琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】データ・ボール:アナリストは野球をどう変えたのか ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

今やプロ野球の現場では、あらゆることがデータで分析されている。選手の評価軸も変わり、打率や打点、投手の勝利数といった従来型の指標は、MLBではもはや重視されていない。野球は、従来とは違うスポーツに進化したのだ。こうした「データ・ボール革命」の担い手となったのがアナリストたちだ。プロ野球の現場の隅々にまで入り込んだ彼らによって、野球はどう変わってきたのか。その深層をレポートする。


 映画『マネー・ボール』が公開されたのが2011年。プロ野球界でのデータの重要性やデータアナリストの活躍、選手の能力への評価基準の変化や「フライボール革命」は、僕もずっと追いかけていたつもりなのですが、この新書を読んで驚きました。
 今のプロ野球って、ここまで「データ重視」になっていて、個々の選手も自分の現在地を確認するためにデータを見ているのか、と。

 僕のイメージでは、現在でも、スコアラーが試合前に「今日の先発ピッチャーは、このカウントではこのコースや球種が多いから、それを狙え!」みたいなアドバイスをするくらい、だったので。

 この本の「プロローグ」では、2023年に行われたWBCワールド・ベースボール・クラシック)でみられた光景が紹介されています。

 弾道測定器「トラックマン」の野球部門責任者の星川大輔さんは、2009年の第2回大会にも参加歴があり、その14年後の2023年の大会にも招聘されました。
 2023年の大会では、日本のプロ野球NPB)とWBCで使用されるボールが異なる(WBC使用球のほうが少し大きく、重い)ため、それが投手にどのような変化をもたらすのかの解析を期待されていたのです。

 NPBでも「トラックマン」が導入されて10年経ち、WBCに参加している選手たちも、自分のデータを読んで一通りは判断できるレベルに達している、という状況だったそうです。

 キャンプ2日目、最初にブルペンに上がったのが、サンディエゴ・パドレスのエースとなっているダルビッシュ有だった。星川が、「『トラックマン』持ってきているんですが、データ取りますか?」と聞くと、ダルビッシュは使いたいと答えた。
「トラックマン」を設置したレーンでダルビッシュが投げる。日本の場合は、投げ終わってからデータをチェックする投手が多い。星川はその習慣を知っていたから、タブレットを自分の手に持ってトラブル時に対応しようと思っていた。
 しかしダルビッシュは1球1球画面をチェックしたがった。そこでマウンドの横に椅子を置いて、そこにタブレットを置くことにした。
 ブルペンには、多くの投手が詰めかけていた。彼らは捕手の後ろ側に陣取って、ダルビッシュの一挙手一投足を食い入るように見つめていた。
「トラックマン」や「ラプソード」などの計測機器はNPBのすべての球団で導入しているから、投手はこれまでも、日常的に自身の投球の回転数や回転軸、変化量などのデータを目にしていた。しかし多くの投手は投げ終わってから数字を見るだけで、ダルビッシュのように1球1球チェックする投手は、ほとんどいなかった。
 選手たちはダルビッシュの姿勢を見て、データへの認識を改めようとし始めていた。

 名古屋、バンテリンドームの初日、ブルペンに星川が待機していると、侍ジャパンと中日との試合の5回が終わったくらいに大谷翔平が入ってきた。星川は大谷に「普段からポータブルの『トラックマン』を使っていると思うけど、どの項目を見ているんですか?」と聞いた。実は星川は宮崎でも同じ質問をダルビッシュ有にしていた。驚くべきことに、二人は「どの項目というよりも全般的に見て、自分の感覚と(『トラックマン』のデータが)合っているかどうかを確認している」と全く同じことを言った。
「あの二人が全く同じことを追っている。そこには何か深い意味があるんじゃないか?」
 星川はホテルに帰ってじっくり考えてみて、二つのことに思い当たった。
 一つは両投手ともに「仮説」を持っていること。データを計測した投手の多くは「僕の球どうでしたか?」「もっとよくするには、どうすればいいですか?」と聞くが、ダルビッシュと大谷は違った。先に仮説があるのだ。
「仮説」とはもともと”投げたい球”のことだ。自分にとって投げないといけない球、”必要な球”がわかっていて、実際に投げた球が、自分が思っている通りの球になっているかどうかをデータで確認している。だから1球1球、確認する必要が出てくる。
 おそらく彼らで合っても当然コンディションが日々違っていて、そんな中でも”投げるべき球”がある。それをデータで確認し、その差異をチェックしているのではないか?
 そしてもう一つは、二人の投手は”自分の感覚だけを信用しているわけではない”ということだ。つまりファクトに基づいて自分のパフォーマンスを確認することを習慣にしている。だからこそ二人とも、1球1球タブレットを見て確認していたのだ。
 ファクトに基づいて確認する習慣は、文化の違いも含めてMLBメジャーリーグベースボール)的なのではないか。これこそが、まだまだ「感覚だけで投げる」ことが多い日本の投手とMLBの投手の決定的な差異かもしれない。


 近年、MLBで成功している日本人選手の代表格である大谷翔平選手とダルビッシュ有選手にWBCで接した選手たちの影響もあり、特に投手に関しては、データの解析・活用が急速に進んできているのです。
 これまでは、データの結果をみて、「今日は調子が良かった、悪かった」というレベルだったのが「こういう球を投げたい」というイメージがあって、「この握り、投げ方では、どんなボールになったのか」を解析ながら理想に近づけていく、というのが、いまのMLBなのです。

