Kindle版もあります。
明治維新後、欧米をモデルに近代化した日本。中国はその停滞から一転し蔑視の対象となった。
日清戦争、日露戦争、北清事変、満洲事変、そして日中戦争と経るなか、それは一層強くなっていく。
本書は明治から昭和戦前まで民衆の対中国感情の軌跡を追う。
世論調査がない時代、民衆が愛読した少年雑誌に着目。中国への赤裸々な図版を通し、古代中国への思慕とは対照的に、同時代中国への露骨な差別意識を持った剥き出しの感情を描く。図版百点収載。
明治維新後の日本は、中国をどう見てきたのか?
日清戦争から日露戦争、そして、太平洋戦争のなかの日中戦争と、明治維新から太平洋戦争の終戦までの日本は、中国相手の、あるいは中国での戦いを続けていたのです。
この新書では、その時代の「マスメディア」であった新聞や雑誌(少年向けを含む)に収録されていた図版を示しながら、当時の日本の民衆の「対中国感情」を検証しています。
感情レベルの中国観を明らかにするうえで、本書では近代日本で刊行された少年雑誌のビジュアル表現(挿絵・漫画・写真)に注目する。少年雑誌は、歴史学の領域であまり注目されてこなかった史料であり、民衆感情を捉えるうえで有用な史料であることはあまり知られていない。子ども向けの娯楽メディアである少年雑誌には、わかりやすい善悪二元論でエンターテインメント化されたものが溢れかえっている。特に中国との敵対時には、きわめて先鋭的な形で敵愾心や蔑視感情が誌面に表出し、中国・中国人に対する感情的な表現を読み取ることができる。
一方、戦前の少年雑誌は、小説や漫画だけの娯楽的要素だけでなく教育的要素も併せ持ち、学校教育の補助的役割も果たす修養書としての側面も担っていた。当時の子どもたちにとって中国は遠い世界であり、教科書などを通じてしか知らない世界だった。編者・記者である大人たちは、少年雑誌を順教科書的に使って、子どもたちに中国・中国人とはどのような国であり人柄なのかを教えようとしたわけだが、その際、ビジュアル表現が添えられた娯楽的な読物(物語)や漫画、写真などを通じて、感情的かつ印象的に中国・中国人を紹介することになる。
期間が明治維新から太平洋戦争まで、ということで、僕にとっては実体験がない時代ではあるのです。
メディアが交戦している敵国に負の印象を植え付け、戦意高揚を求めたのは、致し方ない面もあるのでしょう。
近代の戦時のメディアは、ごく一部を除いては、そうすることを政府からも、読者からも求められてきました。
たとえば、日清戦争中に「支那人」を紹介した『小国民』の記事(1894年8月1日号(「西国巡礼」)は、「其下卑不潔にして、吝嗇(=ケチ)なるは、恐くは、世界上に其比なかるべし」と辛辣だ。その「吝嗇」の根拠として、長崎のとある商店の中国人が、商品の売り上げのいくらかを必ず貯金するために、通貨として再び使用できないように銀貨をハサミで真っ二つに切り、地金としてこれを本国に送っている、と紹介する。
「お金に汚い」というイメージも、日清戦争中に繰り返される中国イメージだ。『小国民』(1895年1月15日号)の「戦地雑聞」では、兵士ではない「清人」が「死体の衣嚢(=ポケット)をさがし、金銭等を拾集する」様子を紹介する。ここでも、「同胞の戦死を幸いとし、小利に汲々たる薄情憎むべし」と、敵愾心に結び付けられている。
当然、直接交戦している中国兵に対する敵愾心はさらに強い。「豚尾奴の卑怯未練なる振舞を大笑いに笑い遣らんが為に作りし」手毬歌が『小国民』(1895年2月1日号)に掲載されているが、その挿絵では手毬が中国兵の頭になっている。手毬歌の内容も「人と生れし甲斐もなく、豚と呼ばれる憐れさよ」「乞食兵士」「欲に目の無い」「臆病」など、否定的表現をちりばめている。これが少年雑誌に掲載されていたのだ。
(図)1−7は、「日本兵VS中国兵」を描いた挿絵だが、よく見ると中国兵の顔には「不勉強」「卑屈」「怠」などの文字が刻まれ、中国兵を「負の象徴」のように描いている。
このように、戦争による対中関心の劇的高揚と激しい敵愾心によって、中国人の性格や性質、行動が取り沙汰され、ネガティブな感情が向けられていた。
子どもの頃にこういう「情報」ばかりを見せられていたら、バカにするようになるのは当たり前ですよね。
でもまあ、現実的には、戦争の相手国を「本当はいい人たちなんだよ」と美化するようなことはもちろん、中立的に描くのも難しいのだろうとは思います。
