琥珀色の戯言

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【読書感想】創作の極意と掟 ☆☆☆☆


創作の極意と掟

創作の極意と掟


Kindle版もあります。

創作の極意と掟

創作の極意と掟

内容紹介
これは作家としての遺言である――。創作歴60年の筒井康隆が満を持して執筆した、『文学部唯野教授』実践篇とも言うべき一冊。
作家の書くものに必ず生じる「凄味」とは? 「色気」の漂う作品、人物、文章とは? 作家が恐れてはならない「揺蕩」とは?
「小説」という形式の中で、読者の想像力を遥かに超える数々の手法と技術を試してきた筒井康隆だからこそ書ける、21世紀の“文章読本”。豊富な引用を元に、小説の書き方・読み方を直伝する贅沢な指南書です。
小説界の巨人・筒井康隆が初めて明かす、目から鱗の全く新しい小説作法!


筒井フリークの僕としては、筒井さんの「創作論」となれば、読まないわけには参りません。
というわけで、書店でみかけて即座に購入したのですが、さすがというかなんというか、筒井さんの凄さをあらためて思い知らされる一冊です。
筒井さんは、あれだけ数多くの作品を書いているのと同時に、古典から『もしドラ』まで、あるいは日本の名作からラテンアメリカ文学まで、本当にたくさんの小説の読者でもあるんですよね。
そして、常に「新しいジャンルへの挑戦」を続けている人でもあります。


この本、「創作の極意」というタイトルなのですが、「全く文章が書けない人が、これを読むと書けるようになる」というような内容ではありません。
「創作」にもとから興味があって、いろいろやってみてはいるのだけれども、どうも壁を破れない、そんな人に、ちょっとした気付きを与えてくれる、そういうタイプの本です。
オビには、町田康さんや伊坂幸太郎さんの推薦の言葉が載せられているのですが、こういう人たちが読むと、「なるほど!」と思うことがたくさん書いてあるのだろうなあ、と。
そういう意味では、僕もこの本の内容をちゃんと理解できている自信はないのです。

 長年文学賞の選考委員をやってきて、特に新人や若い作家には、ご本人が気づいておられないらしいことに筆者が気づき、教えてあげたいがその機会がないということが多く、ぜひともこの文章から何か役に立つことを得ていただくか、やるべきでないことを知っていただきたいものだ。
「小説作法」に類するものを何度か求められたのだが、いつもお断りしてきた。小説とは何をどのように書いてもよい文章芸術の唯一のジャンルである。だから作法など不要、というのが筆者の持論だったからだ。しかるに今このようなものを書こうとするのは、従来の小説作法にはない。そして他の作家や作家志望者に教えてあげることができそうな、そして小生のみに書けそうなことがたくさん浮かんできたからである。だからこれは、本来の意味での小説作法ではないことを知っておいていただきたい。内容も従来のお作法本とはだいぶ異っていて、各項目では多く、今までにあまり書かれることのなかった事柄を取りあげている。


 「凄み」「色気」「表題」「語尾」など、小説を構成するさまざまな要素に関して、筒井さんの持論が語られていくのですが、読めば読むほど、「結局、小説には『正解』なんて無いというか、結果的に良い小説になれば、それが『正解』だったとしか言いようがないのかな」なんて思えてくるんですよね。
 とりあえず、筒井ファンとしては、筒井さんはこんなことを考えておられるのか……と知ることができるだけでも、嬉しくなってきます。
 

「色気」の項より。

 全身から色気を発散させている人物が少なからず存在する。それを感じる人物は各人さまざまだと思うが、筆者にとってそれは例えば政治家では中川昭一財務大臣、学者では小惑星探査機はやぶさ川口淳一郎、野球選手ではイチロー角界では松ヶ根親方もと若嶋津と、九重親方の元千代の富士、作家では宮本輝町田康で、この二人の作家に色気があるのは当然のことであろう。俳優では堺雅人藤原竜也女形もやる歌舞伎俳優に色気があるのは当然のことだが、六代目中村歌右衛門を越す役者はいまだにあらわれていない。色気があって当然の女性は省くことにするが、特筆すべき女性を三人だけあげておく。まずは元国務長官コンドリーザ・ライス国務長官を辞めてから見違えるほどの色気が出てきた。さらには、渡独してフランクフルトへ移籍したなでしこジャパンの4番DF熊谷紗希(現在はリヨン所属)。そして評論家の斎藤美奈子である。斎藤美奈子はご本人自身にも色気があるが文章の色気もただごとではない。この種の本を「文章読本さん江」という著書でなで斬りにしているから、それを恐れて阿(おもね)っているのではない。これは断言しておく。

 
 僕は正直、「色気」って、わかるような、わからないような……という感じなんですよね。
 ここに挙げられている面々のなかにも「わかるなあ」と、「なぜあえてこの人を?」が混じっています。
 何に、誰に色気を感じるかなんていうのは、「人それぞれ」なんでしょうけど。


 あと、編集者という存在の意義について、こんなことも書かれていました。

 自分に小説が書けるのかという不安は、どんな自信のある人にでも存在する。自分の考え方や表現方法が、ほんとに新しいものであり、小説にするだけの価値があるものなのかどうかという疑問は、新たな小説を書こうとするプロの作家にも存在していて、逆に言えば確固とした自信の中にそういう不安や疑問を内在していることこそが作家としての資質だろう。だからこそそこには第三者的立場で小説というものを客観的に見る才能を持った編集者という存在があり、その小説が世に受容れられるかどうかの判断をし、作家に自信を持たせるのである。ただし編集者と作家の判断が一致しなかった場合、優先されるのはあくまで作家の側であることは言うまでもない。
 逆に言うなら自分の考え方すべてに自信満満という人の書いたものには、まったく凄味がない。なぜ自信満満なのかというと、その考え方が誰にでも受容れることのできる凡庸な、陳腐極まりないものであることが多いからだ。それこそがまさに良識のつまらなさであり、普遍的な価値観の退屈さであり、自動的な思考の馬鹿らしさなのである。そうしたものは小説ではなく小説とは無縁のものであり、だいたいにおいて小説として世に受容れてもらえることは少ないから、これらが小説本として売られていたりすることも滅多にない。だからそこはまあ諸君、安心して小説本を買いたまえ。


 自信満満で書かれたものには、凄味がない。
 でも、まったく自信が持てないものを形にするのは難しい。
 そのあたりの匙加減をうまく調節するのが、編集者の仕事である、ということなのでしょう。
 そう考えると、編集者がほとんど手を加えない自費出版の本や、セルフパブリッシングによる電子書籍に良作が少ない理由がわかるような気がします。
 誰かに読んでもらうことというのは、やはり大切なことなのでしょう。
 あまり他人の意見に流されてばかりでも、創作というのは難しいし、そもそも「どんな編集者に読んでもらうか」というのも大事なんでしょうけどね。

 
 とりあえず、筒井康隆ファンには、ぜひ読んでみていただきたい本です。
 御大がまだまだ現役であり、高くそびえ立つ壁であることをあらためて思い知らされますし、これまでの作品を読み返してみたくなりますよ。
『残像の口紅を』とか、『朝のガスパール』とかをね。


文学部唯野教授 (岩波現代文庫―文芸)

文学部唯野教授 (岩波現代文庫―文芸)

残像に口紅を (中公文庫)

残像に口紅を (中公文庫)

朝のガスパール (新潮文庫)

朝のガスパール (新潮文庫)

朝のガスパール

朝のガスパール

旅のラゴス (新潮文庫)

旅のラゴス (新潮文庫)

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