日経新聞の真実 なぜ御用メディアと言われるのか (光文社新書)
- 作者: 田村秀男
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2013/03/15
- メディア: 新書
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アベノミクスを導いた
産経新聞特別記者(元日経のエース)が問う!
「15年デフレ」と不況の責任は、 財務官僚、日銀の“ポチ“と化した、 経済記者の側にも あるのではないか――
うーむ。
この新書のタイトルとサブタイトル「なぜ御用メディアと言われるのか」というのを書店で見かけて僕が思ったのは、「ああ、この本を読めば、『なぜ日経新聞には、”ドコモからiPhone発売決定!”みたいなウソ記事が書かれるのか?』がわかるのだろうな」ということでした。
で、一通り読んでみたのですが……
たしかに、著者の「経済」についての話にはそれなりに説得力があるように思われますし、財務省や日銀の「スポークスマン」と化している日本経済新聞の現状は窺われるのですが、「でも……この人が行っていることも、正解とは限らないよな」と感じたんですよね。
経済オンチの僕にとっては、「こういう意見もあるのだなあ」と参考になったところもたくさんあったのですけど。
2012年4月の参議院予算委員会で、自民党の西田昌司議員が、古谷一之財務省主税局長に「デフレ下で増税したら税収は増えますか」と訊ねた際、古谷主税局長はきっぱりと「減ります」と答えました。
そう、明らかに財務省は前回の消費増税以降、日本全体の税収が減ってしまったということを知っているのです。
しかし、だからといって彼らは増税の策を放棄するわけではありません。むしろ、より強硬に消費税アップのために邁進しようとします。
そんなときに財務官僚たちが次の一手としてとるのが、「自分たちはマクロ経済学の専門家ではないから」という理由をつけて、理論的な背景を専門家に代弁してもらうという方法です。
前回の消費税の増税後は、東大教授のいわゆる「御用学者」を使って、「日本のデフレは1997年度の消費増税が主因ではなく、その年のアジア通貨危機が原因である」という論文を書かせ、メディアの論説委員たちに刷り込ませたのです。
「増税」しても、税収は増えない。
前回の消費税の増税後のデフレの主因が、本当に消費増税であったかどうかは僕にはわかりませんが、あのときの消費増税が、税収増にはつながらなかったことは、まぎれもない事実です。
今回も、財務省の偉い人は、「消費税増税で、税収はむしろ減る」と予測しているのです。
これって、何のための増税なのか……
著者は、「1997年度の消費増税後、税収が減った理由」と「財務省の官僚たちが、消費増税を主張する理由」について、このように書いています。
増税後はその反動で、日本全体の消費も投資も一挙に冷え込んでしまい、しかも消費税の増税は「モノを買うごとに消費者にかけられる罰金」のような役割を果たすようになります。この結果日本は、物価が継続的に下がるデフレに陥ったのです。デフレという病いは、いったん起きてしまうと、なかなか治りません。しかも長期にわたってデフレが続くという危機に陥った国は、戦後では先進国中日本だけで、それほど重篤な事態なのです。
デフレが起こるということは、日本全体で、企業が販売する商品やサービスの単価が下がるということです。しかも同時に消費者も買い控えを行っていますから、企業にとっては、単価が下がるばかりか、販売個数も減ってしまうという事態です。結果企業の利益は減り続け、ボーナスや基本給のカットが行われ、労働者の収入は減ってしまったのです。さらにリストラなどを断行したことによって、失業率も上昇し続けます。
かくして、企業(法人)の利益にかけられる法人税の税収と、個人の所得にかけられる所得税からの税収が減ってしまい、グラフに表されているような結果をもたらしてしまったのです。
かと言って消費者は、生活必需品や子どもの教育支出など、生活していく上で必要なものについては消費水準を落とせません。そのため98年以降も、消費税からの税収のみはそれほど減っていないか、横ばいというかたちで推移しているのです。これを見ると、たしかに消費税は不況下においても安定的な財源たりえるものです。
ここに目をつけたのが財務官僚だった。どうせ慢性的な不況で税収全体が減り続ける。そうであるなら、自分が現役の官僚である間に、何とか税収を確保できる手段をとって手柄を立てたい。そんな短絡思考に陥っているのが、悲しいかな、わが国日本を動かす財務官僚たちの本性なのです。
著者は、「アベノミクス」を支持していて(同様の政策を、3年前からずっと提言してきた、と仰っています)、その実際の「経済効果」を検証することなく、「増税支持」を打ち出している大部分のメディアに苦言を呈しています。
僕がこの本を読んでいて驚いたのは、経済記者の多くは「経済の専門家ではない」ということなんですよね。
そもそもの問題は、経済学に関して造詣の深い人間が、経済記者になるわけではない、という恐るべき事実です。法学部や文学部の出身者も就職試験に合格すれば経済記者になれます。全体的にみて、経済学部出身者はむしろごく一部にすぎないのです。
それでは、経済学部出身ではない人間が、経済記者になってから経済学を学ぶ機会はあるのでしょうか。
実はない、というのがその質問に対する回答になります。今考えれば、経済ジャーナリズムを謳っていながら、驚くべきことに、記者の側によほど強い決意でもない限り、経済学をきちんと勉強する機会はつくれないものなのです。実際に、経済記者のほとんどは、付け焼き刃で知識を詰め込んでいるだけにすぎないと言わざるをえません。
これはジャーナリズム全般に言えることなんですけどね。
先日のiPS細胞関連の捏造事件の際にも「日本の科学報道の質の低さ」が問題視されましたし。
仮に大学の経済学部を出ていたとしても、大学を卒業した程度の知識のレベルで、ずっと最新の経済情勢に対応できるわけではないでしょうから、常にアップデートを要求されます。
著者は、「ある程度上の立場になってから、あらためて勉強しおしてわかったことがたくさんある」と率直に仰っていて、それはすごく好感が持てるのです。
その一方で、現場で毎日取材をし、記事を書いている若手記者たちは、勉強の時間もなく、とにかく「財務省や日銀や有名大学の御用学者の話を、そのまま鵜呑みにするしかない」のです。
もちろん、まったくの素人、というわけではないのでしょうが、少なくとも政府や日銀の経済政策の「チェック機構」として期待できるレベルには程遠い。
正直、僕が期待していた「日経新聞の裏側の暴露」という内容ではなかったし、著者の勉強熱心さには感服しつつも、「この人もまた、『アベノミクス』の御用学者のようなものではないか?」とも思うのですが、少なくとも1985年の「プラザ合意」以来の日本の経済政策の迷走っぷりと、「こんなに酷い状況が長年続いている国は、少なくとも先進国では日本だけである」ということは理解できました。
それが正しいか正しくないかは僕の経済学の知識では判断しかねるのですが、今はとにかく「アベノミクス」がうまくいってくれることを願うばかりです。