Kindle版もあります。
超大国の本質は始まりにある
1776年に独立を宣言した13植民地が、イギリス本国との戦争に勝利し、合衆国に生まれ変わったアメリカ革命。人民主権、三権分立、二大政党のモデルは、民主政治の基礎となる。なぜ革命を遂げた弱小国は、覇権国家になりえたか。植民地時代から独立戦争、建国者たちが死闘を演じた憲法制定、党派の始まり、南北戦争へ。大西洋を越えたスケールで、先住民・黒人奴隷の視点もふまえ、70年の歴史を清新に描きだす。
「アメリカ合衆国」は、どのようにしてつくられていったのか。
僕がこの新書を読む前の知識だと、イギリスで弾圧された清教徒(ピューリタン)たちがアメリカに移住し、本国イギリスと徴税権などでの争いの末に独立を宣言した、という物語になってしまうのです。
アメリカは1776年に独立を宣言した。もとはイギリスの植民地であり、さらにその前から先住民が多く住んでいた場所である。イギリスがアメリカの植民地に対する税金を重くしたので、「代表なくして課税なし」というスローガンのもと反発し、最終的に13の植民地が、新しく独立国家になります、といったわけである。
その後、1783年までイギリスとの戦争が続くが、フランスなどヨーロッパ諸国の支援もあってアメリカ側が勝利する。1787年に13の植民地をたばねる連邦憲法が制定され、今日のアメリカ合衆国の基礎ができあがり、その後1840年すぎまで国家運営を安定させようとしていく、アメリカ革命とは、約70年間にわたる長期プロジェクトなのだ。
この新書では、この「建国から南北戦争に至るまで」のアメリカの歴史が、近年の研究を踏まえて紹介されています。
アメリカ革命、といっても、まだ250年くらい前の話で、日本では江戸時代。けっこういろんな史料が残っているはずだろう、と思うのですが、この本を読んでいると、僕の「自由と独立を求める、理想に燃えたアメリカの建国者たち」というイメージが、かなり変わりました。
アメリカの建国にあったのは、それぞれの政治家の功名心や派閥争い、地元の利益をいかに「連邦」に認めさせるか、人口や経済力、経済基盤が違う各州の「差」を、どのように連邦全体で反映させていくのか、という「内部調整(抗争)」だったのです。
日本の選挙でも「一票の格差問題」はずっと議論されているのですが、アメリカの建国期においても、「各州が一票ずつ」であるべきなのか、「人口や州の規模によって各州の票数に差がつけるのが『公正』ではないのか」と、議論されています。
アメリカの場合は、経済的に奴隷制度を必要としていた南部の諸州と、人道的な見地も含めて、奴隷制度に否定的だった北部諸州のパワーバランスもあり、その妥協点を探りながら「一つの国家」と「成文憲法」をつくりあげていったのです。
現実の政治というのは、建国期のアメリカでも、2024年の日本でも、綺麗事ばかりじゃ動かない。
日本に住んでいると、いや、世界中どこの国にいても、かもしれませんが、「アメリカ」という国の現代の世界での影響力には注目が集まるものの、アメリカの建国の歴史というのは、あまり興味を持たれていないような気もします。
自国以外の歴史なんて、みんなそんなものなのかもしれませんが、その後、アメリカが関わっていく南北戦争(1861-65年)や第2次世界大戦、ベトナム戦争などに比べても、「アメリカという国の創世記は、あまり深い興味は持たれず、美化されるだけ」なのかもしれません。
正直、この本を読んでいても、こんなめんどくさい、各人、各州の主導権争い、歴史好きでもなければスルーしたくなるよな、とも思うのです。
日本史でいえば、『応仁の乱』みたいな感じ。
著者はこの新書で、白人男性を中心としたアメリカ建国史にとらわれず、スペインやフランスなどの諸外国の勢力や、先住民や奴隷の歴史、そして、「独立を望まなかった入植者たち」などについても触れています。
当時のアメリカはもっといろいろな政治的な立場があり、そしてもっとごちゃごちゃしたものだった。革命の時には一致団結して独立を目指したというイメージもあるが、そんなことはない。実際には5人に1〜2人は独立を望んでいなかったといわれており、積極的に国王への忠誠を誓い続けようとする人たちは、独立派に抑圧され、本国に戻ったり、隣のイギリス植民地だったカナダに逃れていくことになった。ここでも、彼らの歴史は近年まで意図的に忘却されてきた、と言えるだろう。
まとめると、ピューリタニズムやイギリス系の植民者を中心に理解することで見逃されてきたアメリカ史が、たくさんあるのである。
後世の人々が「歴史」だと思っている記録は、あくまでも、「それを残す機会を得られた、ごく一部の人々のものでしかない」のです。
1776年7月4日は、アメリカ人にとって特別な日付である。映画『大脱走』でも、スティーヴ・マックィーン演じる主人公のアメリカ人捕虜が7月4日に星条旗を掲げて収容所内を行進する印象的なシーンがあるが、今でもアメリカでは毎年欠かさずお祭りが行われているほどである。