 今年のプロ野球では、とくに「投高打低」が顕著で、使用されているボールの影響などが指摘されていますが、このような「データの分析・活用が、投手の技術レベルを格段に向上させていること」は、かなり大きいのではないかと思います。
 もちろんデータ解析は、バッティングや、これまでもっとも活用が遅れているとされていた守備においても、格段の進歩を遂げているのです。
 これまでの「感覚でやる野球から、データに基づいて、理想形に近づけていく野球」は、プロの世界だけではなく、大学野球高校野球など、アマチュアの世界にも浸透してきています。

 スポーツというより、実験や研究のようでもありますし、僕が子どもの頃から親しんできた「野球」が、あまりに科学的・理論的になっていき「二日酔いでフラフラしていて、ボールが何個にも見えたので、とりあえずそのうちの1個を打った」とか、「月に向かって打て!」とか、そういう「豪快系」「ロマン系」が淘汰されていくのは、ちょっと寂しくもあるのですが。
(しかし、「月に向かって打て!」というのは「フライボール革命を予言していた」とも言えますね)

 現在は、選手だけでなく、指導するコーチやスタッフも、「感覚だけ」のではなく、データに基づき、個々の選手に合った方法で教えることが求められるようになってきており、昔気質の指導者たちは、困惑してもいるのです。
 もちろん、ベテランの指導者の中にも、こういう新しい潮流をしっかり意識している人もいます。
 また、データアナリスも万能ではなく、データばかりを重視して、相手の選手にうまく伝わらない、ということも多いのだとか。
 これまで、自分のやり方で成功し続けている選手に「データ的にはこうだから」と、急にフォームの変更を進言しても、受け入れてもらうのは難しいし、それでうまくいくとも限らない。
 プレーするのは人間である、というのは、今も昔も変わらないのです。

 大谷選手やダルビッシュ選手、あるいは日本のプロ野球で、データ解析に積極的に取り組んでいる選手がいる一方で、データアナリストのシンポジウムでは、やりがいを語る声とともに「パソコンの修理係のようになっている」という声もあったことが紹介されています。「もったいない!」という話ではありますが、そういう状況もまた、想像できます。


 AIによって将棋の「定跡」が見直されていったのと同じように、アナリストたちは、野球(ベースボール)の「常識」を疑い、再確認していったのです。

 セイバーメトリクス研究者のボロス・マクラッケン(1971〜)は、1999年に「MLBの投手は、投球の結果をほとんどコントロールできず、被打率は、シーズンレベルのスケールで見れば、投手の能力とは相関性がない。投手のパフォーマンスには、守備、球場、天候、ランダム性など、投手の能力を超えた要素が重大な影響を与えている」という見解を発表した。マクラッケンは、複数の投手のデータを調査して、投手の被打率はその能力にかかわらず、長期的に見ればリーグの平均打率の前後に落ち着くということを発見した。つまり被安打は、投手の能力ではなく、その他の要因によって記録されるとし、投手がコントロールできるのは「奪三振、与四球、被本塁打」の三つの要素だけだと断定した。
 そして、DIPS(Defense Independent Pitching Statistics)という考え方を発表する。


 このマクラッケンさんの発見は、「端的にいうと、投手にとって、本塁打以外の安打は運の産物にすぎない」という衝撃的なものだった、と著者は述べています。
 発表当時はかなり反発が多かったのですが、何度も検証されて、このマクラッケンさんの見解は正しい、という結論に現在は落ち着いているそうです。
 三振とフォアボールとホームラン以外は、打球がどこへ飛ぶかの違いでしかない、確かにそうなのかもしれないけれど、長年の野球ファンの僕としては、「野球盤かよ!」という気分にはなります。


 この本を読んでいると、スポーツの、野球の現場というのは、外部からのイメージよりもずっと速く変化しているということに驚かされるのです。
 映画『マネー・ボール』でも、セイバーメトリクスによるチーム強化を行ったオークランド・アスレチックスは、好成績をおさめるようになるのですが、他のチーム、もっと資金や人気があるチームが追随してきたことにより、また低迷期を迎えてしまいます。
 選手の評価基準が同じであるならば、選手は、より条件が良い球団を選ぶことが多くなるのは当然ですよね。

 日本でも、「データアナリストがいる」のは、どこの球団でも当たり前のことになっていて、彼らをどう活用するのか、が大事になってきているのです。
 セイバーメトリクスを日本でも最初のほうに導入した日本ハムファイターズは、一時期好成績をおさめた後は、かなり長い間低迷していましたし、高津監督のもと、データ重視でリーグ制覇を達成したヤクルトスワローズは、現在、下位で苦しんでいます。

 日本野球は「精神論」「根性論」「年功序列」が永年、幅を利かせてきた。しかし社会の変化、とりわけ情報化の進展とともに、こうした「内向きの価値観」は支持されなくなり、もっとオープンでフェアな価値観が野球界にも浸透しつつある。
 しかし、その進展は順調でもなければ早くもない。いまだに、野球解説者の中には「投手は走り込まないと」「打者はレベルスイングで」と言う人がいる。テレビの野球中継では「OPSというのはメジャーリーグでも重要視される最新の指標です」といまだに言っている。アメリカでOPSを重視したのは20年も前のことだ。


 OPS(オプス、オーピーエス)は On-base plus slugging の略。野球において打者を評価する指標の1つで、出塁率長打率を足し合わせた値です(Wikipediaより)。
 そうか、もうOPSって、「時代遅れ」、少なくとも「最新ではない」のだなあ、と。前述のマクラッケンさんの理論によれば、たしかに、そうなりますよね。

 「セイバーメトリクスとかデータ野球なんて、もう常識だろ!」と思っている人にこそ、読んでみていただきたい。何の世界でもそうだけれど、情報とその取り扱いの進化って、「知っているつもり」になると、すぐに取り残されてしまうものだなあ、と思い知らされます。


fujipon.hatenablog.com
fujipon.hatenadiary.com

アクセスカウンター