- 作者: 秋山謙一郎
- 出版社/メーカー: 扶桑社
- 発売日: 2014/03/01
- メディア: 新書
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- 作者: 秋山謙一郎
- 出版社/メーカー: 扶桑社
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内容紹介
■経営者サイドから見たブラック企業の経営哲学■
長時間労働に賃金未払いを従業員に強い、使い捨て感覚で労働者を酷使するブラック企業。
数々の報道でブラック企業の実態は照らされ、社会問題にもなった。
しかし、その多くが虐げられる側の証言に基づいたものであり、
経営者サイドがなぜ従業員から時間や金、人としての尊厳まで搾り取るのか、声はなかなか聞こえてこない。
そんな現状を打破しようと、気鋭のジャーナリストがブラック企業経営者に
体当たり取材を敢行し、彼らの言い分についてフォーカスしたのが本書である。
なぜ、長時間拘束が可能なのか。
なぜ、約束していた賃金を平気で踏み倒すのか。
なぜ、労働者を使い捨てにできるのかーー。
ブラック企業の「経営者側の論理」。
テレビによく出演しているような「ブラック企業の社長」を観ていると、「ああ、この人は、自分が厳しい状況から頑張って立ち上がってきた経験があるから、『みんなやればできるはず』と考えるようになったのだろうなあ」と感じることが多いのです。
こういう経営者は、勘違いしているとは思うけれど、少なくとも自覚的な「悪意」はありません。
この新書では、そういう経営者ではなく、「効率の良いシステムとして、社員を使い捨てる」ことを、あえてやっている「ブラック企業」の経営者や幹部に取材し、彼らの「テクニック」を公開しています。
「ブラック企業を経営したい!」という人は少ないと思いますし、彼らは社会的には嫌われる存在ではありますが、だからこそ、その「本音」って、あまり伝わってくることがなく、「ブラック企業に勤めている人はかわいそう」という、被害者側からの観点だけがクローズアップされがちなのです。
ただ、世の中には、「経営者側だって大変なのだし……ついていけない社員のほうにも、社会人としての自覚が足らないのでは?」なんていう受け取り方をする人も、少なくないんですよね。
ちなみに、著者は、この新書のために、「延べ100人の経営者に会い、取材に約3年かけた」そうです。
取材を進めるうち、自覚するしないを問わず、ブラック企業経営者と呼ばれる者たちに共通していることがわかった。
皆、何事も自分に都合よく考える。物事を考える軸は、すべて”自分”である。さも、自分が世界の中心であるかのように考えている節がある。
事業を拡大したい。人を雇いたい。でも、人件費は最小限に抑えたい。都合よく人を使う。だけれども都合よく辞めさせる――。都合よく使われたほう、都合よく辞めさせられたほうの気持ちを考えることはない。
「今は、ひとりひとりが経営者の時代。サラリーマンといえども生き残るのは大変な時代だ」
あたかも他人事のように、平然と言い放つ。
だが、彼らブラック企業経営者は、決して行き当たりばったりな経営を行っているわけでもない。
僕は、この本を読んで、ずっと考えていたのです。
ブラック企業を経営するやつらなんて、「人間失格」だろう、と。
確かに、彼らはひどいことをやっているんですよね。
「使われる側」からすれば、この本で紹介されている「実情」を読んでいるだけで、いたたまれなくなってきます。
しかしながら、その現場にいる人たちは、必ずしも、そこが「ブラック」だ感じているわけでもないのです。
あの「ワタミ」で働いていた人の、こんな話が紹介されています。
今でこそブラック企業の代名詞のように認知されているワタミだが、その実像は「厳しい体育会」のノリだと話す。
