琥珀色の戯言

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【読書感想】集団はなぜ残酷にまた慈悲深くなるのか ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

集団の光と闇を解明する試み
組織の不祥事が報道されると「自分なら絶対にやらない」と思う。だが、いざ当事者になると、個人ならしない悪事でも多くの人は不承不承、あるいは平気でしてしまう。 なぜ集団になると、簡単に同調・迎合し、服従してしまうのか。 著者は同調や服従に関する有名な実験の日本版を実施し、その心理を探る。 一方でタイタニック遭難など、緊急時に助け合い、力を発揮するのも集団の特性である。 集団の光と闇を解明する試み。


人間は「集団」になると「暴走」してしまう。
善良な市民として日常を送っているはずの人たちが「ネットいじめ」に加担し、「叩いていい」とみられている人に過激な言葉を投げかけてしまう。
そして、自分が個人として特定され、訴えられると「ついやってしまった」「日頃のストレスをぶつけてしまった」と言い訳をするのです。
 
東日本大震災のときも、被災地での人々の助け合いと略奪行為がともに報じられ、非常時の人間の善性と自己中心的な行動がクローズアップされました。
 
この本には、教育心理学を専攻し、集団の心理・行動について研究をしてきた著者による、「個人が『集団』になったとき、どのような変化がみられるのか」が書かれています。
 
著者自身が関わった研究の内容が実験手法からその経過、結果についての解析まで紹介されていて、新書としてはかなり「論文的」な内容だと思います。
解析後のデータだけではなく、参加した個々の被験者たちの率直な感想も紹介されていて、集計結果だけをみて「わかったような気分になる」ことの危険性も感じたのです。
村上春樹さんが地下鉄サリン事件の被害者たちにインタビューし、その「個人的な体験」を積み上げていった大著『アンダーグラウンド』を思い出しました。


psycho-psycho.com

著者は、この『ミルグラム服従実験』を日本で追試しており、そのときの結果についてかなり詳しく紹介しています。
この実験は「人間は誰かに命令(保証)され、それをやることの大義名分があれば、他者に対して残酷にみえることでも実行でき、それがどんどんエスカレートしてしまう」という結果で知られています。
第2次世界大戦中にナチスが行ったユダヤ人の強制収容所での虐殺(ホロコースト)の責任者のひとりの名前から『アイヒマン実験』と呼ばれることもあります。
ハンナ・アーレントは、アイヒマンを「凡庸な悪(上から命じられたことを忠実に実行するだけの主体性を持たない人間による行為)」だと評しましたが、それは「同じ立場になれば、アイヒマンと同じように虐殺を主導してしまう人間は多いのではないか」ということでもあります。
(ただし、この本のなかには、「アイヒマンホロコーストを率先的に主導したことが最近の研究結果で明らかにされつつある」という記述がありました)


「なんでこんなひどいことに周囲の人は『協力』したり、『見て見ぬふり』をしていたのだろう?


ニュースをみていて、そう感じることって、多いですよね。
著者は、『ビッグモーター』の自動車保険の不正請求問題に言及したあと、次のように述べています。

 独裁と服従・同調が会社の業績の急拡大という光をもたらしたのに対して、その陰には死屍累々という負の側面がある。内部告発には不正行為をやめさせるだけでなく、類似問題を抑止する効果があり、結果的に社会全体の利益を守るものとされる。また内閣府国民生活局が行った調査によれば、内部告発を「望ましくない」と回答した人は1.8%にすぎず、ほとんどの人が「望ましい」、もしくは「やむをえない」と回答したことが明らかになっている。しかし一方、実際に自分が所属している組織の不正行為を目撃した人の約64%が内部告発をしなかったということであった。要するに、人々は内部告発を肯定的に捉えてはいるものの、実際に不正を目撃したさいの内部告発率は低いということが明らかになった。
 不正行為に直面したときに採りうる選択肢は主に3種類ある(同調、拒絶、内部告発)と考えられる。内部告発者は告発後に告発の対象や告発先や世間とのやっかいなかかわりを持ち続けなければならない可能性がある。要するに内部告発にはコストがかかるのである。

