琥珀色の戯言

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【映画感想】かがみの孤城 ☆☆☆☆

あらすじ
中学生のこころは学校に居場所がなく、部屋に閉じこもる日々を送っていた。ある日突然、部屋の鏡が光を放ち、吸い込まれるように中へ入ると城のような建物があり、そこには見知らぬ6人の中学生がいた。さらに「オオカミさま」と呼ばれるオオカミの仮面をかぶった少女が現れ、城のどこかに隠された鍵を見つけたらどんな願いでもかなえると告げる。7人は戸惑いながらも協力して鍵を探すうちに、互いの抱える事情が明らかになり、徐々に心を通わせていく。


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2023年最初の映画館での鑑賞。
公開は2022年12月23日からだったのですが、年が明けて2023年の1月も半分過ぎた平日のレイトショーで観ました。
観客は10人くらい。

年末公開で『本屋大賞』受賞作のアニメ映画化ですし、芦田愛菜さんも声の出演をされていて、もっと話題になってもおかしくなさそうですが、『すずめの戸締まり』『THE FIRST SLAM DUNK』『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』と人気作品のロングランに押されてしまっているような感じです。中学生の引きこもりやイジメを題材にしているので、エンターテインメント作品を求めている人には、敬遠されそうですし。
観てみると、けっこう惹き込まれる「面白い」作品なんですけどね。

まあでも、僕が中高生だったら、わざわざ冬休みに暗い気分になりそうな『かがみの孤城』よりも、『すずめの戸締まり』の優先順位が高くなるだろうな、とも思います。荒唐無稽な世界を背景に「人のトラウマ」を描いた作品であっても、新海誠作品には「観客が見たいシーンを見せてくれる心地良さ」と「現実との付き合いやすい距離感」があるのです。

かがみの孤城』は、7人の中学生たちの親世代である僕からすると、「子どもたちに見せたい映画」なのだけれど、たぶん、リアルタイムでその時期の苦悩と向き合っている「いま、中学生として生きている子どもたち」にとっては、「被害者、あるいは加害者の立場のどちらかとして観てしまう、つらい映画」ではなかろうか。
大人が観せたいものと、子どもが観たいものは、常に、交じわることはない。
現実世界では伏線は回収されないまま、バッドエンドで終わってしまうし、「死に戻り」もできない。

いまの僕は、この物語の「美しさ」に涙しましたが、35年前の自分だったら、「ただしイケメン、かわいい子に限る、だな」と皮肉のひとつもつぶやいた気がします。
そういう、自分の子ども時代のダークサイドを、大人の年齢になってから久しぶりに思い出したし、「いま、そのカオスの渦の中にいる中高生よりも、その親世代が観るべき映画なのかもしれません。


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ちなみに僕は4年近く前に原作の小説を読みました。
正直、ストーリーのディテールはほとんど記憶に残っておらず、さまざまな謎が明かされるたびに、「ああ、そういえばこんな話だった!」と思い出す、という繰り返しだったのですが、この映画を楽しむには、ちょうどいいくらいの理解と忘却だったように思います。

原作小説はけっこうボリュームがあって、単行本では1冊ですが、文庫では分冊されているくらいなので、その内容を2時間のアニメーション映画にするのは、かなり難しかったはず。

原作小説を読んだ時の感想を読み、記憶を辿ってみると、この映画版は、上映時間の関係もあるのか、さまざまなことがスムースにいきすぎているし、小説では、もっとドロドロした登場人物の内面が丁寧に描かれていたり、7人のあいだでの駆け引きやストーリー上の謎の伏線が散りばめられたりもしていた記憶があります。僕は、「ネガティブな条件で集められた『仲間』なのに、そのなかで、『自分はコイツよりはマシ』みたいな優先順位をつけずにはいられない人間の業」がきちんと描かれていることに作者の「本気」みたいなものを感じたのです。この話は、ファンタジーではあるけれど、綺麗事ではない。イジメをやっている連中の背景とか心境に踏み込んで擁護するほど「善良」ではないし、安易な「和解」もない。
 
