琥珀色の戯言

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【読書感想】外国人労働者をどう受け入れるか―「安い労働力」から「戦力」へ ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
日本で働く外国人の数が、二〇一六年に初めて一〇〇万人を超えた。飲食業や建設業をはじめ、低賃金・重労働の業種ほど日本人が集まらず、外国人の労働力なくしては、もはや日本の産業は成り立たない。一方で、日本人の雇用が奪われるのではないかと懸念する声もある。外国人たちの悲惨な「奴隷労働」の実態や、識者や企業への取材をふまえて、これからの「共存」のあり方について多角的な視点でまとめる。


 NHK無縁社会」「ワーキングプア」を制作したスタッフが、日本での「外国人労働者」の現状を取材したものです。
 「実習生」という名目で来日し、ひどい環境で低賃金の長時間労働をさせられている、というのは再三採りあげられてきたはずなのですが、それでも、制度を悪用するヤツはいるのです。
 というか、人間、自分が生き残るためには、他人をここまでないがしろにできるのか、と愕然としてしまいます。
 

 外国人用のシェルターに避難してきた「元実習生」の話。

 周さんは農家で大葉を収穫する業務にあたっていました。その作業というのは、輪ゴムで大葉を五枚重ねるというものなんですね。それを二つ、つまり10枚の大葉を束ねて報酬は2円、という計算でやっていたんです。つまり出来高制です。その賃金のあり方は、大問題ですよね。それに加えて、経営者のセクハラ問題もあったんです」
「10枚の大葉を二つに束ねて2円というと、時給にすると、どのぐらいですか」
「おおよそ1時間の作業量を換算して、時給300円です」
 そもそも出来高制の賃金設定は、技能実習制度では認められていない。「実習」している、つまり技術を習得している、という建前では、出来不出来で賃金に差が出てしまうのは、あり得ないからだ。
 しかも、時給に換算すると300円という低い水準は、さらにあり得ないことだ。周さんが働いていた農家は茨城県だったが、茨城県最低賃金747円(2015年10月時点)を400円以上、下回る額だ。


 周さんは、この作業で手が荒れ、両手が真っ赤に腫れあがっていたそうです。

 縫製工場で働いていた28歳(当時)の女性、楊さんもようやく逃げ出してきた一人だ。それも実習先からではない。強制帰国させられそうになって、寸前で空港から逃げ出してきたのだ。
 楊さんは、2012年5月に来日し、縫製工場で実習生として働き始めた。しかし、日々の残業が多いだけではんく、休みがほとんどない過酷な勤務状況だった。元旦を含めて、一年に10日間ほどしか休めず、長時間労働を強いられてきた。それでも一年目の基本給は月6万円で、残業代が時給400円。二年目の基本給は7万円で、残業代は時給500円。三年目は基本給7.4万円で、残業代は時給700円だった。


 楊さんは縫製工場のアイロンがけ担当で、「忙しいときは、12時間以上立っていた」そうです。


 現在、上海など中国の都市部では、日本で働くのと労働条件はほとんど変わらないくらいだそうなのですが、中国の田舎に住んでいて、学歴もなく、都市では仕事がない、という人たちから、業者がお金をとり、「保証金」をかけて日本に「実習生」として送り込んでくるそうです。
 多額の「保証金」は、途中で仕事をやめて帰国すると没収されてしまうため、ひどい労働環境やセクハラ、パワハラでも逃げ出しにくくなっているのです。
 これって、「奴隷」じゃないのか?
 この2017年にも、自分が使う側であれば、奴隷的な労働を許容し、反抗を許さない、という人は、少なからず存在するのです。
 そして、こういう環境でつくられた「安い服」を日本人は着ているんですよね。
 こうして労働者を犠牲にして「コストダウン」しないと、価格競争に勝てなくなってしまっている。
 でも、そこまでして、ブラック労働でつくられた安い製品を買う、というのは、なんだかとても虚しい。


 取材班は、外国人労働者を雇用している側のこんな話も紹介しています。

 実習生を招いている企業経営者に本音を聞くと、「外国人を雇用したいわけではない。日本人を募集しても集まらないから、仕方なく実習制度を使っている」と答える人がほとんどだ。では、外国人技能実習生を雇用してみて、どうだったのか、と聞いてみると、この問いにも異口同音で「非常に大変だ」と答える。
 従業員30人前後のある工場では、中国人実習生とベトナム人実習生を受け入れている。実習生を雇用して、大変だったことを教えて欲しいと言うと、企業名を伏せる約束で、教えてくれた。
「いちばん困ったのは、トイレを壊されることですよ」
 日本人であれば、当たり前の水洗トイレだが、その使い方がわからない。流してはいけないものを流して、詰まらせたり、トイレットペーパーを持ち帰っては駄目だといくら言っても、持ち帰ってしまったりするため、しばらく頭を悩ませたという。そのうち実習生たちに掃除をさせるようにしたら、きれいに使うようになっていった。
「日本語が全然できないため、仕事を教えられないんですよ」
 日本語によるコミュニケーションができない、という苦労談も多かった。そもそも実習生は、来日する半年前ぐらいから、日本語を学んで、準備しなければならないことになっている。しかし、実際は、仲介業者に高額の斡旋料を払い、来日する実習生としての資格を「買う」ため、日本語の授業は「受けたことになっている」にすぎない。そのため、来日後、日本語で作業の段取りなどを教えたくても、教えられず、身振り手振りを駆使し、場合によっては、通訳をお願いしなければならないこともあるという。
「逃げられそうになったこともある。企業にとっては最悪の事態だ」
 どれだけ処遇をしっかりとしても、逃げ出す可能性はあるという。