 権威からの不正行為要請に対する被験者の内部告発や同調行動を検討した実験的研究がある。この実験では、実験者からの非倫理的要求に被験者がどのように対処するのかについて検討がなされた。非倫理的要求とは友だちに、危険を伴う感覚遮断の実験に参加するように頼んでほしいというものであった。実験者は被験者に「この実験は人をパニックに陥れたり、認識能力を低下させたり、幻覚を生じさせたりするものである。しかし、友だちには実験が苦痛を伴うものではないと伝えてほしい」、さらに「あなた方学生の意見が大学の倫理委員会の印象に影響を与えるので聞き入れてもらいたい」と要請した。実験室の隣の部屋には倫理委員会が作成した用紙とメール・ボックスがあった。実験が倫理規程に反すると被験者が判断すれば、匿名で委員会に通報できる仕組みになっていた。実験の結果、同調率は76.5%で非同調が14.1%。内部告発の割合はわずが9.4%であった。一方、事前に行われたアンケート調査(被験者以外の人が対象)では「自分は同調する」と回答した人の割合は3.6%であり、非同調31.9%で、「内部告発をする」と回答した人は64.5%にものぼった。この結果は、人々は自分の道徳性を過信し、状況の力を過少視していることを示している。
 内部告発が行われにくいのは、上記のような告発する側の同調行動、つまり、内部告発を抑制する周囲の圧力(空気)が考えられる。人は、場合によっては立派な行いをする人の行動には嫌悪感を抱き、立腹することさえある。なぜなら、自分が道徳的にそのレベルに達していないという負い目を持っているからである。人種差別的な行動が要求される実験課題を受け入れた人が、それを拒んだ人を後で見た場合、その人を嫌悪することを明らかにした研究もある。
 内部告発者は社会全体では賞賛されるが、組織内部では正義面した裏切り者としてスケープゴートにされることが多いのである。すなわち内部告発のような正当な行為は、告発しない内部者にとっては、自己の良心を傷つける行為である、心理的脅威となるのである。


もう10年以上前の話になりますが、当時の職場(病院)で、ある職員からのハラスメントが告発され、問題になったことがありました。
僕自身は直接関わりがない部署の話で、そういうことがあったのも表面化してはじめて知ったのですが、告発後、職場のスタッフ全員が何度も集められ、聞き取り調査や人権、ハラスメントに関する研修が行われたのです。
僕は被害者に同情し、こんなことは許されない、と思っていたのですが、仕事中に何度も集められ、忙しいなか研修を受けさせられていると、「なんかもう面倒だな」というやさぐれた気分になっていったのを覚えています。

最近の芸能界で問題になった、人気タレントによる性被害問題でも、ネットでの反応をみていると「被害者(とされる人)」が積極的にメディアに露出していることに対して、かなりネガティブなコメントがあるのです。

そんな被害にあったからといって、世間から隠れて生きるのはおかしい、というのが「正論」だとは思うのだけれど、それを「売名」につなげている、と感じる人もいる。
いずれにしても、「告発者」になるというのは、その告発の影響が大きくなればなるほど、告発者も他者から色眼鏡でみられるリスクを背負わなければならない、ということなのでしょう。

そして、中立な立場、第三者であるときに「自認している倫理観」を、当事者になったときにそのまま適用できる人というのは、ごく少数なのです。ネットというワンクッションを置いただけでも、人間の倫理観は、かなり変わってしまうのだから。
ホロコーストで虐殺に加わった人々も、平和な時代に「もしあなたがそんな立場になったら、手を下しますか?」と問われたら、ほとんどの人は「そんなことするわけないだろ!」と答えていたはずです。

この本には、「集団というのはこうなのだ」という結論が書かれているわけではありません。
「集団」でも、「もともと面識があり、仲が良い集団」と「初対面の人々」では違うし、置かれた状況によっても行動の傾向は変わっていくのです。

