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【読書感想】青い光が見えたから 16歳のフィンランド留学記 ☆☆☆☆


青い光が見えたから 16歳のフィンランド留学記

青い光が見えたから 16歳のフィンランド留学記

出版社からのコメント
ムーミンを読み、フィンランドに興味を持った少女が、乏しい留学情報や自分自身を見失いそうになるような中学校の体験を経て、フィンランドに単身高校留学。
言葉の壁に直面しながらも周囲の人々に助けられ、次第に自分を取り戻し、無理だと言われていた高校の卒業試験に合格するまでのノンフィクションの成長物語。


 なんでフィンランド? もしかして、サンタクロースの家系とか?
 この本を見かけたとき、僕はそんな疑問を抱いてしまったのです。
 海外留学するとしても、アメリカとかイギリスならわかる。中国、韓国という人もいるだろうな、とは思う。
 フィンランドに留学する「理由」が、僕には想像できなくて。
 観光地としては魅力的なのかもしれないけれど、住む国、留学する国としては、あんまり「メリット」が思い浮かばないのです。


 著者の高橋絵里香さんは、1984年生まれで、2000年の8月から、フィンランドに留学しています。
 彼女がフィンランドに興味を持ったのは、小学校四年生のときに出会った、トーベ・ヤンソン著『ムーミン』がきっかけだったそうです。
 それも、日本のアニメでよく知られている、丸っこくてかわいいカバみたいなムーミンではなくて、「黒目の小さなまんまるの目、細長く垂れさがった鼻。かわいいというよりは、気味のわるい感じさえした」という原作本の『たのしいムーミン一家』。

 それから、フィンランドを紹介している本や雑誌を見つけては、片っぱしから読んでいった。フィンランドは北欧と呼ばれる北ヨーロッパの国の一つで、そこではフィンランド語という独特の言葉が話されていた。国の面積は日本とあまり変わらないのに、人口は日本のおよそ24分の1。代わりに数えきれないほどの湖と森が大地を覆いつくしているという。北の町を北極圏のラインが通過するというその国で、オーロラの舞う暗い長い冬には、家族が一緒にあたたかくクリスマスのひとときを過ごし、日の沈まない白夜の夏、人々は湖のほとりで太陽の陽射しを喜びあい夏祭りを祝う……。かじりつくようにしてページのすみずみまで読んだが、情報が少しずつしか手に入らないのがもどかしかった。そして、どうしてもムーミン谷で体験したような心躍る冒険を、ここで終わらせてはいけないような気がしていた。


 中学校時代、学校にあまりうまく馴染めなかったこともあり、著者は高校からのフィンランド留学を決意します。
 フィンランド語を勉強し、さまざまな伝手をたどって、「ちょっと無理なんじゃない? 1年間の交換留学にするか、大学からの留学にすれば?」という周囲の「常識的なアドバイス」を乗り越え、フィンランドの高校に通うことができるようになりました。
 ただし、「まずは半年間限定の滞在許可で、留学の経過をみて、延長できるかどうかが決まる」という不安定な立場でした。
 著者のご両親は、常に著者の決心を後押し、応援してくれていたようなのですが、それもすごい「覚悟」だっただろうな、と。
 僕だったら、「大学からでも良いんじゃない?」って絶対言うと思う。


 この本からは、なんというか、高校生の瑞々しい感性、みたいなものが溢れているのですが、著者は「フィンランドから日本を語る」というほど余裕をもって留学生活をおくっていたわけではなく、難しいフィンランド語で授業やテストを受けながら、高校の友達と全力で毎日を過ごしているんですよね。
 日本人が日本の高校に進学するのであれば、きつい場面があるとしても、リラックスできる時間はあるでしょうし、家の自分の部屋ではひとりになれる。
 著者は、外国で、周囲の人はフィンランド語で喋っていて、自分もフィンランド語でコミュニケーションをとらなければならないのだから、ずっとリスニングのテストを受けているようなものですよね。
 フィンランドの高校生たちはみんな押し付けがましくない「友情」で著者に接してくれていて、先生たちも「教えてあげる」というよりは、外国から来たこの好奇心の強い若者を応援してくれます。
 もちろん、この本には書けないようなつらいことや、ホームシックになった時期もあったのではないか、とも想像してしまうのですが。


