琥珀色の戯言

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【読書感想】時代を彩った名機たち〜1980年代・国産パソコン戦国時代を振り返る ☆☆☆☆☆


内容紹介
富士通FM-7やシャープX1、ソードm5やMZ-700といった、1982年に発売された日本国内メーカー製パソコンたちを中心に、当時の日本で繰り広げられていた「国内パソコン戦国時代」を振り返る一冊。
そのパソコンは、発売時ユーザーからどんな評価を受け、どんな活躍をし、そして…どうして消えていったのか。後に訪れる、Windows 95/Macintosh旋風で消えていく日本国内メーカーパソコンたちの栄枯盛衰を、当時のユーザーである著者の視点から語ります。


これはなんという「おっさんホイホイ」……
☆5つなんですが、この本、「読む人を選ぶ一冊」であることは間違いありません。
しかしながら、これほど、ある種の人に、「そうそう、こういうのが読みたかったんだ!」と思わせてくれる本もあまり無いと思われます。
この本を読みながら、あのFM-7やシャープX1やPC8801mk2SRの時代、リアルタイムで「マイコン」に憧れ、『ザ・スクリーマー』や『イース2』の店頭デモをドライアイになるくらい延々と眺めていたあの頃の自分のことを、思い出さずにはいられませんでした。


この本は、1980年代前半から、PC9801が銀河帝国をつくり、X68000がイゼルローン共和国を形成するまで(X68000の発売は1987年)の、「国産マイコンの群雄割拠時代」を、当時多くの実機に触れ、プログラミングをしていた著者が振り返って書いたものです。
著者の思い入れとか記憶に頼っている部分が大きく、あえて「詳細な事実の検証」はなされていないので、それぞれの機種のマニアにとっては「ちょっと違う」と思うところもあるのですが(僕も、「X1のステレオ音源対応はTurbo以降」という記述に、かなり「カチンと来た」ことを述べておきます。X1の「FM音源ボード」は、ノーマルX1でも使えたんですよ!X1Gで使ってました!X1のFM音源版の『ファイナルゾーン』(日本テレネット)のオープニングデモは最高でした。あくまでもオープニングデモは、だったのが悲しいところではありますけど)、「資料としての正確さ」を追求するよりも「当時の記憶を、なるべくそのままの形で再現する」というのがこの本の魅力なのです。


読んでいて面白かったのは、著者がここで紹介されているさまざまな機種を、実際に自分で動かしてみて、ハードとしての魅力やプログラミングの特徴について、自分の言葉で書いているところでした。
僕も含め、「女の子がマイコンのキーボードに触れるなんて、想像もつかないような時代」からマイコンに触っていた男子は多いと思うのですが、大部分のマイコン好きにとっても、自分や友達の所有機種以外のマイコンは、マイコン雑誌の紹介記事などでのレビューで性能を類推したり、店頭デモ機をちょっと触ってみたことがある程度のものではないでしょうか。
「御三家」である、PC8801、FM-7、シャープX1くらいは「触ったことがある」としても、SMC777とかS1、パソピア7なんて機種は、「うーん、性能はすごいのかもしれないが、ゲームもほとんど出ていないし、雑誌にもプログラムはほとんど載っていないし、誰が買ったんだこれ……」というのが、率直な印象です。


あまり自分でプログラムを組む方向にはいかず、ゲームで遊んだり、雑誌のプログラムの打ち込みがメインだった僕の感覚では、当時の8ビットマイコンの「性能の違い」よりも「どんなゲームが出ているか」が重要だったのです(そんなら88SR買えばよかったんですけどね、X1を買ってしまったがために、その後もX68000を選び、さまざまな恍惚と不安を味わうことになりました)。
この本を読んでみると、それぞれの機種には、ちゃんと個性があり、ハードとして優れていても売れなかった機種も少なくなかったのです。


日立のS1について。

 FM-7もいい機種でしたが、S1にはかないません。触った人は知ってるでしょうが、このS1はともかく「凄い」やつでした。凄すぎて突き抜けちゃってる感もあるぐらい。まぁ6809を覚えるならFM-7の方がいいとは思いますが。なんせS1は資料が少なすぎた……


 搭載メモリは「1M」!!
 …当時の8bitといえば64kが普通。16bit機でも640kなんて時代に1Mです。その時点で「なにをどうしたんだろう」という感じがしますが、SRAMを搭載して高速書き換え出来るようにしてあり…そのSRAMを書き換えて4K単位でメモリ内容を切り替える事が出来たと。