「店長、副店長、社員、バイト、皆、仲良くてね。仕事が終わると皆でカラオケ行ったり、飲みに行ったり、社員でも仕事できない奴は古株のバイトがカバーしたり、追い詰められた環境ほど、人間、素が出るというでしょ。自分の弱さも強さも、社員、バイト関係なく曝け出して、店舗を回していく。お客様に喜んで頂く。だから、仕事がキツくて辞める奴。文句言う奴。そんな奴は”裏切り者”と今でも思うし、腹立たしいですね」
社員になると、店舗での業務のほか、デスクワークもある、また本社などで行われるミーティングにも参加しなければならない。
「男が男に惚れる――。渡邊美樹に惚れ、本社のある役員に惚れ。どの上司も皆、男気溢れるいい男ばかりでした。だから最後までついて行きたかった。
今でもA氏は、新人時代、1人で洗い場で皿洗いをしていたある日のことを思い出す。
店長「君、1人でやってるのか?」
A氏「はい……」
店長「何で言わないんだよ。言ってよ」
A氏「あ、でも、これ、僕の仕事だし……」
店長「手伝うよ」
A氏「え、でも……」
(そう言うなり店長は洗い場に入り、皿洗いをはじめた。店長のワイシャツは、たちまち泡まみれになった)
店長「いい? 何でも1人で背負うことないから。ワタミでは皆が寄り添って、助け合うんだよ。それがワタミだから。でも、今日は俺が気づかなかった。君に寄り添っていなかった。すまんな」
A氏「いえ……。そんな」
店長「今日は忙しかったのに。大変だったでしょう。これだけの数を……。本当に俺が至らなくて、君とお客様に悪いことをした。申し訳ない」
A氏は、頬に涙が伝ってくるのがわかった。
その後、A氏が店長になった際は、人手不足に陥って困っていたところ、昔の店で働いていたアルバイトたちが、自発的に集まって、店を手伝ってくれたそうです。
外部からみれば「異様なほどの濃い人間関係」なのですが、この内部にいれば、きっと、居心地は良いのでしょうね。
職場のストレスのなかで一番大きなものは「人間関係」だそうですから、周囲との信頼関係がうまく築けていれば、仕事がきつくても、やっていける人も少なからずいるのです。
ちなみに、このA氏は、その後も頑張って働いていたのですが、「うつ病」でワタミを退職してしまいました。
でも、A氏は「キツイ仕事で追い込まれた」と恨んでいるわけではなく、むしろ、「最後までワタミに残れずに、申し訳ないと思い続けている」そうです。
また、ある造園職人の男性は、同業他社からある会社に移ってきたときに、「新人は紺や白などの地味な作業服しか着てはいけない」と命じられ、さらに、「ミスをしたら罰金1000円、事前に申し出たとしても仕事を休めば1万円の罰金、休日出勤、サービス早出・残業は当たり前」という勤務状況だったそうです。
それでも「このまま負け犬として辞めていくのはプライドが許さない」と1年間働くと、劇的な変化が訪れました。
もっとも”新人”から”古株”へと認められると、自由になるのは服装だけではない。新人時代、過酷だった勤務環境が大幅に緩やかになり、自由度が高まったという。
「1年ほど経って、親方から『お前、もう好きな服着ていいからな』と言われてからは、先輩方も、俺への態度が”下っ端”から”同僚”へと変わったね。そうすると、今まで”この野郎”と思っていた先輩も、不思議に優しく思えてね。こうやって、この会社の型にハマっていくんだなと思ったもんですよ。新人時代が終わったら、もうミスしても親方からは何も言われないし、遅刻しようが、休もうが罰金払わされることもなくなったしね。居心地はよかったね」
新人としてある一定の期間は、服装はもちろん、行動にも制限があり、自分以外の上司・先輩に一挙手一投足を見られるが、その期間を無事に乗り切れば、今度は”仲間”として迎え入れられるのだ。
これを読んでいると、体育会系の部活での「先輩によるシゴキ」のことを思い出さずにはいられません。
