琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

GANTZ ☆☆☆



参考リンク:映画『GANTZ』公式サイト

あらすじ: まったく就職が決まらない大学生の玄野(二宮和也)と、彼の幼なじみで正義感の強い性格の加藤(松山ケンイチ)は、電車にひかれて命を落としてしまう。しかし、黒い謎の球体“GANTZ”が彼らを呼び出し、“星人”と呼ばれる異形の敵との戦いを強いる。加藤は争いを避けるが、玄野はサバイバルに身を投じることを決意する。

2011年4本目の劇場鑑賞作品。
公開2週目の水曜日のレイトショーで、観客は10人あまり。

実は原作は1巻を読んだことがあるだけで、「趣味じゃないな」と投げ出してしまっていたので、「このわけのわからない話、どうやって収束していくのだろう?」と、けっこう興味深く観ることができました。
そういうわけで、この映画に関しては、僕に「原作との比較」は不可能でしたし、なんとなく、先がわからない状態で観たほうが映画としては面白そうなので、「後編」も原作の予習なしで観るつもりです。
「後編も観る」つもりになったのだから、それなりに楽しめたと思います。

ストーリーとしては、原作が長いので、ダイジェスト版的になっているように見えます。
「なんで岸本はいきなり、加藤大好きになっちゃったんだ?」とか、「加藤って、あれだけ『家に帰らなければならない理由』があるにもかかわらず、事の始めがそもそも無謀な人助けなんだよな」とか、「玄野、急に人格変わりすぎだろ」とか、「あの武器、どれが強力なのかサッパリ分からないし、あの強力なレーザー銃みたいなのばっかり使うわけにはいかないのか?」というような疑問点も観ていて目立ちました。
あと、もうこれは映画の演出の「お約束」だからしょうがないんでしょうけど、「そこで泣いたりしんみりしたりしているヒマがあるんだったら、仲間に生命反応があるうちに、早く敵をやっつけにいったほうがいいんじゃないか?」と思う場面がたくさんありました。

でも、玄野役の二宮和也、加藤役の松山ケンイチは、さすがの存在感。
調子に乗りまくっている玄野や、加藤の良い人っぷりに、この原作からすれば短すぎる上映時間でなんとか説得力を与えているのは、この両優の力です。

ちなみに、Yahooの映画レビューなどでは、「原作のエロ・グロが感じられずに物足りない」という意見がけっこうあったのですが、原作にどうも馴染めなかった僕にとっては、この映画版『GANTZ』、「エロはないけど、グロはもうお腹いっぱい」のレベルでした。
とくに前半のグロテスクさは、こういう映画だという予備知識なしにデートで来たカップルは、気まずくなるのではないかと心配になるくらいです。


そして、これはどうしても書いておきたかったのだけど、僕はこの映画、「それなりに面白いとは思うけど、絶対に好きにはなれない」と思いました。
この映画、残虐描写が目立つのだけれど、最初の「ねぎ星人」と、次の「田中星人」の場面で、「小さな子供(あるいは「子供的なもの」)が、強い力によって、蹂躙される」というシーンがあるのです。
「この『GANTZ』の世界では、小さな子供でも容赦なしですよ。それだけハードな世界なんです!」と観客にアピールする意図があるのだとは思いますが、ああいう場面を観ると、自分の息子のことを考えてしまって、すごくつらくて、不快な気分になってしまうんですよね。
ストーリー的にもそんなに必要不可欠だとは思えなかったし、単なる「残酷描写には遠慮してませんアピール」のために、子供を傷つけるなんて、悪趣味極まりない、と憤りすら感じます。
いや、僕だって、自分の子供が世界に存在しないときには、「そうだよ、子供だからって、遠慮するなよ。『表現の自由』があるんだし」なんて煽っていた人間なんですけど。
なんだか、あの子供たちの姿ばかり思い出してしまって、この映画を観ているあいだずっと、世界にうまく馴染めなかったんだよなあ。
あれはもちろん「表現の自由」の範疇なのだろうし、そういう描写をやるなと言う資格は僕にはないけれど、正直、ああいう「安易に子供が傷つけられる場面」は観たくない。観てしまうとつらい。
この映画のなかで、「残酷な映画なんですよアピール」以外の存在意義が感じられない場面だけに、なおさら居たたまれない。

「そんなに悪くない映画」なのですが、個人的には「こんなふうに子供を傷つけることで残酷さをアピールするのは、悪趣味すぎる」と感じずにはいられませんでした。
もちろん、そういう「表現の自由が暴走している」(ように僕には感じられる)映画は、この『GANTZ』だけじゃないんですけどね。

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