ちょっと仕組みは違いますがページングっぽい仕組みだったかと思います。この時代に6809でこんな仕組みを実装していた時点で日立は暴走していると思う(笑)。

いまの時代は、ウインドウズかマックか、という選択があるくらいで、ウインドウズOS搭載機種を買ってしまえば、いちおう「ウインドウズのソフトは動く」のです。
ところが、あの時代は、まだまだ全体的としても小さかった市場のなかに、互換性のないマイコンが多数乱立していました(PC8801のソフトは、X1では動かない。さらに、X1でも上位機種のTurbo専用は、X1では動かない)。
現在よりも、自分でプログラミングをする人の割合は高かったはずですが、それでも、ソフトが少ない機種は、どんなにハードの性能が高くても、なかなか売れないのです。
僕などは、『I/O』や『ログイン』の広告のページで、やりたいゲームの「X1移植版」が出るのを毎月心待ちにしていたものでした。
で、待ちに待った挙句、そのゲームが「Turbo専用」で出たりして(『ジーザス』『イース2』!お前たち(だけじゃないけど)のことだ!)、落ち込んでいたものです。
いやほんと、当時のノーマルX1ユーザーがいちばん嫌っていたのは「X1 Turbo」だったのではなかろうか。


ある意味「何十万もするパソコンが、機種選びを間違えたら、ほとんど使いものにならなくなってしまう」という、厳しい時代でもありましたが、あのカオスな時代は、いま思い出してみると、けっこう楽しくもあったんですよね。
一日かけて簡単なプログラムを組んで、「RUN」って入れると画面に簡単な絵が描かれるだけでも、すごく楽しかった。
キーボードを叩くと、その文字がディスプレイに映し出されることすら、「未知の体験」だった。
「ああ、自分は、マイコンっていう新しい文明の進化を、リアルタイムで体験できているんだな」って。
あれから30年で、まさかここまで「みんなのもの」になっているとは、想像もつきませんでしたけど。


MZ-700に関しての、こんな話もすごく懐かしかった。

その先に登場したのが2年後(1988年)に同じくOh!MZに掲載された『スペースハリアー』。
登場時「それは無茶だ」と誰もが思ったんですが…友人宅で遊んでみたら…。
「間違いない。これは『スペースハリアー』だ」
遊んで面白い。とても重要なことですが、面白かった。


画面は荒いし、キャラクターだって想像力と元の姿を知らないと区別が難しい。しかし動きは間違いなく『スペースハリアー」であり…動作スピードは、このクラスのホビー機の常識を破っていました。
着目点とプログラムの技術で楽しさを見出す。
MZユーザーの底力を見た瞬間でした。

 
PC6001で『タイニーゼビウス』をつくった人もいるし(ちなみに『タイニーゼビウス』にもMZ-700版があります)、『タイムシークレット』『タイムトンネル』なんていう、MZ-700で「本格グラフィックアドベンチャー」をつくったソフトハウスもありました。
当時のユーザーの「自分が持っている機種への愛着」みたいなものは、ウインドウズマシンしか使ったことがない人にとっては、想像し難いのではないかと思います。
いやまあ、どちらが良い時代かと言われたら、思い入れの要素を外せば、いまのほうがはるかに「まとも」ではあるのでしょうけど。


MSXやソードm5に対する、思い出と思い入れたっぷりのエピソードの数々も、「あの頃」を知っている僕にとっては、とても懐かしく、「ロスジェネ世代」なんて呼ばれているけれど、少なくとも「マイコン体験」に関しては、そんなに悪くない時代を生きてきたのではないか、と思えてきます。


電子書籍のみ、250円。
PC9801、X68000FM-TOWNSといった16ビット機は、今回は未収録です。
(この3系統の話だけでも、一冊本が書けそうです)
著者のブログに行くと、もとになったエントリは読むことができますが、ここまで読んで、懐かしくなってきた貴兄ならば、買って損はしないと思います。
たぶん、今日のこのエントリに関しては、ここまで辿り着く前に「なんじゃこりゃ?全くわからない話ばっかり……」と「戻る」ボタンを連打した人が多いのではないかと思われますから、ここまで読んできただけでも、「素質はある」はずです。


最後に、この本のなかで、最も僕の印象に残った文章を。

 X1で産声をあげX68000で育ち…そしてゲーム業界に巣立っていった友人は今でもこう言います。


「Xの遺伝子を受け継いだプログラマーは夢を失わないよ」
彼の言葉の中で私がとても気に入っている言葉です。

あの頃は、お金も、技術もなくて、ただ、幼くて、時間だけをもてあましていた。
デゼニランド』で「attach」という言葉を探し出すために一日中、和英辞典を眺め、キーボードを叩いているだけで、けっこう幸せだった(『惑星メフィウス』の牢屋と砂漠は、あんまり幸せじゃなかったけど)。
マイコンが好きなんだけど実機を持っていない人を指す「ナイコン」なんて自虐的な言葉さえ存在していました。
マイコンは持ってないけど、マイコンが好き。いつか自分のものにしたい」


たしかに当時のマイコンには、抱えきれないくらいの「夢」がありました。
僕たちの体のなかには、XとかPCとかFMとかMSXとかいう遺伝子が、いつのまにか組み込まれているのではないか、そんな気がしてなりません。
あの頃は、「PC88やFM-7ユーザーは敵だ!」なんて思っていたんだけど、今になってみると、みんな「仲間」だったのだよなあ。

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