みんな、1年生のときは、「もうこんなの嫌だ」「自分が上級生になったら、シゴキなんてやめよう」と固く誓っているはずなのに、それに耐え、上級生になってみると、「あのシゴキに耐え抜いたから、今の自分がある」「自分たちはあんな目にあったのに、後輩はラクできるなんて、不公平だ」などと、考えるようになってしまうのです。
上級生でも「イヤだなあ」と思っている人は存在するのだろうけど、「変革」というのは、勇気がいることですしね……
そして、卒業して同窓会で集まれば「あの頃、鍛えられたよなあ!」なんて、良い思い出になってしまう。
結局のところ「それについていける人」が残り、上層部になっていくのですから、「ついていけない人の気持ち」は、置き去りにされ、残った人間たちの「敵」とみなされるだけです。
こういう組織では、「ついていけないヤツが悪い、裏切り者」になってしまいます。
それで、「敵」に対して「団結」できるし、本来組織に向かうべき不満は、「裏切り者」に向かうことになります。
ワタミの「体育会系ブラック企業体質」は、諸方面から責められているのですが、ああいうやりかたって「日本で、組織の人間として認められるための伝統的な『通過儀礼』」なんですよね。
僕は「ブラック企業を悪だと思っていない人」は、少なからずいるのではないかと感じています。
こういう組織の場合は「一員として認められれば、あとはラクになる」分だけ、まだマシなのかもしれません。
この本によると、「最初から使い捨て前提で人を雇う経営者」もいるのです。
著者が、弓田さん(仮名)という零細IT企業経営者にインタビューしたものの一部です。
――新人は雇いたい。でも、2、3年使えばそれでいい。そういう経営者も多いです。
弓田:経営者心理として、契約社員やバイトではちょっと格好悪い。だから正社員が欲しい。しかし、正社員を雇い続けるにはカネもかかる。だから、2、3年”腰掛”で来てくれる。そういうのがありがたいんや。
――社員が定着すると、社業も安定、経営者である弓田さんの仕事の幅も広がるのでは?
弓田:そこまで手を広げて大きな仕事しようゆう意識はないんよ。それに、社員を長年雇うてみ、給料、上げなあかん。それは困る。
まあ、これは極端な例かもしれませんが、ブラック企業では「10人雇って、2、3人くらい残るように『調整』する」というケースが、少なくないようです。
長年居てもらって、給料を上げるくらいなら、安く使える次の「兵隊」を入れたほうがいい、という考えのもとに。
この本で、「経営者側の論理」をみていて、あらためて感じたのは、結局のところ、「起業する」とか「社長になる」というタイプの人には、「まず自分が第一」という人が多いということです。
というか、そういう人でもないと、トップとしてやっていくのは、つらいのではないでしょうか。
企業としては、労働者を安く雇って、たくさん働かせたほうが「黒字」になるのですから。
もちろん、そうじゃない経営者も少なからずいるとは思います。というか、そう思いたい。
でもまあ、「なるべく働かずに、のんびり生きていきたい」なんていう人が、会社経営とか、やろうとはしませんよね。
ブラック企業の経営者側には、彼らの立場での「正義」があるのです。
「だって、このくらい厳しくやらないと、会社が潰れてしまうのだから。そうしたら、仕事がなくなって、みんな困るだろ?」
ブラック企業じゃないと生き残れない世界って、おかしいと思うのだけれど、毎日8時間勤務、残業なしで高給、なんて仕事は現実には存在しません。
だから、どこかで妥協しなければならないのでしょうね、きっと。
正直、「ブラック企業を経営している人たちの論理」を知ると、こういう人、「他者は利用するための存在だ」と考えている人たちと理解しあうのは、難しいだろうな、と思うのですよ。
だからこそ、下手に適応しようとしたり、説得しようとしたりするより、逃げてしまったほうがいい場合もあるのです。
とはいえ、どこにも逃げ場がないような気も、するのですけど……
とりあえず、相手の手の内は、知っておいて損はしないと思います。
「ついていけない自分が悪い」と思い込まされないためにも、ね。