半ば神話のように神々しい瞬間としてアメリカで記録されている独立宣言は、戦争のさなかに示された。その一節、「我々は、次の真理は自明なものと信じている。すなわち、人はすべて平等に造られている。人はすべてその創造主によって、誰にも譲ることのできない一定の権利を与えられており、その権利のなかには、生命、自由、そして幸福の追求が含まれている」はとりわけ強烈な印象を残す。まず草稿を書いたのはジェファソンであり、そこにジョン・アダムズ、ベンジャミン・フランクリンらが手を加え、最後に大陸会議全体で加筆修正を加えた。議長ジョン・ハンコックら、当時を代表する政治家による集合知の産物である。
しかしこの表現は同時に、本国(イギリス)からは再反論の隙を残してしまった。それが奴隷制をめぐる問題である。つまり、人はすべて平等に作られているというなら、なぜ新大陸には奴隷がいるのですか、というもっともな反撃である。この頃英本国では徐々に奴隷解放運動の動きが高まりをみせつつあった。1772年にはサマーセット判決という奴隷解放にとって転機となる司法判断が下されていた。そのような英国人からみて、奴隷制は格好の攻撃の種だった。
実際、独立宣言を起草したジェファソンはこの矛盾に気づいていたのか、「遠隔地の人々の生命と自由という最も神聖な権利を侵し、その人々を地球上の別の阪急へ奴隷として捕まえて運び、移送の際に悲惨な死に至らしめた」と、非難の表現を草稿に書いている。だがこれは論争的すぎて、13植民地の内部分裂を起こしかねないとして、修正段階で削除された。
「人はすべて平等に造られている」って、どの口が言っているんだよ!というツッコミを、当時も多くの人が入れていたのです。
そう言われることを予期していた起草者も。
奴隷制についての考えは、建国時のアメリカを二分していたのです。
そして、連邦憲法制定の場でも、奴隷をどう扱うか、奴隷制反対派の北部諸州にとっても、悩ましいところがありました。
続く二条「代表の人数は分担金か自由民の数による」。それぞれの邦が何議席を連邦で持つか。富か人口数か。これは連邦政治における権力争いと直結する問題であるため、もちろん争いの種となった。発案者マディソンは、ヴァージニアなどの人口の多い邦が連邦政府で権力を行使するようにしたかった。そのため、上院、下院とも人口による議席配分を支持していた。
しかし懸念事項があった。マディソンは「自由民の定義は難しい」と述べ、議論を避けたがった。というのも、南部の黒人奴隷をどうカウントすればよいのかが、論議を呼びそうだったからだ。当時の多くの人の感覚では黒人は財産、つまり物であって人ではない。倫理的にこれに反論したい参加者も(とくに北部には)いた。だが反発して黒人を人扱いすると、かえって奴隷制を維持する南部の連邦における権力拡大につながる、というディレンマがあった。参加者の多くはこれに気づいており、奴隷制の廃止を目指していたか、現に廃止した北部の邦の代表はとりわけ苦戦することになった。
なんのかんの言っても、選挙に勝たないと、議決で多数を占めないと、物事を先に進められない。
奴隷制廃止をすすめている北部諸州にとっては現実を動かすためには、理想ばかり言ってもいられない。
この問題ではお互いの理念と利益が対立した末に、「5分の3条項」という「合衆国の人口を数えるとき、黒人奴隷は5分の3として人口にカウントしましょう」という妥協案が示され、これは南北戦争後の1868年に廃止されるまで憲法の条文として残ることになりました。
この本の中でも「悪名高い」と書かれていて、アメリカの歴史上、そして、現代人の感覚からすれば、「5分の3扱いなんて、ひどすぎる!」のですが、この本を読んでいると、憲法制定のための会議に出席した各州の代表者たちは、それぞれの地元の利害を背負いながら、なんとか「ひとつの連邦としてのアメリカの憲法」を成立させるための妥協点を探っていきます。
決められた内容は、現代からみれば「ひどい」ものではあります。
でも、こうして意見や立場が異なる人たちが、さまざまな手練手管を尽くして、争ったり投げ出したりしながら、なんとか折り合いをつけて、憲法を作っていった様子は、「なんだかすごく泥臭くて人間の悪い面を思い知らされるけれど、これがリアルな『民主主義』なのかもしれないな」と僕は感じました。
トランプ前大統領の政治的な主張とか支持者についての日本での報道をみていると、「なんじゃこりゃ」と呆れてしまうこともあるのですが、そういう「とんでもないポピュリズム」に見えるものも含めて、「それでも、議論を続けて妥協点を見出していこうとする姿勢」そのものが、アメリカの伝統であり、国としての活力や愛国心につながっているような気がします。
あんなに内側は分裂しているように見える国なのに、外からの脅威に対しては、「アメリカ」として対応してきましたし。
この本で描かれているアメリカの建国期は、予想以上に入り組んだというか、ややこしい、ドロドロした話だったのですが、「ああ、やっぱり『理想の国』なんてどこにもないんだな」という感慨と同時に、不思議と、アメリカに親しみがわいてもきたのです。
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