琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

【読書感想】声優という生き方 ☆☆☆


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
新劇の俳優が洋画の吹き替えを担当することからはじまったとされる声優ブーム。それから約半世紀、若者の人気「職業」にまでなった声優。業界のかたちが整い、より大きくなったものの、華やかさの陰には厳しい現実も待ち受けています。「うまくやろうとするな」「売れるのが唯一の価値観か」など、成功法則のない業界だからこそ必要なスキルと心構えを、「ばいきんまん」「フリーザ」でおなじみのレジェンドが語り尽くします!


 「ばいきんまん」「フリーザ」の声でおなじみの中尾隆聖さん。子役からスタートし、役者として、声優として60年以上のキャリアを持つ中尾さんが、自らの「役者人生」について語った本です。
 
 最近は、人気声優による「声優業界の現実」であるとか、「いまの時代の声優に求められるスキル」が、けっこう率直に語られた本が世に出ています。


fujipon.hatenadiary.com

 大塚明夫さんの本はその代表格ともいえるもので、けっこう話題になりました。


 この『声優という生き方』なのですが、読んでいると、中尾隆聖さんは、自分を「声優」とみなしているのではなくて、現在でも、「役者の仕事の一環として、『声の仕事』もやっている」という感じなのだろうな、という気がするのです。

 いま50代以上のベテラン声優さんは、声優を目指してきたというより、役者として生きていくなかで声優にたどり着いたという感覚の人が多いのではないでしょうか。私もそのひとりということになります。
 私は3歳で児童劇団に入ったのを皮切りに、テレビのドラマや子ども向け番組にも出演していましたし、声の仕事ではラジオドラマ、アニメ、洋画など数々の現場で演じながら現在に至っています。
 じつを言うと、若い頃は「声の仕事はやりたくない」と思っていて、実際、そのことでひどく葛藤していたくらいです。もちろん、いまの私の仕事は声優ですし、この仕事が大好きで誇りをもってやっています。
 ただ、いまの若い人たちにはもしかすると想像もつかないかもしれませんが、声優ブームが起きたとはいえ、声優というのは人気職業ではありませんでした。いえ、ひとつの職業という見られ方さえされていなかったのです。あまりいい言葉じゃないですけど、声の仕事というのは役者にとっての「アルバイト」というように捉えられていました。
「声優なんて」
 誰かがあからさまにそう言っていたわけではありませんでしたが、確実にそういう空気がありました。
 しかし、これは時代の性質とでもいいましょうか、もともとテレビが出はじめの頃は、
「テレビなんて」
 という感じだったのです。スタニスラフスキー理論だとかの演劇書を読むと、「テレビなんてものに出たら、芝居がダメになる。舞台俳優だけがほんとの役者だ」とされていた。

 中尾さんは、長いキャリアのなかで、ラジオからテレビ、舞台とさまざまなジャンルにまたがって活躍しており、子供番組から大人向けまで、幅広い役を演じています。
 昔の「売れない役者が声の仕事をやっている」と言われていた時代からの生き残りとして、「役者というのは、好きでやっている仕事であり、自分の生きがいなんだ」という信念が、ものすごく伝わってくるんですよ。
 
 こういう「声の仕事は、昔の役者にとっては歓迎されないものだった」という話も、僕の世代(いま40代後半)にとっては、ベテラン声優たちがみんな口にしていて、耳にしたことがあるのだけれど、いまの「声優=黄色い声援を浴びる人気タレント」というのが当たり前になった時代しか知らない若い人たちにとっては、信じられないかもしれませんね。


 中尾さんは、「声優とキャラクターとの関係」について、「同じキャラクターを長年演じ続けられ、イメージが固定されることも少ない」という、実写に対するメリットを語っておられます。