戦争というのは続けば続くほど、犠牲者が増えるほど、相手国への恨みや反感はつのっていくものですし。
日本のアメリカへの感情も、少なくとも太平洋戦争の数十年前の大正時代くらいまでは、その文化や発展への「憧れ」が強かったのだから。
この本では、日中戦争で戦線が拡大していくなかで、戦争後のことも意識してなのか、中国の人民すべてが悪いのではなく、政府や指導者たちに問題があり、日本は中国の民衆を救うために戦っているのだ、という論調が目立つようになってくることも紹介されています。
また、日本と中国の関係性において、戦争中にその時代の中国人たちがさんざんバカにされているにも関わらず、中国の春秋戦国時代や『三国志』の時代の思想家や英雄たちに対する敬意は失われなかったことも指摘されているのです。
他方、古典世界の中国偉人を取り上げた記事も、男女に共通(四誌共通)する。『少年世界』では孔子が、『少年界』でも藺相如と廉頗、韓信が、『少女世界』では車胤、孟母が、『少女界』でも虞美人などが、少年少女が見習うべき理想の人物として取り上げられている。
たとえば、『少年世界』(1905年7月1日号)では、孔子を「少年諸君が常に服膺して1日も忘れてはならぬ忠孝仁義の大道」を説いた偉人として評価する。『少年界』(1903年4月号)では、藺相如と廉頗を「賢い大臣」「豪(えら)い大将」と評価し、「諸子(みな)さんも何卒、国に何か大事の興った時には、藺相如のよーに、為て頂きたい」と、彼らを模範的人物として強調する。
少女雑誌は、男性の中国異人だけでなく、毛母や、項羽の寵姫「虞美人」など、女性の中国偉人を多く取り上げる。
現在、2025年でも、「嫌中感情」を持つ人の割合はかなり多いのに(この本によると、2023年の日中共同世論調査では、中国に対して「良くない」印象を抱いている日本人の割合は「92.2%」にものぼるそうです)、秦の始皇帝による天下統一を題材にしたマンガ『キングダム』は、映画化された作品とともに大ヒットしているのです。
日本人にとっての「歴史上の中国への敬慕と現在の中国への嫌悪」は、過去のものではありません。
1970年代生まれの僕にとっての中国は、物心ついたときには「とにかく人口が多くて、パンダがいて、経済的には厳しく、政治的には閉鎖的な共産主義国家」だったのですが、その後、中国は人口を生かし、経済政策の改革で、劇的な経済成長を遂げ、「世界の工場」になりました。
一昔前は、中国には「著作権などお構いなしのドラえもん風のキャラクターがいる怪しいテーマパーク」や「敷居がないトイレ」「あやしい論文を乱発している」などののイメージがあったのですが、いまや、人々の経済的な格差は大きいものの、経済的、政治的にアメリカと覇権を争う国となっています。
僕が子どもの頃は「日本は物価が高い国」で、日本人旅行者が海外でブランド物を買い漁っていたのですが、現在では中国からの観光客が日本で「質が良くて安いサービス」を「爆買い」していくようになりました。
僕くらいの中高年層は、かつての「日本から援助を受けていた、貧しくて低品質の中国」をイメージを引きずってしまいがちなのですが、中国産のスマートフォンのゲームに多くの日本人が夢中になり、中国人観光客に支えられている企業もたくさんあるのです。
都市と農村での地域差はあるようですが、電子決済が日本より一般的で、ほとんど現金が使われず、IT産業が盛んな国でもあります。
いまの若者たちにとっての中国は、この本で紹介されていた時代の「侮蔑の対象」というよりは「日本にとっての欠かせない貿易相手であり、安全保障上の脅威でもある、扱いが難しい存在」になっているのだと思います。
「嫌中・嫌韓」というイデオロギーは僕には「わざわざ敵を増やさなくてもいいのに」としか思えないのですが、この本で紹介されている「ひたすらバカにしていた時代」からすれば、「『嫌い』になるくらい意識せざるをえない存在になった」とも考えられるのです。
掲載されている漫画や挿絵を見ていると、「こうして、人々の差別感情とか蔑視は積み重なっていくのだな」と思い知らされます。
でも、実際に戦争をしていたら、「相手の国の人も普通の人間なんだ!」なんていう「平和な時の当たり前」は、通用しなくなってしまうのでしょうね。
SNSでの言論の「風向き」をみていると、人間って、そういうものなんだろうな、と感じます。










