琥珀色の戯言

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【読書感想】きみは赤ちゃん ☆☆☆☆


きみは赤ちゃん

きみは赤ちゃん


Kindle版もあります。

きみは赤ちゃん

きみは赤ちゃん

内容紹介
35歳ではじめての出産。それは試練の始まりだった!
芥川賞作家の川上未映子さんは、2011年にやはり芥川賞作家の阿部和重さんと結婚、翌年、男児を出産しました。つわり、マタニティー・ブルー、出生前検査を受けるべきかどうか、心とからだに訪れる激しい変化、そして分娩の壮絶な苦しみ……妊婦が経験する出産という大事業の一部始終が、作家ならではの観察眼で克明に描かれます。
さらに出産後の、ホルモンバランスの崩れによる産後クライシス、仕事と育児の両立、夫婦間の考えの違いからくる衝突、たえまない病気との闘い、卒乳の時期などなど、子育てをする家族なら誰もが見舞われるトラブルにどう対処したかも、読みどころです。
これから生む人、すでに生んだ人、そして生もうかどうか迷っている人とその家族に贈る、号泣と爆笑の出産・育児エッセイ!


 これはすごい、そして、あまりにも身につまされる……
 僕にとっては、読むのがつらいエッセイでもありました。
 妻の妊娠・出産、そして、産後の自分たち夫婦のやりとりなどを思い出してしまい、ヒリヒリしっぱなしだったのです。
 ああ、こんなに大変だったんだなあ、とあらためて女性側の精神状態を思い知らされるのと同時に、「だけど、僕はさておき、阿部さんはここまで育児に参加しているのに、それでも満足してはもらえていなかったのだなあ……」と暗澹たる気分になりました。
 妊娠・出産って、「すごく大変!でも、ママをえらんで産まれてきたんだもんねっ!」というハッピーママ系の文章が多いのですが、この本には、「妻の妊娠・出産による夫婦関係の変化や、お互いのわかりあえなさ」みたいなものが、けっこう赤裸々に書かれています。

 出産にかぎらず、人はなぜか自分の選択したことやものが正しく、またよりよいものだった、と思いこみたいところがあって、それがときおり顔をだすのよね。
 だから「無痛なんですよ」というと「無痛もいいけど、麻酔とか、けっこうこわいっていうじゃない……」からはじまって、「でもやっぱり、痛みって大事だと思う」みたいな流れになって、「いろいろあるけど、わたしは自然分娩で生んでよかった」みたいな話になってしまうことも多いのだった。
 ほかには「えー、小説家なのにもったいない」というのもあった。
 そういう痛みは小説家としての経験になるのにそれをみすみすないことにするのがもったいない、ということなのだろうか。「アーティストなのに気合入ってないよね!」ともいわれた。でも、いわせてもらえば、そんな「体験を世界から恵んでもらいたい根性」で小説書いてるわけじゃないし、小説ってべつに人生とか体験とか関係ないところで成立するから小説なんであって、こういうなにもかもを一緒くたにする「女の一生ありがとう」的な発想には、なんだかほとほと疲れるところもあった。
 っていうか、ふつうに考えて、痛みって、あるよりないほうがいいと思うんだけど、ちがうのだろうか。


 この「小説」に対する潔さ!
 そうだよね、「人生経験至上主義」みたいなのは、僕も違うんじゃないかと思います。
 とはいえ、経験したことのほうが、書きやすい、想像しやすい、というのもありそう。
 でも、「そのレベルの想像力では、小説家としてごはんを食べていくのは難しい」ということなのでしょうね。
 ちなみに、川上さんは「出産以外の手術とかで、その『痛み信仰』を発揮してる『痛み信者』なんて、みたことがない。他人に信仰を押しつけるのなら、出産以外でも痛み信仰を貫いていただきたい」と仰っています。
 確かにそうだよね……
 しかし、この本を読むと、そういう「出産や育児に関する、女性どうしのネットワークとか、自分が信じていることの押し付け合い」っていうのは、けっこう大変そうだな、と考え込まずにはいられません。


 川上さんのマタニティ・ブルーの時期のこの文章などは、読んでいて「うーむ」としか言いようがないのです。

 たとえば。あるとき、わたしが現在妊娠何週の状態であるのか知っているのか、ときいてみたら、知らなかった。まずそれにかちんときた。25週やで、とわたしはいちおう伝えてみた。そして、後日、妊娠25週目のおなかの赤ちゃんがどんな状態か、知ってる? ときいてみた。たとえば映像情報でも、文字情報でも、おなかの赤ちゃんがいまどれくらい成長しているのかとか、そういうこと知ってる? と。でも、あべちゃんは知らなかった。わたしはそれに対して急激に怒りがこみあげた。というのも、そういうのはネットで検索すればいくらでも知ることができる情報であり、そしてあべちゃんは一日に28時間くらいネットにつながっているからで、なにをそんなにみているのか見当もつかないし、目が疲れないのかとか、玉石混淆すぎる情報にまみれてしんどくならないのかとか、そばでみているだけでもまじでぐったりするのだけれど、とにかく、あれだけ日々ネットにつながっていてときにはしょうもない情報を読んだりしているはずなのに、その時間はたんまりあるはずなのに、われわれの一大事であるはずの妊娠、ひいてはわたしのおなかの赤ちゃんについてただの一度も検索をしたことがない、ということに、わたしはまじで腹が立ったのである。これはたんに興味がないだけの証拠じゃないか!