 仲良くしなければならない、学校に行かなければならない、というプレッシャーに押しつぶされ、自責の念に駆られそうになるくらいなら、「お前らにいつか思い知らせてやる」と憎んでもいいから、生き延びろ。生きて、自分の世界が広がっていけば、いつか、そんな連中はどうでもよくなる。

「いじめる側にだって、それぞれの背景や事情がある」なんて考えてしまうことは、結局、自分を追い詰めるだけ。

 もちろん、そんな「自分を守るための選民意識」みたいなものが「正しい」のかどうか、僕にはわかりません。
 でも、人には「客観的なアドバイス」よりも「自分を肯定してくれて、話を真剣に聞いてくれる存在」が必要なときがある。

 この映画『かがみの孤城』は、原作小説で丁寧に描かれていた、「引きこもってしまう側の内面のドロドロした部分」や「人間関係への臆病さ」にはあまり踏み込まず、「孤城」での時間の経過をテンポよく描いています。
 観客の気持ちを暗くさせるような、それぞれの人物の内面の葛藤や7人の中での駆け引きは必要最低限(というか、単に「最低限」かも)にしか描かず、喉ごしと後味が良い、観て楽しめる作品になっているのです。
 こころ以外の登場人物の背景は、短時間・駆け足で紹介されているのですが、それでも2時間近くになっています。

 原作は登場人物どうしの駆け引きや関係性の変化をじっくり追っていく小説ですが、映画では、時間の制約もあってか、「それぞれの登場人物に1シーンは見せ場をつくる」ことと、「ストーリー展開を高速モードにして、観客を退屈させない」ことに重きを置いたように僕には見えました。
 そういう「小説と映画、それぞれの制約と長所を活かそうとした」ことが、『かがみの孤城』に関しては、すごくうまくいっているのです。
 原作を読んでから映画を観ても、彼らがアニメーションで動いていることや、結末のカタルシスに感動できるし、映画から観たら、「これ、原作ではどんなふうに『孤城での日常』が描かれていたのだろう」と小説を読んでみたくなるはず。


 いま、中学校で荒波に揉まれている現役組よりも、むしろ、中学生の親世代、僕と同じか、少し年下の40代くらいの大人に観てほしい、そんな映画です。

 今の精緻な、あるいは特徴がある画風が多い日本のアニメーション作品としては、映像的には地味ですし、ストーリーも原作を倍速(3倍速くらいかも)で読んでいるかのような感じです。
 ただし、そういうカジュアルさが、敬遠しやすい重いテーマの「救い」にもなっているんですよね。
 動画配信サービスで、何気なく再生してしまったアニメを、結局最後まで観てしまわないと気が済まなくなる、そのくらいの気軽さと中毒性。


 ところで、僕も含めて、多くの人が「引きこもりや不登校の子どもにとっては、学校に通えるようになることが『改善』なのだ」と思っていますよね。
 でも、こんな悪意を持った同窓生や「事なかれ平和主義」に毒された大人たちが支配している場所に「戻る」のが、2023年でも「あたりまえ」で「正解」なのかどうか。
 僕は「こころちゃん、もう、あんな学校になんか、行かなくてもいいんじゃない?」って心の中で言いかけて、「学校に行かないことを声高にアピールしている少年革命家を名乗るYouTuber」のことを思い出したのです。
 結局、同じ「学校に行かない」という選択をした子どもに対しても、自分の子どもと、『かがみの孤城』の登場人物・こころ、そして、少年革命家・ゆたぼんに対しての僕の「正解」は、同じにならない。ゆたぼんには「YouTubeでわけわからんこと言って集金するくらいなら、学校行けよ!」って言いたくなるんですよ、僕自身がゆたぼんに課金しているわけでもないのに。

「学校に行けないのは、あなたが悪いわけじゃない」

 僕は、自分の子どもに、そう言えるだろうか。
 僕自身も、学校に行くのが楽しかった記憶は、微塵も残っていないのに。
 逆に「学校なんて楽しくないのが当然」だと諦めていたから、なんとかやり過ごして卒業することができたのかな……

 この映画も、原作も、それぞれの媒体の特長を活かした、それでいて「芯」の部分は間違えていない、素晴らしい作品でした。
 ネットのサービスで配信されるようになってからでもいいから、ぜひ一度、観てほしい映画です。


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