 私でいえば、『タッチ』の西村勇や『キャプテン』の近藤茂一などの球児や、『伊賀野カバ丸』の伊賀野影丸、『あしたのジョー2』のカーロス・リベラをやりつつ、トッポジージョ(『トッポジージョ』)、ぽろり(「にこにこ、ぷん」)のような、ネズミの男の子などさまざま。
 みなさんによく知られているのが、ばいきんまんフリーザ(『ドラゴンボールZ』)なので、最近ではラスボス的なキャラ(フリーザははじめはラスボスではなかったのですが)や、人間以外のキャラ(最近では「人外」というそうですが)が多くて、ひさしぶりに人間の役をやると、
「中尾さん、人間役ですよ」
 とわざわざ言われたりなんかしてしまいます。
 最近の話だと、『ザンキゼロ』というゲーム作品に参加しました。テラシマショウという少年とミライという羊が掛け合いをするのですが、まさかの少年のほうだったものですから、「えっ、そっち?」となってしまいました(ちなみに羊のミライは野沢雅子さん)。
 声優とキャラクターというのは、絶対的にイコールかと言うと、そうでもない不思議な関係です。キャラは永久に生き続けますから、どこかでキャストは変わります。また、声優のファンの方々にしても、キャラクターが好きという部分がかなりの割合でミックスされていることでしょう。
 イベントなんかではキャラの決めゼリフをお願いしますと言われますが、一方で、それ以外では公でキャラのセリフを言ったらいけないと言われることもあります。海外のアニメなんかではとくに厳しい制限があります。
 キャラがまずあってというのはわかりますが、私がそれを演じていて、世間の人からほとんどイコールと思われていても、私のものではない。なんか妙な感覚があります。

 この『ザンキゼロ』というゲーム、僕はクリアしたのですが、中尾隆聖さんと野沢雅子さんのコンビを、こんなブラックな役で起用しても良いのか!本人たちもよく引き受けたなあ、と思っていたんですよ。
 でも、この本を読むと、中尾さんは、そういう役だからこそ、けっこう喜んで演じていたのではないか、という気がします。
 

 真に迫るとか、リアルな演技とかいう褒め言葉があります。しかし、映画でもドラマでも多くの誇張やデフォルメが含まれています。実際、ドラマのセリフを日常生活で聞いたり、口にしようものなら、「芝居じみたセリフ」なんて思うことでしょう。現実には見かけないのに、なんで「リアル」「うまい」と感じるのでしょう。それはひとえに作品の世界観にとってのナチュラルなんです。現実のそれとは違う。だから作品の世界観からズレたり、はみだすものは「違和感」をもたれてしまいます。
 役者はその世界観をまず理解しないといけません。そして、それは作品ごとにまるっきり違います。アニメの世界だとそれはより顕著です。アンパンマンの世界観とガンダムの世界観はまるっきり違うといえば、わかりますよね。
 私も若い頃には先輩や監督さんから、
「ふつうにやれよ」
 ということをよく言われていました。いまでも養成所で生徒たちにいいます。
 おわかりかと思いますが、演技においての「ふつう」とは、実生活の「日常」を指しません。
 勉強中の若い子はそこで勘違いしてしまうことが結構あって、本当にふだんどおりにしゃべってしまう人が多くいます。ふつうにしゃべっているように聞かせるためには技術を身につけなくてはいけないということがなかなか伝わりづらい。
 アニメやゲームが大好きでやってくる人が最近は多いですから、自分の好きな作品の声の当て方が声優的に当たり前だと思っていて、そういう声の出し方をする。そういう人に「ふつうで」というと、演技をしないということになってしまう。
 違和感のない、作品やキャラクターに合わせた声の出し方、口調は毎回探さなくてはいけません。私は「匂いを探す」とかいう言い方をすることもありますが、演技におけるナチュラルはぜんぶ異なります。シリアスなのか、コメディなのか、ミステリーなのかSFなのか、時代劇なのか、立ち位置、文脈、いろいろと嗅ぎ分けられなければいけません。
「いいんだよ、もっとふつうで」
 言葉では伝えづらいので私もついつい言ってしまいがちです。声優は声だけで演技をするわけですから、「ふつうに聞かせる」にはきちんとした技術が必要で、ごまかしがききません。


 中尾さんは、養成所に合格して通ってくる生徒たちは、いまのアニメで求められている一定の水準でいえば「かなりうまい」と仰っています。
 ただ、「みんな同じようなうまさ、声の出し方」なので、「個性」がなくなってしまっているとも指摘しています。
 声優として作品にキャスティングされるためには、「この人じゃないとダメ」という存在になることが求められるのです。
 
 「ばいきんまん」の声は、こんなに長く続く作品になるとは思っていなかったために、「作りすぎた声」で最初はすごく苦労した、なんていう話も出てきます。

 「いい声で、うまくしゃべること」だけが声優の仕事ではないのです。
 中尾さんにとっての「役者」って、仕事というより「生き方」だということが伝わってくる本です。


fujipon.hatenablog.com

声優 声の職人 (岩波新書)

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