 ぐはっ!
 お怒りはごもっともです……
 1日に26時間くらいネットにつながっている僕ですが、妻の妊娠中も、あらためて勉強したり、ネットで検索したりすることは、ほとんどありませんでした。
 いやむしろ、「しょうもないことのほうが、検索して何気なく読んだりしやすいというか、本当に大事なことは、検索する気になれないというか……」
 って言っても、理解してもらえないことも、よくわかっています。
 でも、とくにトラブルが無い状況でも、検索するものなのかなあ、するべきなのかなあ……
 ほんと、このエッセイ集、読むのキツイよ……


 軋轢は、産後も続きます。

 それに比べて、父親はどうよ。


 ちょっと手伝っただけで「イクメン」とかいわれてさあ。男が「イクメン」やったら女の場合はなんて呼べばいいのですか。そんな言葉ないっちゅうねん。
 わが家は経済的にもわりかんで、おたがい似た仕事をしていておなじだけ家にいるからおなじだけ育児を負担できるはずなのに、「基本的には母乳でいく」というルールができたので、夜はすべて、わたしがお世話をすることになった。
 これがつらい。まじでつらい。夜は眠れないのに、翌日には仕事があるのだ。こんなの無理だ。もちろんあべちゃんはゴミだしをするし、洗濯もするし、できるときには掃除機をかけたりもする。しかし、料理はわたしである。なぜなら、あべちゃんは料理ができないからである。オニが3ヶ月目に入ったころ、
「なにか作ってくれるという気持ちはないのか」
「なにか作れないと今後困ったことにはならないのか」
 と直談判したことがあった。するとあべちゃんの言いぶんはこうだった。
 おれは料理はできないが、ほかの家事はけっこうやっているので分量的にはおなじではないでしょうか、と。お皿も洗うし、掃除もするしゴミだしだって、あれはああみえて大変だし、できることはすべてやっているのだと。料理だって無理にしなくっていい。おれが外でお惣菜や、みえの食べたいものをいつだってなんだってすぐに買ってくる、と。そういうのである。
 しかしあべちゃんはまったく理解していない。料理というのは、そのほかの家事とまーったく異なるものなのだ。まったくぜんぜんちがうものなのだ。毎日誰かのために料理をするということは、冷蔵庫のなかになにがあるのかを把握し、買いだしの予定、週単位での献立の計画、会計管理などが全面的に関係していて、それがずーっと連続するものなのよ。そのつど料理して終わり、ではないのだよ。そして、疲れ果てて料理ができないときにも、惣菜や店屋物を食べたくないことだってあるのだ。お野菜を茹でたのとか、そういうのをさっと食べたいときがあるのだ。なぜそれをわかってくれないのだろう。


 これと似たようなことが、うちでもありまして……
 「料理するのが面倒なら、買ってくるから無理しなくていいよ」と言っても、「なぜあなたが作ろうとしないのか!」と責められたときは、心底苛立ってしまったんですよね。
 僕が料理をほとんどしたことがないのは知っているはずなのに、なぜいきなり「お前が作れ!」とキレられなければならないのか、そもそも、無理に料理してほしい、というわけではなくて、外食でも中食でも、全然かまわないじゃないか、と。
 いきなり「料理をつくれ」と責め立てるのって、「イジメ」みたいなものです。
 なぜわざわざ「できないと知っていること」をやらせようとするの?


 この本を読んで、ようやく理由がわかったような気がします。
 その場での感情の爆発を抑止できるかどうかはわかりませんが、こういう「事情」があって、相手がそう言うのだ、ということと、こういう軋轢は、自分たち夫婦だけに起こっているのではないのだ、ということを知っておくだけでも、少しは心の準備はできるのではないでしょうか。


 そういう意味では、男性側こそ「あらかじめ読んで、覚悟をしておくべきエッセイ集」なのかもしれませんね。
 でもほんと、これを読むと、いろいろ思い出してつらいよ……


 川上さんが産後クライシスの時期に書いていたものの最後に、こんな文章があったそうです。

「出産を経験した夫婦とは、もともと他人であったふたりが、かけがえのない唯一の他者を迎えいれて、さらに完全な他人になっていく、その過程である」

 「母親から子どもへの愛情って、こんな感じなんだな……」と、しみじみ心が温まってくるような文章も、たくさんあるんですよ、このエッセイ集。
 でも、僕はほんと、読むのがきつかった……

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