琥珀色の戯言

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ある「落第監督」の記憶


『なぜ日本人は落合博満が嫌いか?』という新書紹介のエントリを昨日書いたのですが、かなり大勢の人が読んでくれて驚きました。

それで、今日はその続きというか、落合監督のことを書いていて思い出した、ひとりの監督の話をしようと思います。

その監督は、マーティ・ブラウン
彼は、低迷を続ける広島カープの「改革」の一環として、アメリカから招かれ、監督に就任しました。あちらの3Aでは最優秀監督の実績がありましたが、メジャーリーグでの監督実績はなし。


正直、監督としての手腕は微妙で、中継ぎ陣の整備や東出選手の復活、コンディショニングの改善など、功績は少なからずあったものの、チームの成績はいまひとつ。
広島市民球場最終年は、「さよなら市民球場フィーバー」の勢いもあって、あと一歩でクライマックスシリーズも見えたのですが息切れ、捲土重来を期して望んだ2009年シーズンも、定位置の5位で、彼はカープの監督を追われました。
2010年は野村克也監督の後を受けて楽天の監督に就任したものの、成績不振のため、わずか1年でクビになっています。


このブラウン監督の4年間にわたるカープでの監督生活のなかで、すごく印象に残っているエピソードがいくつかあります。
ひとつはこの話。

参考リンク(1):広島ブラウン監督、カキ&地鶏食いねぇ(日刊スポーツ)

ブラウン監督は、ファンサービスにとても熱心で、ファンとの交流を大事にしていましたし、オフシーズンには梵選手の実家のお寺を訪問するなど、選手にも気さくな面をみせていました。

この参考リンク(1)の時期、広島はノロウイルス、宮崎は鳥インフルエンザの風評で需要が落ち込み、かなり困っていたのです。


そこで、ブラウン監督は、「一肌脱いで」カープの地元・広島のカキの安全をアピールしたのですが、それだけではなく、キャンプ地である宮崎県のブースを予定外に訪れ、そこでも鶏肉の安全アピールをしてみせたのです。


これは、「人気取りのパフォーマンス」なのかもしれません。
でも、あの時期にカキや鶏肉を食べるというのは、(もし何かトラブルが起これば「広告塔」としての批判を受ける可能性があり)それなりに勇気もいる話でしょうし、その行為に対してギャラが出たわけでもないでしょう。
そもそも、「それはプロ野球チームの監督の仕事なのか?」とも思います。


監督になって以来、ずっとムスッとしている野村謙二郎は、こんなことはやりそうにありません。
というか、日本のプロ野球チームの監督は、こんな「サービス」をしないほうが多数派です。
ところが、ブラウン監督は、これを「地方球団の監督であれば、当然のこと」としてやっていたというか、「せっかくプロ野球チームの監督をやっているのだから、地元や社会に役に立つことを、率先してやっていこう」としていたようにみえました。


プロ野球の監督、とくに、カープのような「地元密着型の地方球団」の場合は、ある意味「地元の名士であり、象徴的な存在」でもあるわけです。
もちろん、ブラウン監督は、「よそ者」だったから、よりいっそう地元にアピールしなければならなかった面もあったのでしょうが……


こんな記事もありました。
参考リンク(2):広島23失点大敗…ブラウン監督「ラグビーみたい」(スポニチ大阪)

<ロッテ23−2広島>指揮官は心底、疲れ切った表情を見せた。

 「今日はラグビーの試合みたいでした」。

(中略)



 それでも指揮官は大敗の中に明るい材料を探し出した。「今日の勝者は左翼席のカープファンだった。チームは負けたが、彼らは間違いなく勝者だ」。

 このブラウン監督のコメントは、ひとりのカープファンとして、すごく嬉しいものでした。
 チームがこんな歴史的大敗をした日にもかかわらず、この監督は、ファンのほうを向いていたのです。


 落合監督は、「勝つことがファンサービス」だと言っていましたし、20年も勝っていないカープのファンである僕には、その気持ちはすごくよくわかります。
 カープが強かった時代、山本浩二や衣笠の全盛期で、「200発打線」なんて呼ばれていたころは、「勝つこと」なんて当たり前だと思っていたけれど、勝てなくなってみると「勝つ」というのはこんなに難しいものなのだと考えずにはいられません。
本当に、全員セーフティバントでも、ラミレス全打席敬遠でも(って、巨人退団しちゃいましたね。あんなにラミレスに打たれまくっていたのはカープだけだったのかな)いいから、どうにかして勝てないものかと思いますよ。
勝てないと、「野球人として優勝してみたい」なんて出ていく人もいて、さらに格差は広がる一方だし。
逆指名、FAなどにより、とくにセリーグは、「三金満球団、一創意工夫球団、5位、6位が定位置球団」の時代が続いています。


 ブラウン監督は、ファンにとっては記憶に残る監督でしたが、残念ながら、「本業」で、満足な成績をおさめることができませんでした。
 ただし、これはカープファンである僕からみても、監督の采配岳の問題ではなく、基本的な戦力の差が大きかったのではないかと思います。

 落合監督にしても、あれだけの成績を残せたのは、まちがいなく球団のバックアップがあって、FAで選手を連れて来たり、ドラフトで優秀な選手を獲得できたりしたから、という面もあるわけで。

 「勝つことがファンサービスだから、『ファン感謝デー』には出なくてもいいし、WBCにも積極的に選手を派遣しない(ただし、この点に関しては、出場を求められた選手が怪我をしていたり、シーズンを優先したいと希望していたりしたため、結果的に出さなかっただけで、チームとして出場を禁止したわけではない、と落合監督は話されています)」
 球場の外のこと、とくに公的な活動などは、プロ野球の監督の仕事ではない、という落合監督のポリシーは間違ってはいないし、何よりも、それで「結果」を残してきたのも事実です。


 落合監督は素晴らしい「職人」だし、「優勝請負人」だと思います。
 その一方で、落合監督は「中日ドラゴンズの監督」でしかなかった。
 いや、「中日ドラゴンズの球場内での指揮官」でしかなかった。
 それ以上を求めるのは酷なのかもしれません。
 グラウンドで勝つことだけでも、すごく大変なことなのだから。
 でも、中日ドラゴンズという存在の社会的な影響力を考えると、落合監督も、もう少し「対外的なチームの顔」としての自覚があってもよかったのではないか、という気がするのです。


 ブラウン監督は、ALL-IN!というキャッチフレーズで、カープファンを鼓舞してきました。
 ベースも投げたし、審判への抗議により、何度も退場処分を受けました。
 そしてカープは、ブラウン政権の4年間で、一度も3位以内にすら入れませんでした。

 ブラウン監督は、「勝つことがファンサービス」という観点からは、明らかに落第監督です。


 それでも僕は、「プロ野球チームの監督であることは、社会的な責任を伴うものだ」という自覚を持って、頼まれてもいないのに、宮崎県のブースで鶏肉を美味しそうに食べていた男のことが、なんだか忘れられないんですよ。

 ただ、今のカープの監督をやってほしいのは、やっぱりブラウン監督よりも落合監督なんですけどね、生きている間にカープの優勝をもう1回くらいは見たいしなあ……

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