著者は、この本の後半で、大きな事故(船や飛行機の事故)での乗員・乗客の行動についての研究を紹介しています。
僕は子どもの頃、タイタニック号の沈没(1912年)のときに、女性と子どもが優先的に救命ボートに乗せられ、ボートに他者を乗せるために自分は船に残った人の話を教科書で読んだのを覚えています。
その記憶から、大きな事故のときは、女性と子どもを優先して助けるのが「常識」なのだと思っていました。

1912年のタイタニック号沈没事故では、氷山への衝突から沈没までの時間は2時間40分で、乗客乗員合わせて2207人の約68%、1501人が亡くなりました。
全体の生存率は32%で、女性は72.4%、男性20.6%、16歳未満の子どもは47.8%、乗務員は23.8%が生存しています。

 
この本では1852年から2011年に起こった18の海難事故(対象者15000人、30か国)での統計が紹介されているのです。

 分析の結果、タイタニック号のデータを除いた場合の海難事故での生存率平均値は男性37.4%、女性26.7%、子ども15.3%、船員61.1%であった。それに船長の生存率も43.8%であり、相対的に高い割合であった。タイタニック号の場合は女性や子どもの生存率が高く、男性や船員の生存率は低い。それから、船長は死亡している。一方、海難事故の平均値は男性や特に船員の生存率が高い。それに対して、女性や特に子どもの生存率が低いことが示されている。このデータから、タイタニック号の場合は女性や子ども優先の社会規範が人々の行動を規定していた例外的なケースと見なすことができる。全18事例のうち、統計学的に女性の生存率が高かったのはタイタニック号のケースを含む2事例のみであった。11事例については逆に男性の生存率が有意に高かった。残りの5事例については統計学的な差は見出されなかった。
 それから船員は自分より乗客の生存を優先するか否かという点に関しての検討も行われている。その結果、18事例のうち9事例で乗客より船員の生存率が有意に高いことが明らかになった。また壮年の大人のほうが子どもや老人より高いことも明らかになった。
 さらに明らかになったのは船長が女性と子どもを優先するという指令を出した場合は女性の生存率が9.6ポイント上昇したことである。ただし、このようなケースはタイタニック号を含めて5事例のみであった。さらに第1次世界大戦後のほうがそれ以前より女性の生存率は8.5ポイント高くなったことも注目に値する。
 このように、タイタニック号事故の場合には女性の生存率は男性のそれより3倍以上高かった。しかし、160年間に発生した18事例のデータを分析した結果、女性の生存率は男性の半分ほどであることが明らかになった。これは海難事故では女性や子ども優先の社会規範が発生することは稀であることを示している。


タイタニック号の沈没は、あまりにも有名で、映画化された作品もよく知られているため、あれが「標準」だと思いこんでいたけれど、実際は、海難事故のなかでも、かなり例外的なものだったようです。
氷山との衝突から沈没まで2時間40分と、かなり時間があったことや、当時としては上流階級の社会的な規範を植え付けられていた乗客が多かったことも、影響しているのではないかと考察されています。

実際のところ、何が「正解」かなんて、考えれば考えるほどわからなくなります。
パニックにならないように落ち着いて、とは言うけれど、楽観しすぎてしまって、逃げるタイミングを失ってしまう場合も少なからずあるのです。

 オーソン・ウェルズの『宇宙戦争』(1938年10月30日放送)は全米をパニックに巻き込んだ放送として有名である。番組の内容は、火星人が円盤に乗ってアメリカのニュージャージー州に来襲してきて、軍の抵抗をもろともせず侵略を続けているというものであった。それが実況放送のように行われた。番組を途中で聞きはじめた人などはそれを真に受け、そのために多くの人がパニックになったといわれてきた。しかし実際は少々異なっていた。屋外に逃げ出した人の多くは冷静に放送を聞き、また85%以上の視聴者は単なるラジオドラマとして受け取っていたということであった。


母集団が大きいと、影響を受ける人も多く、みんながパニックに陥ったというイメージになりがちだけれど、実際は、大部分の人は、そう簡単にパニックにはならないのです。ネットでの大バッシング、ネットいじめも、ネットやSNS全体の利用者数を考えると、加わっているのはごくわずかな割合でしかありません。
それでも、責められるほうは「圧倒的な数の暴力」を感じずにはいられないだろうけど。


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