琥珀色の戯言

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ウェブはバカと暇人のもの ☆☆☆☆


ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書)

ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書)

内容(「BOOK」データベースより)
著者はニュースサイトの編集者をやっている関係で、ネット漬けの日々を送っているが、とにかくネットが気持ち悪い。そこで他人を「死ね」「ゴミ」「クズ」と罵倒しまくる人も気持ち悪いし、「通報しますた」と揚げ足取りばかりする人も気持ち悪いし、アイドルの他愛もないブログが「絶賛キャーキャーコメント」で埋まるのも気持ち悪いし、ミクシィの「今日のランチはカルボナーラ」みたいなどうでもいい書き込みも気持ち悪い。うんざりだ。―本書では、「頭の良い人」ではなく、「普通の人」「バカ」がインターネットをどう利用しているのか?リアルな現実を、現場の視点から描写する。

これは強力な「釣りタイトル」だなあ……
タイトルを目にするだけで、「なんだと!」と食ってかかってしまいそうなのですが、実際にこの新書を読んでいくと、予想外に頷けるところが多くて困ってしまいました。
ニュースサイトの編集者である著者の中川さんは、実体験から、「普通のネットユーザー」が、いかに下世話で、エロとB級ニュースと『あいのり』を好み、「世論」「ネットは本音のツール」という錦の御旗をふりかざして「出る杭を打つ」ことにばかり夢中になっているかを語っておられます。

 かくして、ネット世論にビクつき人々は自由な発言ができなくなり、企業のサイトはますますつまらなくなる。本来自由な発言の場であったはずの個人ブログも炎上を恐れ、無難な内容になっていく。
 また、テレビでの発言もすぐさま抗議の電話がやってきて、さらにはネットに反映されるため、テレビコメンテーターは以前にも増して無害なことしか言わなくなった。
「派遣切り」の話が出たら、「政府は無策だ」「総理は苦しんでいる人の気持ちがわかっていない」「大企業はもっとやさしくならなくてはダメだ」と強者を叩く発言をしておき、全面的に弱者をフォローしておけばとりあえずクレームは減る。
 ここで、「もともと派遣ってそういう立場ってわかっている人でしょ?」「正社員になった人は過去に頑張って今の地位を得ているんですよ」「45歳で貯金ゼロってどういうことよ?」などと言うことは許されない。
 この話題のときは、眉間にシワを寄せて、「今やらなくてはいけないのは、一刻も早く、この方々に仕事と住む家を提供することです」「企業の内部留保の金額が相当あることが明らかになりましたが、そのお金を雇用維持に使うべきです」と言うのが正しい。
 政府の財源や企業の事情などを考えることなく、とにかく無難なことを言っておくべし!という思考停止状態が蔓延し、既存メディアから自由な発言は失われた。その代わり、政治家や公務員のことは必要以上に叩くのである。
 倖田來未の「羊水」発言直後、ラジオ局関係者から「もともとラジオなんて、その番組の熱狂的ファンしか聴いていないから、『ラジオってそういうもんだ』と自由に、そしてときに過激に発言できたのに、最近『失言マニア』みたいな連中がネットで公開するネタを探すべく聴いている感じがする。上司からも過激発言に注意するよう言われているし、昔のラジオの良さはこれから失われてしまうよ」との話を聞いた。
 このように、「失言増幅装置」であるインターネットのユーザーが増えたことにより、世の中のコンテンツがより無難に、つまらなくなっていく流れは、たぶんこれからも進んでいくだろう。

ビートたけしのオールナイトニッポン傑作選!(琥珀色の戯言)
↑のようなトークが、もし現在のラジオでなされたら、ビートたけしだって「炎上」するのではないかと思います。
(まあ、いまから考えると、こんなことを喋っていても番組が続いていたというのは牧歌的な時代だという気もしますが)
この新書のなかでは、「ダルビッシュ夫妻が海外挙式の際に子ども置き去り疑惑」(実際は、同行していた子どもの写真をメディアに公開していなかっただけ)「松本人志の『硫化水素自殺』についてのラジオ番組でのトーク」が例として挙げられていますが、「ネット上の無名の正義漢たち」は、「他人の子どものこと」「友達でもない夫婦の関係」に脊髄反射するわりには、その批判が誤った情報に基づくものだとしても、全く謝罪もしなければ、責任もとりません。
ネットで発言するというのは、そういう人たちのターゲットになる可能性を引き受けること、なんですよね。
(まあ、大概は、「そういう人たちにすら相手にされない、無視される」のですが)
ネット上では、「失うものが無い人」のほうが立場が強い。
専門家であることを前提にして発言すると、「医者のくせに」「学者のくせに」とバッシングされるけど、「無職のニート」を公言しておけば、「無知」であることを誰も責めることができない(それは「差別」だから)。
でも、そういう「専門家が出てきて責任を持って発言しようとしても叩かれるだけ」の場所に、誰が価値のある情報を、ほとんど無償で提供してくれるのだろう?

