琥珀色の戯言

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書きあぐねている人のための小説入門 ☆☆☆☆☆


書きあぐねている人のための小説入門 (中公文庫)

書きあぐねている人のための小説入門 (中公文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
小説を書くときにもっとも大切なこととは?実践的なテーマを満載しながら、既成の創作教室では教えてくれない、新しい小説を書くために必要なことをていねいに追う。読めば書きたくなる、実作者が教える“小説の書き方”の本。著者の小説が生まれるまでを紹介する、貴重な「創作ノート」を付した決定版。

この文庫版について、Amazonのレビューでは、☆5つが3人、☆1つが2人。
こんなふうに評価が分かれてしまうのがものすごく納得できる本です。
実はこの本、2003年に単行本が出たときに購入したのですが、少し読んだ時点で、「なんだこの抽象的な内容は……こんなの読んでも実際に小説が書けるようになるわけないだろ……」と投げ出してしまっていたんですよね。
でも、今回読み直してみてわかったのは、この本は巷にあふれている「手っ取り早く新人賞に応募できるような作品を書くための指南書」ではないのだ、ということです。
タイトルに「書きあぐねている人のための」という断りがついているのが象徴的で、要するに「書きたい、書けるはずだ」という気持ちがありながら、なかなか書き出せない人に「あと一歩を踏み出させるためのヒント」と「クリエーターとしての思考法」を示唆するための本なんですよねこれは。
「小説なんてよくわかんないし、ほとんど読まないけど」という人には、すごく敷居が高い。
その一方で、小説に限らず、なにか「新しいものを創ろう」と考えている人にとっては、かなり刺激になるはずです。

 自分なりに感じるとはどういうことなのか? たまたま前田英樹という武術家の書いた『宮本武蔵五輪書」の哲学』(岩波書店)という本を読んでいたら、そこにひとつのヒントがあった。
 前田さんによれば、真剣同士の戦いは、実際に刀と刀がぶつかっていなくても、二人の間ではすでに想定される刀の軌道が運動し合っているため、とても濃密な空間が出現している。たとえば宮本武蔵の言葉で言うと、相手が打つときの「”打つ”の動作の”う”の頭をとらえて押し込む」というような、言葉にすると奇妙としか言いようのない呼吸があるという。
 日常的な生活様式のなかでは、剣先と剣先がにらみあっている空間は、「何もない空間」でしかないが、真剣を握ってにらみあっている剣士は、そのとき強烈な何かを感じている。――ここで、厳密に唯物論的(物質的)な立場に立って、剣術家の空間のとらえ方を批判しても意味がない。空間をそういうものとして感じられる人だけが、剣の使い手になることができるのだから。
 小説を読んでいるときの「感じ」も、これに近いのではないかと思う。本当の小説とは、その小説を読むことでしか得られない何かを持っている。小説だけでなく、優れた音楽や美術など、芸術とはすべてこういうもので、それらに接したときの「感じ」は、私たちがふつうに使っている言葉では説明できない。
 先日も私はある現代彫刻展に出かけたのだけれども、最初に見たときの率直な感想は「まったくわからない」だった。けれども、見終わったあとの帰り道で、大げさにいえば世界の見え方が変わっていた。
 「まったくわからない」芸術に出くわすと、人はその制作者に向かって、よく「その意図を説明せよ」と言うけれど、それはとても無意味なことだ。日常の言葉で説明できてしまえるような芸術(小説)は、もはや芸術(小説)ではない。日常の言葉で説明できないからこそ、芸術(小説)はその形をとっているのだ。日常と芸術の関係を端的に言えば、日常が芸術(小説)を説明するのではなく、芸術(小説)が日常を照らす。
 もうひとつ、例を出そう。これもつい最近の話なのだが、知り合いの夫婦が飼っている猫(生後6ヶ月)の具合が悪くなり、奥さんが私に「大変だ」と電話をしてきた。彼女はもちろん旦那さんにも相談したのだが、その旦那さんは「どう大変なのか、論理的に説明してくれ」と言ったという。
 しかし、こういうことは「論理的に」など説明できない。6ヶ月間、毎日面倒をみている飼い主が「大変だ」と判断すれば、それは「大変」なのだ。
 この旦那さんは経営学を教える大学教授で、頭脳は社会的には明晰とされている。ただ、論理的に説明されたものしか納得できないという、きわめて”社会化された人間”であるため、「大変だから大変」だということが理解できない。「大変だから大変」だという直観的な認識が非常に多くの情報量に認識されていることは、80年代あたりからかなり理解されるようにはなってきたけれど、ビジネスの世界では、60年代、70年代の思考様式でしかものが考えられない人がまらまら多いのだ。
 ここでまたひとつ「小説とは何か?」についての答えが見つかった。それは「大変だから大変」ということを読者に伝えれるのが小説だということだ。べつな言い方をすれば、言葉(A)を使って言葉(B)では伝わらないものをつくり出すのが小説だということである。
 Aの言葉は「小説語」、Bの言葉は「日常語」と言い換えてもいいが、私の言う「小説語」とは、これまでの小説で使われてきた語彙や表現、思考ではない。詳しいことは後で触れるが、もっと自分の内側から出てくる言葉、もっと身体性のある言葉なのだ。

 長々と引用してすみません。
 この引用部を最後まで興味を持って読みきれた人にとって、たぶん、この本はすごく価値があるのではないかと思います。逆に、「何だこれ?」という方は、読まない(買わない)ほうが良いでしょう。
 「退屈だし小説でも書いて一旗挙げてやるか!」という人にとっては、「終始煙に巻かれている」ようにしか感じられない可能性が高いので。

 この本には、保坂さんの「小説とは何か」という定義と、「他人と違う小説、あるいは、小説の歴史に残るような作品を書くには、どういう思考法が必要なのか」という試行錯誤が、しっかり詰め込まれています。
 しかしながら、率直に言うと、これを読めば読むほど「ここに書いてある保坂さんのやり方をそのままマネしても、周回遅れの作品しか書けないだろうな」とも思うんですよ。
 いままでの「このやりかたをマネすれば、新人賞が獲れて、小説家として飯が食えたり、ベストセラーが出せるかもしれないですよ」という「小説指南書」というのは、言ってみれば、「受験の参考書」みたいなものです。言われたとおりにやれば、志望校には合格できるかもしれないけれど、その効果は、志望校に受かってしまえばおしまい。

 でも、この保坂さんの本には「(食えるかどうかは別として)小説を書きつづけていくための考え方」が書かれています。
 たぶんね、この本を読んでも「食える小説」は書けないんじゃないかと思う。
 こう言ってはなんですが、保坂さんだって「ベストセラーを連発する人気作家」ではないわけだし。
 それでも、「生活のためじゃなく、書きたい、書き残したいという衝動を実体化するための小説」を書いてみたいな、と後押ししてくれる本なんですよねこれは。

 まあ、「書きあぐねている」時点で、「まず書いてみてから考える」人には勝てないのかな、という「実感」が、僕にはあるんですけどね。

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