琥珀色の戯言

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【読書感想】新選組 粛清の組織論 ☆☆☆

新選組 粛清の組織論 (文春新書)

新選組 粛清の組織論 (文春新書)


Kindle版もあります。

新選組 粛清の組織論 (文春新書)

新選組 粛清の組織論 (文春新書)

殺した敵は26人、殺した「味方」は40人! 


近藤勇土方歳三沖田総司らが、京都で剣を振るい、最期は武士らしく散っていった――そうした新選組のストーリーは「勝者」による一面的なものにすぎない。


新選組約520人の隊士のうち、40人が内部粛清や・暗殺で命を落としたとされる。そのなかには創設者の芹沢鴨や、新見錦、副長の山南敬助、参謀の伊東甲子太郎、隊長・藤堂平助といった幹部クラスも含まれる。


主導権争い、路線対立、裏切り・・・粛清された“敗者”の視点から、組織が抱える暗部をえぐり出す、全く新しい新選組論!


 「新選組」といえば、三谷幸喜脚本・香取慎吾主演でNHK大河ドラマにもなりました。
 「維新の志士たちを狙う悪者」としてのイメージと、滅びゆく幕府に殉じた、「侍になりたかった男たち」の肖像が入り乱れ、根強い人気を誇っているのです。
 この時代を扱った歴史小説を読むと、志士側からみると新選組は憎らしいし、新選組側からみると、侍ではなかったがために、侍として生きようとして、厳しい規律で自らを縛っていく姿に寄り添ってしまうんですよね。


 この新書は、そんな新選組の7年間の歴史を「粛清」というテーマで辿っていくのです。

 新撰組の前身である壬生浪士組が結成された文久三年(1863)三月から、鳥羽・伏見の戦いが勃発する直前の慶応三年(1867)十二月までに、彼らは26人を殺害している。
 この人数が多いか少ないかは意見の分かれるところだが、そのうち宮部鼎蔵らの7人は、元治元年(1864)六月五日の池田屋事件での死亡者であり、新選組側も3人の隊士が死亡している。
 また、在隊中に死亡した隊士は10人であり、3人が病死、闘死が7人である。
 病死者はともかく、7人が戦闘の犠牲となっていた事実は、「新選組、規律厳粛、士気勇悍(敢)、水火といえでも辞せず」(『京都守護職始末』)との評を裏づけるものではないだろうか。 
 しかし、これ以外の理由で多くの隊士が死亡していたという事実は、あまり知られていない。
 実は、内部で粛清された隊士数は40人にものぼるのだ。「敵」の倍近くの「味方」を殺害したところに、新選組という組織の大きな特徴がある。
 なかには芹沢鴨武田観柳斎伊東甲子太郎という大幹部さえ犠牲になっていることからも、その凄惨さをうかがうことができる。


 殺害した「標的」が26人。
 その一方で、新選組隊士は、内部での「粛清」によって、40人も死んでいるのです。
 なんて効率の悪い組織なんだ……と考えずにはいられません。
 敵と闘っての「戦死」ならともかく(ちなみに、鳥羽伏見の戦い以降は、戦死者が増えていきます)、内ゲバで仲間に殺された人のほうが、はるかに多いのです。
 その「粛清」の状況も、史料にあたって、かなり詳細に再現されており、あまりの容赦なさに、読んでいて考え込んでしまうんですよね。
 その厳しさが、恨みの連鎖みたいなものを生んでいき、派閥争いや分派活動が加速していく。
 新選組を描いた作品では、粛清されたメンバーは「裏切り者」として描かれることも少なくないのですが、彼らには彼らなりの理由もあったようです。

 帰京後の七月下旬と思われるが、甲子太郎は京都で水口滋賀県甲賀市)の反幕派である城多董(きだ・ただす)と面談しており、そのときの模様が城多の『昨夢記』に記されている。
 それによると、甲子太郎は城多に「我の新選組に入るや、もともと尊攘の志を貫徹せんと欲するがためなり。しかるに近藤勇土方歳三等のなすところ、不義を逞しゅうし惨(残)暴を極む」と、新選組入隊の目的が尊王攘夷の実践にあったが、近藤や土方は親幕路線に傾倒していると非難し、続けて、「故に我が徒数人と分離し、別になすところあらん」と発言したというのだ。


 とにかく天皇家に尽くしたい、という理想主義派と、まずは自分たちの実質的なスポンサーである幕府を優先的に助けていくという、現実的主義派と。
 どちらが正しい、というわけではなくて、立場の違いもあるんですよね。
 組織のトップは、みんなを食べさせていくための資金繰りを考えなくてはならないし。


 この新書のなかで、著者は、さまざなま資料を駆使して、新選組の内部粛清の歴史をたどっていきます。
 謎が多いとされている、幹部のひとり、山南敬助さんの「脱走」と切腹についての考察もあり、そういう可能性もあるのか、と感心してしまいました。
 人を斬るというのは、そんなに簡単なことじゃないし、それによっていろんなバランスを崩してしまう人というのも、いたのだろうなあ。
 そういえば、戦場でも目の前の敵に発砲できる兵士の割合は少ない、というのをどこかで読んだことがあります。


 これを読んでいると、新選組は、比較的順風満帆な時期は、内部抗争が頻発しているのですが、幕府側が新政府軍の勢いにおされ、新選組も敗走を繰り返すようになると、残った隊士たちは死に場所を求め、結びつきを強めて最後まで戦っていったようです。
 著者も、土方歳三の最期には、これまでの「研究家」としての視点を越えて、ひとりの「新選組ファン」になっているようにも思われるのです。
 その気持ちは、なんだかすごくよくわかる。


 著者は、蝦夷地に渡った土方歳三の、こんな言葉を紹介しています。

「我輩は已に死神にとりつかれたる也。死すべきときに死すれば、すなわち可なり」との言葉が記されている。自分は「死神」に憑りつかれた「死神」そのものであり、いつ死んでも構わないと考えていたのだ。それは近藤を出頭させたものの救出できず。見殺しにしてしまったときからの思いだったに違いない。


 こういう形で、歴史に名を遺したのが、彼らの本望だったのかは、僕にはわからないのだけれど。

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