「誰でも自由な発言ができる」はずのWEBは、どんどん、息苦しい空間になりつつあります。
いまは、クローズな空間のはずの『mixi』での「失言」も、「日本中に公開」されてしまいますしね。
結局、ネット上の「自称毒舌ブログ」の大部分は、「ネットニュースから、叩きやすい人(それこそ、政治家や公務員や大企業)、すでに叩かれている人に、さらに罵詈雑言を浴びせているだけ」の人畜無害なものばかり。それは「毒舌」じゃなくて、ただの「追従」じゃないの?

 だが、しつこいようだが、ネットで「キレイなもの」はウケない。「身近(B級)で『突っ込みどころがあるもの』がウケるのである。
 だから、仮に私がビール会社からネットのプロモーションを考えてくれ、と言われたら、「巨乳水着ギャルとイケメン ビールに質問しまくり」というサイトを提案する。

 そもそも、「ネットによって人々の嗜好・生き方が細分化された」というのはウソである。人々は圧倒的な集客力を持つヤフージャパン・トップページの「ヤフートピックス」で同じニュースを知り、そこからヤフーの担当者が貼ったリンクへ飛んで、さらに情報を得る。そのサイトへ飛ぶ人が多いものだから、サーバーが「混み合っております」状態になる。
 検索をするにしても、グーグルやヤフーの上位10件以内に表示されたサイトへ飛び、何かものごとを調べるにあたってはウィキペディアをまずはチェック。ユーチューブやニコニコ動画で流行っている動画は、それこそクチコミで広がっていく。
 書籍の購入に迷ったときは、アマゾンの人気ランキングをチェックし、評価の高いレビューを読み、購入判断をする。ブログ、ミクシィ、GREE、モバゲータウンカフェスタ等の日記機能を使う人は、多くの人が知っているテレビネタや時事ネタの感想を綴っており、それらポピュラーなネタがますます増幅する。
 2ちゃんねるでも多様な意見などはあまり出ず、誰かを叩くときはその流れが一方的になる。

 ユーザーが増えれば増えるほど、「ネット」は「多様化」のほうには向かわず、、「少数派の意見を押しつぶそうとする多数派」と「生き残るために、より先鋭化し、攻撃的になった少数派」を生んでいるようにすら思われます。
 「生活を便利にするためのツールとして利用している人」と「趣味として、『ネットの話題をネットですること』にハマっている人」への二極化もすすんできています。

 ただ、僕自身は、自分がヘビーユーザーであり、こうしてネット上でものを書くことによって「救われている」と感じているので、中川さんの「ネットばっかりやってるヤツはバカだ」という意見には、ちょっと違和感もあるんですよ。
 映画『マトリックス』で、マシンに脳みそ吸われながらスマートな夢をみている人間たちと、「本来の世界」で、原始的な生活をしながら乱交パーティーをしている人間たちをみたとき、僕は、「こんなのだったら、ずっとマシンに夢をみせてもらったほうがマシだな」と思いました。どっちにしても、「生まれて死ぬだけ」ならば。
 「テレビゲーム」とくにRPGのすごいところは、「どんな平凡な人生にも、『勇者ロト』になれる時間を与えてくれたこと」ではないでしょうか。体育の時間に組体操のパートナーが見つからなくて泣きたくなる、それが僕の「リアル」だった。「リアル」に見込みがなければ、架空の世界で夢をみつづけるのは、そんなに悪いことなのだろうか?
 現実では最低限の生きる糧を稼ぐだけ、ネットでは英雄、という生き方だって、「あり」なんじゃない?

ウェブはバカと暇人のもの
 これは、たぶん正しい。
 でも、「世界中のたくさんのバカと暇人に、生きる動機を与えている」というのは、実は、ものすごいことなのかもしれません。
 そして、高尚なウェブ2.0が実現しなかったのは、たぶん、「世界がバカと暇人ばっかりだから」なのですよ。
 自分が「バカと暇人の憂さ晴らしの標的にされる」のは、やっぱり勘弁してほしいのだけどさ。


参考リンク: 「ネットをやっている人間はバカになる」(活字中毒R。)

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