 僕の家から比較的近いところにあるハウステンボスでも、東アジアからの観光客の増加に伴って、トイレの汚れが目立つようになった、という話を聞いたことがあります。
 わざと汚しているわけではなくて、習慣や使用法の違いに慣れていないだけなのでしょうけど、たかがトイレ、されどトイレですよね。
 そのくらいのこと、文化の違いがあれば仕方がない、と外野から言うのは簡単なのだけれど、そういうちょっとした溝が、大きな断絶につながっていくのかもしれません。
 雇っている側、あるいは現場で指導する人からすれば、そういう事態に直面するたびに、「なんで自分がこんな面倒なことを……」というネガティブな感情にとらわれやすい。


 その一方で、外国人労働者をきちんと処遇し、働きやすい職場をつくることによって、業績をあげている企業が少なからずあることも、この本のなかでは紹介されています。


 実際のところ、日本以外の国での外国人労働者は、どのように扱われているのかよく知らないので、「日本はとくにひどい」のか「外国人労働者や移民に対しては、このくらいが平均」なのかは、これを読んだだけではわかりません。
 しかしながら、前述した「奴隷のような扱いを受けている実習生」などは、他国云々以前の問題ですよね。
 アジアでも、日本だけが突出して豊かだった時代はもう終わっているのですから、現在のひどい方の労働環境を知ると「いくら少子化対策として移民や外国人労働者の受け入れを緩和しても、こんな国にわざわざ来たがる人がいるのか?」とすら思えてきます。


 外国人労働者として来日したバングラデシュ人が立ち上げた建設請負会社「シャプラ・インターナショナル」のモバーク・ホシェーン社長と、専務としてともに会社を支えている妻の宣子さんのことが、この本のなかで紹介されています。
 

 宣子さんを密着取材していたある夏の夕暮れ、普通の会社では見かけないであろう場面に遭遇した。
 社員たちが仕事を終えて後片付けに戻ってきた時のことだった。子どもの夏休みの宿題を持って宣子さんのところに相談に訪れたのは、パキスタン人の男性だ。夏休みの絵日記の宿題をどうしたらいいのか、子どもと一緒に悩んでいたらしい。
「夏休みの宿題、これどうしたらいいのか。子どもに教えたくて」
 宣子さんは、笑いながら受け取り、鉛筆で見本を書き始めた。
「これは、過酷だねえ。難しいよね。朝顔の観察日記だよね」
 日本では夏休みの宿題の定番の一つだ。宣子さんは手近な紙に朝顔の絵を描きながら、「これと同じようにね、毎日、天気を書いたり、花が咲いたとか、見たままを書くんだよ」と教えている。その説明をうなずきながら聞いていた彼は、しばらくすると「ありがとうございました!先生、ありがとう」と嬉しそうに見本の絵を手に、ほっとした表情を見せた。
 宣子さんも「はい、はい。宿題終わりましたね」と笑顔を返している。宣子さんは、彼らにとって雇用主であると同時に、日本の母であり、先生でもあるのかもしれない。その場面に遭遇した時、外国人を支えるというのは、こういうことなんだろうと感じさせられた。
 会社は「働く場所」に違いないが、日本で安心して働いてもらうためには、仕事をしてもらって終わりではない。同居する家族の暮らしも支えなければならないのだ。宣子さんは、「子どもの宿題を一緒に考えること」が安心して働ける社会の土台につながると知っているからこそ、嫌な顔一つせず、絵日記の書き方を丁寧に教えているのだろう。


 社員の子どもの宿題のやりかたまで面倒をみるのは、もちろん「義務」ではないはずです。
 でも、そういうところから、文化の違いへのストレスというのは、蓄積されていくような気がします。
 日本の家族主義的な会社経営というのは、いまの日本の若者には敬遠されがちなのだけれど、孤立しがちな外国人労働者にとっては、それが「働きやすさ」につながることもあるのです。
 こういうのが、日本の「おもてなし」なのかな、なんて思うんですよ。


 大きな問題点と、未来への希望の芽と。
 ちゃんと説明すればわかるし、改善してくれるのに、それを面倒くさがりながら「あいつらは何もわかっていない」って決めつけて、壁をつくってしまいがちなんですよね。
 日本人だけがそう、というわけではないのだけれど。

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