- 作者: 池上彰
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2015/03/25
- メディア: 単行本
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Kindle版もあります。
- 作者: 池上 彰
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2015/03/27
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内容紹介
平和は終わった!
「イスラム国」からピケティ「21世紀の資本」まで、
大困難の時代に必要な50の知識
「日本が攻撃対象であることを名指しされる時代になりました。
過去ののどかで平和な時代は終わりを告げたかのように見えます。
では、どうすればいいのか。
まずは「敵」を知ることです。
歴史から現代が見えてくるのです。」――「はじめに」より
池上彰さんと佐藤優さんは、本を書きすぎなのではないか?とも思うのですが、扱っているのが時事問題ということもあって、読んでみると、「ああ、けっこう勉強になったなあ」と感じることが多いんですよね、池上さんの本って。
この本には、池上さん自身が「当事者」となった「朝日新聞のコラム掲載拒否問題」について、また、親交があったジャーナリスト、後藤健二さんのことを書いた文章も含まれていて、池上さんの著作のなかでも「池上さんの顔がみえる」ような気がします。
池上さんのスタンスというのは、一筋縄ではいかないというか、ある意味「逆張り」をしているようにもみえるんですよね。
僕はそういうところがけっこう好きなのだけれど、読んでいると、世の中というのは、実にモヤモヤしたものの集合体なのだな、ということを考えさせられます。
フランスの週刊新聞紙「シャルリー・エブド」の本社がテロリストに襲撃された事件で、「風刺」について、こんなふうに書かれています。
フランスの風刺画といえば、2011年の原発事故の後、奇形の力士がオリンピックに出場するという風刺画が物議をかもしたことを覚えていますか? 実に悪趣味で、日本人や福島の人たちに対する差別意識を感じて嫌な思いをしたものです。
あの漫画は、フランスの別の風刺新聞に掲載されましたが、この漫画を書いた漫画家は、今回のテロで犠牲になっています。
当時の福島の人たちのことを考えると、風刺画は、立場によって、人の心を傷つけるものだということがわかります。
フランスの風刺画はキリスト教も対象に取り上げます。しかし、イスラム教の預言者ムハンマドを風刺すると、イスラム教徒の心を傷つけてしまう事態になるのです。
あの原発事故の後の「風刺画」、僕も覚えています。あれは不快だった。
「表現の自由」とはいうけれど、あんなふうに人を傷つける「自由」まで、認めなければならないのだろうか。
そもそも、イスラム教では偶像崇拝が固く禁じられているので、「絵にする」ことそのものが、「ひどい侮辱」でもあるんですよね。
もちろん、彼らは知っていて「風刺」しているわけで。
テロで相手を殺害する、という抗議は論外ですが、こういう「風刺」って、される側になると、笑ってはいられないことがほとんどです。
ネットでも、自分が他人の悪口を言うときだけ「表現の自由」を主張する人っていますしね。
個人的には、権力者を「風刺」するのはある程度許されると思うのですが、特定の宗教の信者や、原発の被害者を「風刺」するのは、好ましいとは思えません。
それを法律で禁止することは、どこまで許されるか、という線引きの難しさも含めて不可能でしょうけど、「風刺は正義」とは言い切れない、ということなんですよね。
少なくとも、「風刺される側」からみれば。
また、朝日新聞の「池上彰さんの連載コラム掲載拒否事件」については、朝日新聞に苦言を呈しながらも、「その輪に加わっていた新聞社は、みんな『石を投げる』ことができるのでしょうか」と書いておられます。
私は、かつて、ある新聞社の社内報(記事審査報)に連載コラムを持っていました。このコラムの中で、その新聞社の報道姿勢に注文(批判に近いもの)をつけた途端、担当者が私に会いに来て、「外部筆者に連載をお願いするシステムを止めることにしました」と通告されました。この記事審査報には、私以外に四人も交代で連載していたのですが、全員の連載が終了しました。
後で新聞社内から、「経営トップが池上の連載を読んで激怒した」という情報が漏れてきました。
まさか「自社の方針を批判するような筆者の原稿は掲載できない」なんてことはないですよね。そんなことだと「言論封殺」などと言われかねませんからね。
ただし、制度の変更は、通常は年度変わりなどで行われるものでしょうが、この打ち切りは、年度の途中の突然の出来事でした。
これは読者が読む紙面ではありませんから、朝日の場合とは異なりますが、社内に異論は認めないという空気があることがわかりました。
新聞社が、どういう理由であれ、外部筆者の連載を突然止める手法に驚いた私は、新聞業界全体の恥になると考え、この話を私の中に封印してきました。
しかし、この歴史を知らない若い記者たちが、朝日新聞を批判する記事を書いているのを見て、ここで敢えて書くことにしました。その新聞社の記者たちは「石を投げる」ことはできないと思うのですが。
あの「連載コラム掲載拒否事件」というのは、著者が池上彰という時代の寵児であり、ちょうど「朝日新聞叩き」の時流があったから、大きく採り上げられただけなのかもしれません。
池上彰さんだけが、こういう「異論封殺」の対象となっているとは思えませんから、これはまさに「氷山の一角」であり、朝日新聞だけの問題ではない。
にもかかわらず、他紙は、営業上の戦略もあるのか、自らを顧みることなく「朝日新聞バッシング」に熱中していたのです。
それは、読者の側にとっても、同じことがいえるわけで。
まあでも、こういう話って、これまでもたくさんあったのだろうな、とは思います。
朝日の「慰安婦報道」をめぐり、複数の週刊誌が朝日を厳しく批判しています。
こうした一連の批判記事の中には本誌「週刊文春」を筆頭に「売国」という文字まで登場しました。これには驚きました。「売国」とは、日中戦争から太平洋戦争にかけて、政府の方針に批判的な人物に対して使われた言葉。問答無用の言論封殺の一環です。少なくとも言論報道機関の一員として、こんな用語は使わないようにするのが、せめてもの矜持ではないでしょうか。朝日は批判されていますが、批判にも節度が必要なのです。
朝日の検証報道をめぐり、朝日を批判し、自社の新聞を購読するように勧誘する他者のチラシが大量に配布されています。これを見て、批判は正しい報道を求めるためなのか、それとも商売のためなのか、と新聞業界全体に失望する読者を生み出すことを懸念します。活字大好き人間として、新聞界・出版界全体の評判を落とすようなことになってほしくないのです。
こういうことを発言するのが許されるのも、池上彰さんが売れっ子だから、というのもあるとは思うのですよ。
だからこそ、池上さんのような人が「封殺」されないためには、読者がちゃんと支えていかなくてはならないと感じます。
「売国」なんて言葉が踊るのも、「そのほうが売れるから」なんですよね。
で、過激な言葉遊びのつもりが、いつのまにか、にっちもさっちもいかなくなる。
太平洋戦争のときの日本も、そうだったんじゃないかな。