 フィンランドは教育に力を入れている国としても有名なのですが、試験はこんな感じなのだそうです。

 それから間もなくして、初めての試験期間がはじまった。毎回コースの総まとめとして学期末に行われる試験は、年に5回ある。美術や体育など学期末試験のない教科もあったが、一学期には、数学、英語、国語に試験があった。試験は一日に一教科ずつあり、一つの試験に時間をかけて準備をすることができた。そのため、試験期間も一週間以上と長かった。
 試験の内容が日本のそれとかなりちがっていることには、とてもおどろかされた。フィンランドの試験では、問題がたいてい一行の文で書かれていて、それに関して授業で習ったことだけではなく、自分が持っている知識をすべて使った答えを、四角い枠線の入った白い答案用紙に書けるだけの文章を書いて表現しなければならない。歴史なども、年号や事象の名前を覚えているだけでは十分ではなくて、出来事がどういう意味を持つものだったのか、なぜそういうことが起こったのかなど、くわしく掘りさげて答えなくてはならないのだ。数学や物理などの教科は例外だったが、英語でも文法やイディオムの穴埋め問題の他に、二百単語程度の作文を書かなければならなかった。
 例えば、国語の試験でフィンランドの有名な作家の名前が問題用紙に書いてあるとすると、生徒はその作家について授業で学んだこと、以前から自分が知っていることをすべて答案用紙に書かなくてはならない。解答の量に制限はなくて、一つの問題の解答は、何行かで短くまとめても、紙何枚分になってもいいのだ。


 こういう試験は、採点も大変だろうと思うのですが、この留学体験記を読んでいると、フィンランドの先生たちは、本当によく生徒たちの「個性」をみていて、「管理」するのではなくて、「生徒たちが自分で興味を持って勉強していくサポートをする」ことを意識しているというのが伝わってきます。
 日本人である僕の感覚からすると、学校がそんなに自由奔放で良いのか?と思うような場面もあるのですが、だからこそ、生徒たちは「自分で自分たちの行動の責任を負う」という意識を持っています。


 著者の場合は「高校からの留学」というのも、良かったのかもしれません。

 大学の留学生たちは、学生アパートで他の留学生たちと一緒に暮らしていて、ホームステイしてじかにフィンランドの暮らしを体験できる高校の留学生たちとは、ちがう環境にあるようだ。きくと、大学の中でも留学生同士集められてグループができているという。そのような状況では、フィンランド人の友達がなかなかできなくても、不思議ではないのかもしれない。


 それに加えて、大学と高校の留学生たちの大きなちがいは、大学生は留学する時点で大人の年齢に達しているということなのだろう。彼らはそれぞれ母国で自分の自我を確立していて、海外に留学しても留学先を「外国」という先入観を持って見てしまうようだ。だがそんなふうにして外側から見ようとしても、フィンランドの人々の良さというものは、なかなか見えづらいのだ。
 フィンランドの人々は、愛想笑いを浮かべたりお世辞を言ったりということをあまりしない。彼らはとてもストレートで、良い意味でマイペースで、自分のことを良く知っているため適度な自信もある。だからきっと傍から見たら冷たい感じがしたり、自分たちのことにしか興味がないように見えてしまうのかもしれない。しかし、まさにそこがフィンランドの人々の良いところでもあるのだと思う。

 
 「高校時代の留学」と「大学時代の留学」には、こういう「差」もあるのです。
 社会人になって海外勤務をする人も、多くは「日本人コミュニティ」の中で生活します。
 それが悪い、というわけではなくて、そのほうがラクだと感じる人が多いのは事実なのでしょう。
 僕だって、いま海外勤務を命じられたら(まずそんなことはありえませんが)、積極的に現地の人と触れ合っていく自信はありません。
 人間、年を重ねると、環境の変化への適応力は落ちていきやすい。


 僕自身は留学イコール善、と考えているわけではありません。
 国や行き先によっては、文化の壁や差別的な扱いに適応できず、傷を負って日本に帰ってくる人もいることを知っています。
 もし、あなたが留学を考えているのであれば、この本を一度読んでみると良いかもしれません。
 「自分もやってみたい!」と感じるのならチャレンジしてみればいいし、「これは大変そうだな」というのであれば、無理する必要はありません。
 向き不向きってあるからね、やっぱり。
 これは、そういうリトマス試験紙みたいにも使える本だと思います。

フィンランドでは『すべての人の権利』として、たとえそれが国の土地でも誰かの私有地であっても、森へは許可なしで散歩したり、ベリーやきのこを集めたりするために入れるようになっているんだ」ブルーベリーを集めながらセシリアが話してくれた。「その代わり、ゴミを捨てたり、植物を傷つけたりしないように、森でのマナーは守らなくちゃならないけどね」
 ベリーにしと安らぎにしろ、森の与えてくれるものをひとりじめにしないところが、フィンランドの人らしくてすてきだなと思った。

 森の国、オーロラの国、そして、大人の国、それがフィンランド

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