることは確かなのですが、「炭鉱のカナリア」のような役割を果たすのが「学者」だと思うしね。
 そういう意味では、あるジャンルの「権威」であることには、ものすごい責任が伴うものだなあ、と考えずにはいられません。

 でも、人間の「思い込み」って怖いよなあ。
 「発泡スチロールの仏像」なんて、何の先入観もなければ「これはおかしい」と思うはずなのに、「オウムを知っている」つもりだった島田さんにとっては「オウムらしい、こだわりのなさ」に感じられてしまうのだから……

 この本で語られている内容の本質とは異なりますが、「学者・研究者」にとっては、「専門家としての身の処し方」について、考えさせられるところの多いのではないでしょうか。


日本の10大新宗教 (幻冬舎新書)

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